-- 先生は、左右を軸にものごとを俯瞰しようと「左右学」を提唱されていますが、これは一体どのようなものでしょうか。
「右」と「左」というのは、どこにでもあるものです。右利き、左利きから、大阪と東京ではエスカレーターを上がり下りする時の並び方が左右違うといったような非常に卑近な例に始まり、体のつくり、宇宙、素粒子まで、右と左という概念とそれによる問題提起はどの分野でも、たくさんあるんです。そうした身近なものを、頭ではなく、徹底して体感したいと思ったんです。私は、元々、理系出身なのですが、人間の問題や文化の問題にも出会えるようなテーマはないだろうかと思っていた矢先、この右と左というテーマに出会ったというのでしょうか…自分を「無」の状態にして、そうした世の中の事を見るのが好きだというのもあるし、分野の境界を越えていける、一種のツールとして左右学の研究をしてみたいと思いました。
-- 右利き、左利きというのはとても身近ですが、分子の「右」と「左」というと?
例えばアミノ酸の分子にも、右と左があります。アミノ酸って、いくつかの原子が連なったものですよね。それら窒素、炭素、水素といった原子をつなげている部分が異なる、つまり構成している原子は同じ、形も似ているけれど、あたかも左手と右手のように、どうしても重ならないものがあるんです。このつながり方の違いによって、出来た分子は同じでも、全く違う性質があると発見されました。今から200年程前の事です。その時に、人間の右手と左手の関係になぞらえて、一方を右と呼ぶ、もう一方を左と呼ぼうということになったんです。
-- 構造が同じという意味で合成物としては同じものでも、性質が違うのですか。
ええ。よく調べたらアミノ酸だけでなく、香料のハッカや、サリドマイドなどでも、右と左があると分かってきました。更に調べると、そのつながり方の違いによって性質が異なると分かったんです。例えばハッカは、非常に良い香りがします。ところが同じ原子から出来ているにもかかわらず、一方は油臭いんです。
-- 同じハッカが油臭いなんて…。
そうなんです。そして非常に不思議な事に、この分子の左右というのは、人工的に合成すると両方とも出来てしまうのですが、生物は右か左か、どちらか片方だけを作る能力があるんです。たんぱく質を構成するアミノ酸は、人間だけじゃなく、ゴキブリでも、大腸菌でも、みんな左型。それしかありません。けれども、なぜ生物が片方だけを作れるのかは、今もって分かっていないのです。ですから、もし人工的に片方だけをうまく合成出来るようになれば――つまり、生き物にしか出来なかった事が出来れば、それはもちろん大発見ですし、それによって命の仕組みに近づくかもしれません。ノーベル賞に値するようなテーマだと言えます。
今、遺伝子工学などが発達して、薬を作るのが比較的、簡単になってきたようにも思いますが、よく効くけれど副作用があるといったように、果たしてその薬が実用化できるかどうかというのは非常に難しいものです。その時に、分子の右、左が分かれば…つまり右なら右だけ、左なら左だけしか入っていないもので実験出来れば、よりその効果が分かるようになるはずです。そうした人工的にやろうとすると非常に難しい事を、生命は、何とはなしに簡単にやっている。それもあって、化学者や生物学者などが、こぞって右と左を巡る研究にかかわっている所です。
左右学的視点で世の中を見渡してみると、例えば、なぜ心臓は左にあるのかと問う人が出てくるんですね(笑)。
-- なぜなんでしょうか。
受精卵において、通常は反時計回りに回るあるタンパク質が、何かの原因で時計回りに回ったために起こると言われており、ここでもやはり右回り、左回りが関係しているわけです。
-- 正にありとあらゆるところに左と右があり、それぞれ意味があるのが面白いですね。私達の最も身近なところでは、やはり右利き、左利きですが。
よく「右利きだと左脳派、左利きだと右脳派」と言われます。左脳は言語的・論理的なコミュニケーションを、右脳は非言語的・直感的なコミュニケーションを司っていることから、芸術家には左利きが多いという話もありますが、これが最近、利き手だけでは決められないと議論されているんです。腕組み、指組みというのを、ご存知ですか? ごく自然に両手の指を組んだ時に、左右どちらの手の親指が上になりますか。
-- 右ですね。反対にすると違和感があります。
では腕組みした時、左右どちらの腕が上になりますか。
-- 右です。
では完全に右利きなんですね。つまり左脳派。僕は、利き手は右なのですが、指組みは左、腕組みも左、利き目も左なんです。こういう人を隠れ左利きと言うんです(笑)。左右学を意識するまで、利き手は右だし、数学が好きだし「完全に左脳型だ」と思っていたのですが、どうも理学仲間と話していると、僕はイメージ先行で直感のきらいがあって(笑)。隠れ左利きだと分かって納得しました。この指組み、腕組みの左右に関しては、認知心理学の分野で研究が進んでいて、他にも、例えば腕組みをして考える時に、頭を左右のどちらに向けて考えているかという事を調べていたりと、まじめに取り組んでいるんです。つまり脳と利き手は、そのままつながる程、単純なものではない、と。むしろ、指組みや腕組みの方が、より脳と関係するのではないかと言っている方もいます。
-- 利き手とは言っても、例えば何かの原因で右手が不自由になれば、左手が使えるようになっていきますね。
私は、社会人大学で看護師さん達と接する機会が多いのですが、彼女らに話を聞くと、交通事故などに遭って、意識が無い人が運び込まれた場合、まず確かめるのが利き手だと言います。それによって、その人の利き脳を調べているのだそうです。右手が利き手で、そこに麻痺があるとなると、言葉を司る左脳に損傷があるのであって、話すためのリハビリの優先順位が下がるそうです。ところが、先の話からすると、右手が動かないからといって言語が話せないという単純なものではなくなります。少なくとも、隠れ左利きの人は言語野のある部分が右脳にある。つまり、たとえ左脳にダメージを受けても、右脳の能力でしゃべれるようになるかもしれないわけです。
リハビリには、初期の対応が重要ですが、そこで利き手の概念が変われば、回復の可能性にも関わってくる。左右学が生きる場面です。
-- 右か左か、利き手一つをとっても話が広がりますね。そうは言っても、なぜ右利きの人が多いのでしょうか。
考古学のデータによると、今から200~250万年前の原人類、ホモハビリスでは、彼らが作った石器を調査したデータによると57%が右利きだったそうです。また、少なくとも5000年前に地球上にいた人間の9割は右利き、残り1割は左利きだとされています。
また縄文人が編んだ「縄文ポシェット」が発見されましたが、それを丁寧に調べると、9割が右利きだとされています。そう考えると、人類の進化は、右利きが増えてきた歴史と言えそうですよね。最初は約6割程度ですが、その後、100何万年かけて、右利きが増えてきた。
-- なぜなんでしょうね。
私見ですが、多分、言葉と道具の発達に関係するのだと思うのです。左脳は言語コミュニケーションに結びついた器官ですが、言葉によるコミュニケーションというのは、要素を元に単語を作り、単語を元に文章を作るという、結構やっかいな仕組みをとっています。それと同じ事が、石器を作る作業に必要だったのじゃないでしょうか。
旧石器時代の後半になると、大きな石から均質な石器を大量に作る高度な技術が生まれています。この道具を作る過程、言い換えれば個々の作業を組み合わせて、時間をかけて、ある一つの形を作り上げていくというのは、文章を作る作業と近いものがあります。つまり道具の発達と共に作業が複雑化し、それを整理するために左脳が刺激され、言葉の発達を促し、右利きの比率を高めていったのではないか、と。
-- なるほど。そうすると、職人さんがインスピレーションで物を作るという考え方は、ちょっと違うかもしれませんね。たとえ言語化されていなくても、確かに職人さんの頭の中には、きっちりと工程が整理されているはずですし。
ええ。ひょっとしたら無口な宮大工のプロが、頭の中では実に雄弁かもしれません(笑)。
-- 先生の経歴はユニークで、元々のご専門は生物学でした。その後、経済学の研究をされるわけですが、ビジネスの世界に直接関わる左右学には、どのようなことがありますか。
ショッピングセンターなどを専門にしている営業の方に話を聞くと、テナントの配置は、左右学に直結していると言います。例えばエレベーターを上がって、右と左、テナント料が高いのはどちらでしょう?
-- 私は右から回りそうなので、右だと思います。
(笑)。左なんです。放っておくと、人って左回りをする習性があるんです。陸上競技などトラック競技をみると、すべて反時計回りなんです。このように、とにかく左回りをするというのが、人が本能的に選ぶ回り方だと言われています。窃盗犯がT字路にぶつかった時に、右と左のどちらに逃げるかというと…。
-- 左なんですか?!
そうなんです。ある県の警察に「T字路に窃盗犯が入り込んだ時に、左に曲がるという前提で警官を配置したら、検挙率が1.6倍になった」というデータがあるそうです。
-- それを聞いたら、あえて右に逃げそうですが(笑)。
左に回るというのは本能的なものなので、とっさの時に右に逃げるのは難しいかもしれませんね。そうした性質を営業に使っている人がいて、例えばコンビニなども左回りの流れを基本としていたり、商品の陳列にも影響を与えていたりと、左右学を意識している人たちが結構いるんです。
-- そう思ってコンビニに行くと、楽しそうですね(笑)。
あるいは美術館や博物館でも、基本的に人は左に回るという事を考えて展示がなされていたりとか、映画館でどちらの席から埋まるかなど、人の動きを研究している研究者はたくさんいますね。
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