商工中金が出しておられる機関誌「商工金融」の2月号巻頭言で神戸大学大学院経営学研究科の加護野教授が「ファミリー企業の強さ」というタイトルで書いておられます。要するにこれまでイメージのよくなかった「ファミリー企業(同族企業)」の強みを再認識すべきだというものです。 本文の焼き直しになってしまうのですが、日本を代表する高収益企業(特に輸出企業)のうちトヨタはもとよりスズキなどが現実に同族で、米国でもビッグスリーのうちつぶれなかったフォードだけが同族支配が残っている、と書かれているのを見て、なるほど、と感じました。加護野教授は肩書きからもわかるとおり素人ではなく経営学の専門家ですが、最近の経営学の専門家の間で見直しの機運が出ているというのは興味深いことです。たまたまかんべえさんのブログでもトヨタの社長がトヨダさんであることの重要性を書いておられました。たぶん根っこにあるのは同じことだろうと思いました。 加護野教授は、株主の有限責任制度が深刻なモラルハザードを引き起こす可能性があり、だからこそ、それを抑えるための仕組みが会社経営に有効であり、そのひとつが「コミットメントを持つファミリーに統治をゆだねる」ことだというのです。(ちなみに後二つは、「モラルハザードを起こしにくい株主に株を持ってもらうこと」(持ち合いなど)と、「経営者の長期的コミットメントを高めるような報酬制度の導入」(退職金や年功賃金などを含む報酬の後払い制度など)。)ここでいう株主のモラルハザードとは、有限責任制度のもと、株主ができるだけ自分が株主であるうちに会社から多くのキャッシュを受け取ろうとすることです。しかも一旦払われた配当は手続きが正当におこなわれる限り返還請求されません。だから、株主には会社の長期的なビジョンを犠牲にしてでも多くのキャッシュアウトを期待するインセンティブが働いてしまうことがあるのです。 最近まで多くの意見がコーポレートガバナンスの観点から同族支配というものに対してやや批判的なものが多かったと思うのですが、市場至上主義と有限責任が結びついた結果の株主の暴走によって金融市場がゆがめられ、その結果としてバブルやその崩壊がおき、世界がその後始末に苦しんでいる今となっては、「相対的に」加護野教授のような意見のほうが説得力を持ち始めているのだと思います。 そういえば最近の大きなニュースとして某大手生命保険会社が相互会社から株式会社に転換されました。加護野教授の文章にも書かれているのですが、意外に知られていないことですが、日本の保険会社がもともと株式会社主体で、明治の終わりごろまさに株主のモラルハザードによって深刻な問題を生じた結果、保険業法が改正されて「相互会社」制度ができたのです。しかも、この教訓から「株式会社から相互会社」への転換は認められても「相互会社から株式会社」への転換は法律上認められず、1995年の業法改正まで待たなければならなかったのです。 保険会社にしか認められていない「相互会社」という制度は設計としてまさに金融システム安定のための安全弁として機能させるための制度でした。その代わり相互会社は保険契約者を「社員」とする閉鎖的な形態をとる必要があります。まさに相互扶助を目的とする、という理由付けで市場の荒波から切り離すことが相互会社制度の目的だったはずです。 実はウィキペディアをみてちょっと腰を抜かしたのですが相互会社は「非営利法人」なんだそうです。今流行の言葉でいうとNPOってことですか?あまりNPOのガバナンスとか記事にもならない。ところが、相互会社に対するメディアの捉え方は「ガバナンスが不足している」とか「透明性が足りない」とかいうものです。しかも、本来システムの安定性を願わなければならない監督当局までも、相互会社より株式会社のほうが優れているような見方を(少なくとも過去のある時点では)もたれていたような気がします。しかし、もともとそのような無意味な外部の声を遮断して契約者のために事業を運営する閉鎖的な集団が相互会社だということです。。とはいえ、現実には金融危機時にいくつかの会社が破綻しており中には明らかにガバナンスに問題があったところもあるので何とも言えない部分はあります。だからこそ、最高決議機関のありかたを工夫する余地は残ってますし、もちろん保険契約者に対してはきちんとデータを開示し自由意志による加入脱退を担保する仕組みをもって向き合っていかなければなりません。また必要な資金調達があれば市場に対し必要な開示をやっていかなければなりません。そういうことをきちんとやった上で相互会社の持ついい意味での閉鎖性を大事にして長期的な「顧客」の利害に経営を合致させることが、ひいてはシステムの安定や契約者の保護につながるように思えるのです。 実は市場主義の総本山みたいなアメリカでも生命保険会社のなかで「相互会社」は意外に多いのです。というか昔は多くがそうでして、メットライフみたいな大きなところも昔は相互会社でした。今でも大手ではニューヨークライフなどが相互会社であり、特に業態変更をする予定はないようです。さらにこの金融危機におけるパフォーマンスを見てみると意外というか当然というか、相互会社は耐久力が強い。ニューヨークライフ、ノースウェスタンミューチュアルといった相互会社はこの金融危機のあとでもトリプルAなど最上位格付けを維持しているのに、株式会社はAIGを筆頭にいろいろあって格下げになったところも多い。言いたいのは、「相互会社」だから経営に問題が生じるとか都合が悪いということはないということです。 話がそれましたが、どんどん株式会社化してみんなが自由に株主になってあらゆる会社の株を自由に取引できるという姿も美しいですが、その価値観を是とするためには、株主の自由意志を貫徹することで社会的正義、公正、そして発展成長が図れるという前提が必要だろうと思います。現実には必ずしもそうならないことがわかった以上、多少なりとも価値観の転換が必要な時期に来ているのではないでしょうか?株式会社制度のメリットはきわめて大きいのであることは言うまでもありません。しかし教条主義的に一般に開かれた公開株式会社がすべてであり、同族経営や相互会社がすべてだめ、といった捉え方もかなり偏った見方といわざるを得ないと思います。ファミリー企業にはしばしば製品への強い思いがある。これへのこだわりが時には重要だと思うのです。本当に大事なのは顧客であるという立場を貫くのであれば、株式会社制度の持つメリットとそうした価値観との理想的な折り合いを模索していくなかで、同族支配というチョイスは意外にありかもしれません。加護野教授は同族が支配権のある普通株を持ちほかの株主は主に優先株で保有させるべきだという提案をされています。興味深いところです。(ほとんど他人の文章ですみません)。 |
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結局、経営形態による優劣は少なく、その主体の優劣による差異が大きい、ということでしょうか? |
40歳無職 2010/03/02 21:11 |
仰せの通りですね。結局株式衆愚制にみたいなん感じで、ギリシャ・ローマが地中海貿易で儲けても、結局アホな国民と能力のない為政者によってだめになったのと一緒。結局日米との株式の公開だのやった企業が合併だのM&Aだの繰り替えした挙句、双方の代表的企業は軒並みだめになりましたよね。その一方今伸びている新興企業はこのあほな市場にさらさなった企業及び国家ですよ。経営だのどうのだのでは制度の問題です。経営というと総じて、なんか中立的なまともな人々といいますが、おっしゃるようにコミットしない未責任な能無しの集団です、ハイ。 |
かる 2010/03/04 22:21 |
株主主権と民主主義が乖離しているということを自覚し始めたのかな? |
kazzt 2010/03/04 23:30 |
40歳無職さん、どうもです。ご指摘の通りの趣旨かと思います。苛斂誅求の独裁国家もあれば理想的な民主主義もあり、また望ましい絶対君主も、衆愚政治も両方ある。経営は経営する方も働く方もしょせんは人、なのだと思います。 |
厭債害債 2010/03/05 04:08 |
オーナー経営者会社とサラリーマン経営者会社、上場会社と非上場会社という区別はわかりますが…創業大株主の親族が経営を支配する一部上場企業も、非上場でも資本と経営が分離している会社もあります。 |
通行人 2010/03/08 16:33 |
>株式会社制度の成り立ちや理論的背景からも株主が絶対であることは言うまでもないのですが |
kazzt 2010/03/13 01:21 |
数年前ですが、沖縄でひらかれた<a href="http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/10325/FBforumPROGRAM0115.pdf">ファミリービジネスフォーラム</a>に出席する機会がございました。日本は、100年以上続く企業の数がとても多いそうで、その多くがファミリービジネス。万世一系を長男相続というような規則で縛ってしまうとぼんくら三代目という弊害もあるのかもしれませんが、ご賢察の通り見るべきものも多いのではないかと感じました。能力を十分に評価せず、という意味では、本邦大企業の年功序列だって十分に同族経営と同じような弊害があるかもしれませんし、マネジメントの人材確保や経営者教育という意味では利もあるのかもしれず、こういう経営スタイルもあってよいのではないかと思います。 |
はりねずみ 2010/03/15 07:31 |
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ぐっちーさんのところで見ました 2010/03/15 22:28 |
通行人さん、コメントありがとうございます。何でもやりすぎると本来の趣旨を外れてしまうということでしょうか。 |
厭債害債 2010/03/18 00:31 |
長々と失礼しました。要約すると、 |
通行人 2010/03/18 15:12 |
それと、弱小企業では経理などお金に触る職種に、赤の他人を当てるのは防犯上のリスクがあります。相互牽制を行うだけの人員がいませんし、給与だって払いきれません。奥さんが経理を担当するケースが多いのは、最終的に財布が一緒なので流用するメリットが無いという所にあり、ファミリー企業形態を選択せざるを得ません。 |
通行人 2010/03/18 15:37 |
通行人さん、どうもです。ご指摘の中にもありましたが、ファミリー企業は「成長」という課題のなかで、上場するか否かとか海外の価値観などとの相克があったのだろうと想像しています。最近一部の論調のなかで成長そのものの必然性に疑問を呈するものもあり、また欧米流の価値観への反省が生まれる中で、ファミリー企業の見直しが出てきているように思えます。さまざまな観点からのご意見大変参考になりました。ありがとうございます。 |
厭債害債 2010/03/20 11:16 |
右肩上がりの時期には市場がどんどん拡大していきます。そういう時代の成長率0%はシェア低下を意味します。また、その時代の成長産業は装置型の製造業が多かったので、次の設備投資までのスパンを短くすることで競争優位になる必要があり、成長戦略が重要だったのも事実です。 |
通行人 2010/03/21 03:07 |
通行人さん、どうもです。なるほど、企業にとっては価値観という言葉ではなく外部環境と適合戦略というのが決め手ということでしょうか。それはおっしゃる通りだと思います。一方で、ファミリー企業が外部から見て是か非かという観点(それ自体くだらないといわれそうですがまあ本エントリーがそういう一般的な視点をテーマにしているのでお許しください)からは、「成長をそれほど志向しない」というような通行人さんのおっしゃる合理的な行動をとる場合に評価されるかどうかというのは、時代の変化によって視点が変わるのであり、まさに(企業側のではなく)市場の価値観といえるかなとは思います。もっといえば、外部から見たファミリー企業の魅力自体の絶対値は時代によって変わることがなく、そうでない企業の魅力が時代(その成長性)によって大きく変動するだけだということもできるかもしれませんね。色々と考えさせられました。 |
厭債害債 2010/03/21 10:40 |
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