厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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<<   作成日時 : 2010/03/02 13:51   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 32 / トラックバック 0 / コメント 14

商工中金が出しておられる機関誌「商工金融」の2月号巻頭言で神戸大学大学院経営学研究科の加護野教授が「ファミリー企業の強さ」というタイトルで書いておられます。要するにこれまでイメージのよくなかった「ファミリー企業(同族企業)」の強みを再認識すべきだというものです。

本文の焼き直しになってしまうのですが、日本を代表する高収益企業(特に輸出企業)のうちトヨタはもとよりスズキなどが現実に同族で、米国でもビッグスリーのうちつぶれなかったフォードだけが同族支配が残っている、と書かれているのを見て、なるほど、と感じました。加護野教授は肩書きからもわかるとおり素人ではなく経営学の専門家ですが、最近の経営学の専門家の間で見直しの機運が出ているというのは興味深いことです。たまたまかんべえさんのブログでもトヨタの社長がトヨダさんであることの重要性を書いておられました。たぶん根っこにあるのは同じことだろうと思いました。

加護野教授は、株主の有限責任制度が深刻なモラルハザードを引き起こす可能性があり、だからこそ、それを抑えるための仕組みが会社経営に有効であり、そのひとつが「コミットメントを持つファミリーに統治をゆだねる」ことだというのです。(ちなみに後二つは、「モラルハザードを起こしにくい株主に株を持ってもらうこと」(持ち合いなど)と、「経営者の長期的コミットメントを高めるような報酬制度の導入」(退職金や年功賃金などを含む報酬の後払い制度など)。)ここでいう株主のモラルハザードとは、有限責任制度のもと、株主ができるだけ自分が株主であるうちに会社から多くのキャッシュを受け取ろうとすることです。しかも一旦払われた配当は手続きが正当におこなわれる限り返還請求されません。だから、株主には会社の長期的なビジョンを犠牲にしてでも多くのキャッシュアウトを期待するインセンティブが働いてしまうことがあるのです。

最近まで多くの意見がコーポレートガバナンスの観点から同族支配というものに対してやや批判的なものが多かったと思うのですが、市場至上主義と有限責任が結びついた結果の株主の暴走によって金融市場がゆがめられ、その結果としてバブルやその崩壊がおき、世界がその後始末に苦しんでいる今となっては、「相対的に」加護野教授のような意見のほうが説得力を持ち始めているのだと思います。

そういえば最近の大きなニュースとして某大手生命保険会社が相互会社から株式会社に転換されました。加護野教授の文章にも書かれているのですが、意外に知られていないことですが、日本の保険会社がもともと株式会社主体で、明治の終わりごろまさに株主のモラルハザードによって深刻な問題を生じた結果、保険業法が改正されて「相互会社」制度ができたのです。しかも、この教訓から「株式会社から相互会社」への転換は認められても「相互会社から株式会社」への転換は法律上認められず、1995年の業法改正まで待たなければならなかったのです。

保険会社にしか認められていない「相互会社」という制度は設計としてまさに金融システム安定のための安全弁として機能させるための制度でした。その代わり相互会社は保険契約者を「社員」とする閉鎖的な形態をとる必要があります。まさに相互扶助を目的とする、という理由付けで市場の荒波から切り離すことが相互会社制度の目的だったはずです。

実はウィキペディアをみてちょっと腰を抜かしたのですが相互会社は「非営利法人」なんだそうです。今流行の言葉でいうとNPOってことですか?あまりNPOのガバナンスとか記事にもならない。ところが、相互会社に対するメディアの捉え方は「ガバナンスが不足している」とか「透明性が足りない」とかいうものです。しかも、本来システムの安定性を願わなければならない監督当局までも、相互会社より株式会社のほうが優れているような見方を(少なくとも過去のある時点では)もたれていたような気がします。しかし、もともとそのような無意味な外部の声を遮断して契約者のために事業を運営する閉鎖的な集団が相互会社だということです。。とはいえ、現実には金融危機時にいくつかの会社が破綻しており中には明らかにガバナンスに問題があったところもあるので何とも言えない部分はあります。だからこそ、最高決議機関のありかたを工夫する余地は残ってますし、もちろん保険契約者に対してはきちんとデータを開示し自由意志による加入脱退を担保する仕組みをもって向き合っていかなければなりません。また必要な資金調達があれば市場に対し必要な開示をやっていかなければなりません。そういうことをきちんとやった上で相互会社の持ついい意味での閉鎖性を大事にして長期的な「顧客」の利害に経営を合致させることが、ひいてはシステムの安定や契約者の保護につながるように思えるのです。

実は市場主義の総本山みたいなアメリカでも生命保険会社のなかで「相互会社」は意外に多いのです。というか昔は多くがそうでして、メットライフみたいな大きなところも昔は相互会社でした。今でも大手ではニューヨークライフなどが相互会社であり、特に業態変更をする予定はないようです。さらにこの金融危機におけるパフォーマンスを見てみると意外というか当然というか、相互会社は耐久力が強い。ニューヨークライフ、ノースウェスタンミューチュアルといった相互会社はこの金融危機のあとでもトリプルAなど最上位格付けを維持しているのに、株式会社はAIGを筆頭にいろいろあって格下げになったところも多い。言いたいのは、「相互会社」だから経営に問題が生じるとか都合が悪いということはないということです。

話がそれましたが、どんどん株式会社化してみんなが自由に株主になってあらゆる会社の株を自由に取引できるという姿も美しいですが、その価値観を是とするためには、株主の自由意志を貫徹することで社会的正義、公正、そして発展成長が図れるという前提が必要だろうと思います。現実には必ずしもそうならないことがわかった以上、多少なりとも価値観の転換が必要な時期に来ているのではないでしょうか?株式会社制度のメリットはきわめて大きいのであることは言うまでもありません。しかし教条主義的に一般に開かれた公開株式会社がすべてであり、同族経営や相互会社がすべてだめ、といった捉え方もかなり偏った見方といわざるを得ないと思います。ファミリー企業にはしばしば製品への強い思いがある。これへのこだわりが時には重要だと思うのです。本当に大事なのは顧客であるという立場を貫くのであれば、株式会社制度の持つメリットとそうした価値観との理想的な折り合いを模索していくなかで、同族支配というチョイスは意外にありかもしれません。加護野教授は同族が支配権のある普通株を持ちほかの株主は主に優先株で保有させるべきだという提案をされています。興味深いところです。(ほとんど他人の文章ですみません)。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
結局、経営形態による優劣は少なく、その主体の優劣による差異が大きい、ということでしょうか?
同族企業、外資系企業両方に私は勤務しましたが、経営についての優劣は感じませんでした。社風は恐ろしく違いましたけど(^^)
40歳無職
2010/03/02 21:11
仰せの通りですね。結局株式衆愚制にみたいなん感じで、ギリシャ・ローマが地中海貿易で儲けても、結局アホな国民と能力のない為政者によってだめになったのと一緒。結局日米との株式の公開だのやった企業が合併だのM&Aだの繰り替えした挙句、双方の代表的企業は軒並みだめになりましたよね。その一方今伸びている新興企業はこのあほな市場にさらさなった企業及び国家ですよ。経営だのどうのだのでは制度の問題です。経営というと総じて、なんか中立的なまともな人々といいますが、おっしゃるようにコミットしない未責任な能無しの集団です、ハイ。
かる
2010/03/04 22:21
株主主権と民主主義が乖離しているということを自覚し始めたのかな?
数字に対して純粋であろうとすれば、株主主権は理解出来ます。
でも、数字は人間が扱うことが出来る不完全な道具にすぎず、それを過信することが科学と呼ぶのに違和感を感じます。
でも、同族企業が存在する自由は保障されるべきだけど、賞賛するのはどうかなと思いますね。
kazzt
2010/03/04 23:30
40歳無職さん、どうもです。ご指摘の通りの趣旨かと思います。苛斂誅求の独裁国家もあれば理想的な民主主義もあり、また望ましい絶対君主も、衆愚政治も両方ある。経営は経営する方も働く方もしょせんは人、なのだと思います。

かるさん、どうもです。まあ色々な意見があるとしても、企業は社会的に有用な実体であり、マネーゲームの対象からは一歩距離を置くべきだとは思います。

kazztさんどうもです。株式会社制度の成り立ちや理論的背景からも株主が絶対であることは言うまでもないのですが、社会という座標軸も必要だろうということでしょう。本文は、同族企業そのものが称賛されるという意味ではなく、必ずしも同族でない企業だけが望ましいわけではない、という程度の趣旨です。
厭債害債
2010/03/05 04:08
オーナー経営者会社とサラリーマン経営者会社、上場会社と非上場会社という区別はわかりますが…創業大株主の親族が経営を支配する一部上場企業も、非上場でも資本と経営が分離している会社もあります。

上場企業の情報開示は、株式市場から容易に資金調達できるようになる企業に対し、情報弱者である不特定多数の個人株主を救済する目的(株式市場での詐欺的資金集めの防止策)で定められた制限に過ぎないと思います。倒産防止とか、事業を成功のためとか、経営面での効果は、そもそも期待していないと思います。

非上場の企業は、大抵の場合オーナー経営型となっており経営者は「全ての情報を知っている立場」とみなされる事で(実際は、一番現場情報から遠かったりしますが)、少なくとも有限責任の範囲で責任を負いますし、借入の際に連帯保証をする事で無限責任を負うこともあります。責任を通じたガバナンスという面ではオーナー型の方が直接的です。

アメリカ型経営でガバナンスが重視された経緯は、上場サラリーマン経営者型企業で不祥事が連発した事(ITバブルやエンロンショック、そして今回の金融危機ほか諸々)に対する反省でしょう。また株主だけでなく経営者にも相当なキャッシュアウトの誘引が働いている事はご存知だと思います。

そして、日本にガバナンスの概念が導入される中で、新興上場市場を振興したいがためにガバナンスの「目的」がアレンジされ、それが上場企業の方が優れているという思い込みにつながったのではないでしょうか。結局のところ、日本でも新興上場市場は酷い有様だし、ライブドア事件もありました。彼らみたいな存在を排除するために、各種の制限を加える事がガバナンスなわけです。で、制限が強くなりすぎて上場のメリットが見出せなくなった結果IPOが減少しちゃったみたいな。
通行人
2010/03/08 16:33
>株式会社制度の成り立ちや理論的背景からも株主が絶対であることは言うまでもないのですが

それが違うんだって(笑)
そこに絶対を定義すれば金を株に変えるというとに絶対を定義させることに成る。
そのもともとの金が人間同士しか通用しないいかさまなんだよ。

犬が金を欲しがるかい。
鳥が金を大切にするかい。
波が金で動くかい。
土が貨幣を・・・・・

貨幣は壊れている人間と言う象徴だ!

kazzt
2010/03/13 01:21
数年前ですが、沖縄でひらかれた<a href="http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/10325/FBforumPROGRAM0115.pdf">ファミリービジネスフォーラム</a>に出席する機会がございました。日本は、100年以上続く企業の数がとても多いそうで、その多くがファミリービジネス。万世一系を長男相続というような規則で縛ってしまうとぼんくら三代目という弊害もあるのかもしれませんが、ご賢察の通り見るべきものも多いのではないかと感じました。能力を十分に評価せず、という意味では、本邦大企業の年功序列だって十分に同族経営と同じような弊害があるかもしれませんし、マネジメントの人材確保や経営者教育という意味では利もあるのかもしれず、こういう経営スタイルもあってよいのではないかと思います。
はりねずみ
2010/03/15 07:31

株の保有期間で配当に重み付けをするというのがあります。
3/31一日だけ持っていた人と、10年持ってくれた人が同じ配当では不公平ではと

詳しくは本人のサイトで
ぐっちーさんのところで見ました
2010/03/15 22:28
通行人さん、コメントありがとうございます。何でもやりすぎると本来の趣旨を外れてしまうということでしょうか。

kazztさんどうもです。ややワタクシの趣旨とは異なるようです。

はりねずみさん、どうもです。数値で表しがたい部分が経営全般には多いように思いますね。

グッチーさんのところで見ましたさん、どうもです。確かにそういうのもありだとは思います。現在の基準日制度はいろいろ制度的に使える面もあるのですが、実務的な制約から生まれる不自然さはありますね。
厭債害債
2010/03/18 00:31
長々と失礼しました。要約すると、
1.少数大株主が経営までタッチしている会社の方が、株主統制は直接的に利いているが、倒産しようがどうなろうが、普通の個人にとっては他人事なので、気が付いている人が少ない
2.コンプラ規制は個人株主保護(というより証券市場活性化)が目的であって、経営品質を表す指標として想定されたものではないし、上場企業の経営能力が優れていることも保証しない。上場企業が競争に強いのは経営リソース(人、設備、金、技術)を多く保有しているから。
3.最近の株主保護の法規制強化は、上場非ファミリー企業で不祥事が相次いだことが原因であり、問題は「潰すには大きすぎる」非ファミリー企業にこそある
という事です。

「独裁型経営は成功時の成果も失敗時のロスも大きい、逆に合議型経営はリスクは小さくなるが成果も小さい。カリスマ経営者が持てはやされるのは、成功事例に限れば成果が大きいから。」という事も言えます。

そして、大きな失敗をしたら倒産して消え去るのが企業です。コンプラが重視されるのは、上場企業が巨大化していて、倒産すると社会的影響(多数の個人株主、銀行、取引先の資金繰りなど)が大きいから、「潰さないために先んじて規制を加えて無茶な経営による頓死を避ける」という側面もあるかと思います。IT化のお陰でかなりの規模の企業も分社化せずに一括でマネジメントできるようになりましたが、果たしてそれが良い事なのか。余談ですが。
通行人
2010/03/18 15:12
それと、弱小企業では経理などお金に触る職種に、赤の他人を当てるのは防犯上のリスクがあります。相互牽制を行うだけの人員がいませんし、給与だって払いきれません。奥さんが経理を担当するケースが多いのは、最終的に財布が一緒なので流用するメリットが無いという所にあり、ファミリー企業形態を選択せざるを得ません。

あと、はりねずみさんに補足するなら、生き残っているというスクリーニングを経た長寿企業は「直系がボンクラなら養子縁組」をしています(だから日本に限らず昔から悲恋を題材にした戯曲の名作が多い)し、家訓・家法などで相当に自己抑制的な戒めを自らに課しています。名士としてのプライドもあり、自分で自分の顔に泥を塗る事になる反社会的な事は避けます。また、組織としての一体感を醸成するのにファミリーという括りは非常にシンプルでわかりやすくもあります。

この辺は、非アメリカ系というか、イギリスなどの歴史が長い国では比較的重視されている考え方ではないでしょうか。

企業統治の形態は多種多様であるにしても、日本という国に非常に多いファミリー企業という形態について、外国から評価され、一方自分たちはアメリカの制度を無批判に受け入れて、一番数が多くそれなりにパフォーマンスを示してきたファミリー企業という形態を、ろくに研究すらせずに思い込みで否定して、あまつさえ「改革すべき」と簡単に言い切ってしまう(しかも、経営した事が無いような)人が多い現状は馬鹿馬鹿しいと思わざるを得ません。
通行人
2010/03/18 15:37
通行人さん、どうもです。ご指摘の中にもありましたが、ファミリー企業は「成長」という課題のなかで、上場するか否かとか海外の価値観などとの相克があったのだろうと想像しています。最近一部の論調のなかで成長そのものの必然性に疑問を呈するものもあり、また欧米流の価値観への反省が生まれる中で、ファミリー企業の見直しが出てきているように思えます。さまざまな観点からのご意見大変参考になりました。ありがとうございます。
厭債害債
2010/03/20 11:16
右肩上がりの時期には市場がどんどん拡大していきます。そういう時代の成長率0%はシェア低下を意味します。また、その時代の成長産業は装置型の製造業が多かったので、次の設備投資までのスパンを短くすることで競争優位になる必要があり、成長戦略が重要だったのも事実です。
しかし、昨今の成長戦略は、経済が停滞して右肩上がりの前提が崩れたのと同時に、どちらかというと、株価対策を目的とした株主向けの宣伝であり、背中を押されて実行せざるを得ない(あるいは、そもそも市場から金を引き出すための詐欺的な・・・)ものがあります。必然性というよりは手段が自己目的化してしまっているのではないかと感じます。
また、世の中の企業の大きさにそれなりの限界があるという事は、やはり効率的な経営が可能なサイズというのが存在し、ある大きさを超えると弊害が目立ってくるという面もあろうかと思います。
つまり、価値観の対立ではなく、徹頭徹尾、企業の外的環境にリアクションするという経済合理性の違いではないかというのが、成長戦略に対する僕の考えです。

また、昨今IPOに対する魅力が大幅に薄れているのも、価値観の闘いなどではなく、ただの経済合理性でメリットよりデメリットが大きくなった事にあると思います。

正直、価値観などと言う言葉で説明しようとする態度には、あまり意味が見出せないというのが本音であります。

議論があまりに個人的なツボにはまっていたため、長々と大変失礼いたしました。
通行人
2010/03/21 03:07
通行人さん、どうもです。なるほど、企業にとっては価値観という言葉ではなく外部環境と適合戦略というのが決め手ということでしょうか。それはおっしゃる通りだと思います。一方で、ファミリー企業が外部から見て是か非かという観点(それ自体くだらないといわれそうですがまあ本エントリーがそういう一般的な視点をテーマにしているのでお許しください)からは、「成長をそれほど志向しない」というような通行人さんのおっしゃる合理的な行動をとる場合に評価されるかどうかというのは、時代の変化によって視点が変わるのであり、まさに(企業側のではなく)市場の価値観といえるかなとは思います。もっといえば、外部から見たファミリー企業の魅力自体の絶対値は時代によって変わることがなく、そうでない企業の魅力が時代(その成長性)によって大きく変動するだけだということもできるかもしれませんね。色々と考えさせられました。
厭債害債
2010/03/21 10:40

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