もし、あなたが「なんか調子が悪い。うつ病かな」と思って訪れた精神科で、「入院が必要です」と言われたら、どうするだろう。そして、最初は「まあ、1週間くらいかな」と気軽に入院したら、半年、1年と時間がたって、仕事も退職、家族も「いつまでも待っていられない」と離れてしまったら……。
医療者としては「病気の治療は本人のため」と入院を勧めたはずなのに、それがすっかりその人の人生を悪い方に変えてしまう。そんな“悲劇”を防ぐためにも、最近は入院中心から通院中心へ、と精神医療はその軸を大きくシフトさせつつある。とはいえ、まだまだ長期入院を続ける患者さんも少なくない。
そんな中、徹底的に「いま生活している場での治療、支援を」という考え方から、全国初の「在宅ケア専門の精神科医療サービス」を立ち上げた人がいる。京都の高木俊介医師だ。高木医師が、地域に密着したスタッフが患者さんや家族とともに奮闘する在宅ケアの様子を描いた本を出した。その名も、「こころの医療 宅配便」。
入院どころか病院にも来ないで自宅で訪問スタッフを待つ人たちは、「患者さん」ですらない。医者といえども診察室にいるように決まりきった問診だけでは済まず、訪問した家であれこれ世間話もしなければならない。必要な場合はもちろん薬も飲んでもらうが、症状が落ち着くと家族やスタッフと散歩や買い物にもどんどん出かける。思う存分おしゃれもすれば、お気に入りの音楽も聞く。“病気と闘う”ばかりが治療ではないのだ。
たとえ重い精神の病にかかっているとしても、生活の場から遠く離れた病院に入ったり、家の中で息をひそめて暮らしたりする必要はない。なるべく昨日までのままの生活を送りつつ、地域の人たちにもその状態を受け入れてもらう。そのためにはスタッフの想像を絶するような根気が必要になるが、病んでいる人もあたりまえに暮らせる社会は、病んでいない人にも安心でき、希望が持てる場であるはずなのだ。
大学の授業で高木医師の取り組みを紹介したところ、若い学生たちの目が輝いた。「たいへんだけれど、もし僕が病気になったらやっぱりこういうケアを受けてみたい」「もっともっとこの取り組みを紹介し、広げていくべきだ」。ほら、もうそこに希望を見出(いだ)す若者が現れた。人が“患者”や“病人”としてではなく、名前と個性を持ったあたりまえの人間として生きていく手がかりになる精神科在宅ケア。現代の私たちがそこから学ぶべきことは、とても多い。
毎日新聞 2010年4月27日 地方版