年末になると、その年に亡くなられた人の名が新聞に出て、また新たに衝撃を受ける。そして、自分はあとどのくらい生きるのだろう、と想像したりもする。まだ早いよ、とは言われなくなったし、私も同年の友人には言わない。
年の瀬が楽しかったのは子供の時分だけで、近頃(ごろ)は、今年は無事だったが、来年は何が起きるのだろう、と身構えてばかりいる。
子供と言えば、私がまだ小学校三、四年の頃、男性教師が、こんなことを言った。
「きみたちは皆、棺桶(かんおけ)に向かって行進しているのだよ」
一瞬、教室がしんとした。遊びだの勉強だの習い事だのをしているうちに、いつしか成長して職業を持ち、本当のおとなになる、と漠然と思っていたのだ。しかし、おとなになった先には(あるいはすぐ近くに)、死というものが厳然とあって、生を強引に終わらせる、と気付かされたのである。しかも、「棺桶」への「行進」という生々しい語には、避けられない死に向かって、無言でざくざくと歩むイメージがあって恐(こわ)かった。以来、私は棺桶に向かっていることを意識して生きている。これは真実である。
さて、とぼとぼ、すたすた、ざくざくと、私たちは絶え間なく死に向かって歩む。今年の点鬼簿を眺めれば、驚くほど私の年代の足元にまで、死が忍び寄っていることがわかる。大勢の死者の中から、特に衝撃を受けた人、ほぼ同年代の人を書き出してみる。
一月二十五日、大口広司さん。四月二十日、清水由貴子さん。五月二日、忌野清志郎さん。五月二十六日、栗本薫さん。六月三日、デビッド・キャラダインさん。六月十三日、三沢光晴さん。六月二十三日、砂守勝巳さん。六月二十五日、マイケル・ジャクソンさん。ファラ・フォーセットさん。八月三日、大原麗子さん。八月十三日、海老沢泰久さん。十月十六日、加藤和彦さん。十月十八日、剛竜馬さん。
この中で面識があるのは、栗本薫さんと海老沢泰久さん。そして、個人的に存じ上げていたのは、写真家の砂守勝巳さんである。
砂守さんは、那覇市の牧志公設市場の近くにお住まいだったことがある。沖縄を舞台にした小説の取材で那覇を訪れた時、皆で砂守さんのアパートに押しかけた。でも、嫌な顔ひとつなさらず、綺麗(きれい)に整頓された趣味のいい部屋に通してくださった。
那覇の街を歩いていても、若者たちにすっと溶け込む、実に格好いい人だった。病を得られたことも知らなかったので、突然亡くなられたと聞いて呆然(ぼうぜん)とした。那覇の街を颯爽(さっそう)と歩いておられるようで、いまだ死が信じられない。
山田風太郎に、『人間臨終図巻』という著作がある。
十五歳で亡くなった八百屋お七から始まって、百二十歳で亡くなった泉重千代さんまで。よく知られた人物が死んだ年齢順に分けられ、死に際の逸話や状況を書いた、変わった作品である。
歴史上の人物の死は、すでによく見知っているような気がする。だから退屈か、と思ったが、読み始めるとやめられない。いずれも死によって、その生がぎらりと照り返される瞬間が見える。そして、死はどうしようもなく理不尽だ、と打ちのめされる。
「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」(人間臨終図巻 山田風太郎)
だが、今年の死者の中には、自らの死を必然と考えて、必然となるべく実行した人も勿論(もちろん)いる。ここに名を挙げた中では、清水由貴子さんと加藤和彦さんである。
彼らに何が起きて、何を考えたのか。小説家の安易な想像はやめにしよう。いや、自死には、想像を峻拒(しゅんきょ)するところがある。しかしながら、死を決意するまでの膨大な時間に思いを馳(は)せると悲しい。自死が周囲に及ぼす衝撃は、その意味で大きい。
そして、自死と言えば、私には忘れられない人がいる。俳人の飯島晴子さんである。
「蛍の夜老い放題に老いんとす」
この有名な句を詠まれた時は、まだ六十六歳だった。写真を見ると、背筋の伸びた、とてもお洒落(しゃれ)な美しい人だ。
だが、飯島さんは約十年前、七十九歳の時に自死されて旅立った。その理由も、どんな風に亡くなられたのかも、一切公表されてはいない。
山田風太郎が『人間臨終図巻』に、飯島晴子さんの稿を加えるとしたら、何と書くだろうか。
「五月三十一日に著者校正を終え、六月六日自死した。だが、その理由と方法は一切明かされていない」
そう書かれることによって、飯島さんの生は一層強く、光彩を放つことになろう。他方、死がいかに個人的なことかもよくわかるのである。人の死に様を知ろうなど、いかに傲慢(ごうまん)なことか、と。
死者の生を知りたいが故に、生者は死に方を知りたいのである。しかし、死んでゆく者だけは、自分の死を眺めることができない。だから、自死を選び、他人の想像を拒むのかもしれない。
ちなみに、徳間文庫版『人間臨終図巻』の解説を書いたのは、評論家の平岡正明さんである。平岡さんも、今年七月九日、鬼籍に入られた。=毎週日曜日に掲載
毎日新聞 2009年12月13日 東京朝刊