「2030年問題」をご存じだろうか。たぶんどなたもご存じないはずだ。私が考えた問題だから。冗談はともかく、このところこの問題が、ずっと心にひっかかっている。
かつて本欄で、ひきこもりやニートの若者たちの間で、急速に高年齢化が進みつつあることを述べた。厚生労働省ひきこもり研究班の調査の一環として、私が調べたところでは、現在ひきこもりの若者の平均年齢はすでに30歳を超えつつある。ひきこもりが20年以上に及ぶような超長期化事例や、就職後にひきこもるケースが増えたことなどが原因と思われる。
このうち、40代なかばを過ぎた「ひきこもり第1世代」の人々が、少なく見積もっても10万人以上は存在する。「2030年問題」は、彼らの存在とかかわりが深い。
2030年、つまり今からおよそ20年後に、彼らの多くが65歳になる。つまり、老齢年金受給年齢を迎えるのだ。これが何を意味するか。親の年金で生活し、それまでほとんど所得税を納めたことのない「高齢者」集団が、一挙に“出現”するのである。
親が年金を支払い続けてきた彼らには、当然ながら受給資格はある。しかし周知のとおり、年金の財源には税金も含まれる。いかに資格があるとはいえ、ほとんど税金を負担してこなかった彼らの存在を、われわれはすんなり受け入れられるだろうか。
おそらく、それは難しいだろう。20年後、われわれが年金について現在よりも寛容である可能性は低い。彼らは年金制度へのフリーライダーとみなされ、世間から激しいバッシングを受けることになるだろう。
これは予言などではない。今起きつつある二、三の現実を組み合わせれば、むしろ起こらない方が不思議なくらいの事態なのだ。しかしこの問題は、本当に“彼ら”だけの責任と言えるのだろうか。
少し話は変わるが、ある病気がどれだけ社会に損失を与えているかを検討する際に、「障害調整生存年(DALY)」という指標が用いられることがある。WHO(世界保健機関)が開発したもので、その病気に罹患(りかん)した患者の死や障害がどれほどの時間的損失につながっているかを一元的に示すことができる。国際比較も容易であるため、国の健康政策を決定するうえでも、きわめて重要な指標とされている。
この指標にもとづいて考えると、必ずしも死因に直結しないけれども、社会的に重要な病気がどんなものであるかが見えやすくなる。
ちなみにDALYに基づいて評価するなら、わが国では「がん」「うつ」「脳血管障害」が主要3大疾患ということになる。意外に思われただろうか。そう、「うつ」をはじめとする精神疾患は、この視点からは、きわめて重要な対策課題としてみえてくるのだ。
たとえばアメリカでは、疾患の研究に投じられる研究費の額はDALYとよく相関していると言われる。しかしわが国では、この視点がとられることは少ない。予算の配分で重視されるのは、相変わらず身体疾患に偏っており、精神疾患対策の費用はその半分程度である。これは「死因」につながる疾患を重視しているというよりは、こころの問題を軽視しがちなあしき伝統ゆえではないか。
DALYの発想は、ひきこもり問題にも応用可能だ。たとえば病気を「時間的損失」ととらえる視点。ひきこもりは必ずしも「病気」とは言えないが、みずからの意思に反して無為にひきこもり続ける生活もまた、「時間的損失」につながっている。あるいは「2030年問題」のように、不本意ながら他者の時間を奪ってしまうような事態も考えられる。
DALYの話を持ち出したのは、民主党政権が従来のように、心の問題を軽視する慣習をそのまま受け継いでしまう懸念があるからだ。さきごろの事業仕分けでは、「若者自立塾」があやうく廃止されかけた。
確かに短期的な費用対効果を考えた場合、多くの若者支援策は分が悪い。しかし若者政策とは、いつかは芽生えることを信じて種をまき続けるような行為ではないだろうか。時には時間のモードを変えてみることで、本当に優先すべき課題が見えてくることもあるはずだ。DALYという視点から、ひきこもりをはじめとする若者問題を見るなら、その多くがまさに喫緊の課題であることは論をまたない。
柄にもなく予言めいたつぶやきを記した理由は、ほかにもある。
私は将来、かなり確実に起こるであろうことをここに記しておいた。今ならまだ、回避できるかもしれない問題として。にもかかわらず、もし2030年問題が起きてしまったら、私たちにもその責任の一端くらいはある。少なくとも、私はそう考える。
なぜなら私たちは、それが起こりうる可能性を知りながら、なんの対策もなさずに手をこまねいていたのだから。そう、その意味で私たちは“共犯”になるのだ。すべてが杞憂(きゆう)であることを願いつつも、せめてそうした思いが、軽率なバッシングをためらわせる歯止めとなることを願いたい。=毎週日曜日に掲載
=梅田麻衣子撮影
毎日新聞 2009年12月20日 東京朝刊