内藤大助 Daisuke Naito |
プロフィル |
1974年(昭49)8月30日、北海道豊浦町生まれ。96年10月プロデビュー。02年4月にタイでWBC世界フライ級王者ポンサクレックに初挑戦も日本人世界戦最短記録の1回34秒でKO負け。05年10月には2度目の挑戦も7回負傷判定で敗れた。その後日本、東洋太平洋の2冠を獲得し、07年7月に3度目の挑戦でポンサクレックを判定で破り、32歳で世界初戴冠。10月の初防衛戦で亀田大毅の反則に苦しみながら判定で圧勝し、国民的人気者になった。08年3月にはポンサクレックと引き分け、その後清水智信、山口真吾を下し4度の防衛に成功している。通算成績は34勝(23KO)2敗3分け。163センチの右ボクサーファイター。家族は真弓夫人と長男亮くん。 |
実家 |
北海道豊浦町内で母道子さんが民宿を経営。同民宿を改築し「内藤記念館」をつくる計画も。 |
自称「最短男」 |
04年10月11日の日本フライ級タイトルマッチ10回戦で、同級4位の小嶋武幸に開始24秒でKO勝ち。1回24秒は日本タイトル戦での最短KOタイム。65年6月に元世界スーパーライト級王者の藤猛(リキ)がマークした45秒を39年ぶりに塗り替えた。ちなみに02年4月のポンサクレックへの初挑戦は1回34秒でKO負けで、こちらも日本人の世界戦最短記録。 |
決意 |
中学時代にいじめを受けたことがきっかけでボクシングに目覚める。中学2年の春からいじめグループに集中砲火を浴び、顔以外の体全体を殴られ、給食を取り上げられたことも。時計など貴重品も強奪された。豊浦高卒業後、離婚して埼玉で暮らしていた実父の経営する会社に勤めてボクシングを始める。 |
ものまね |
日本王座2度目の防衛戦でお笑い芸人の「ギター侍」こと波田陽区をまねたポスターを作成。亀田興毅に「逃げられて、残念! たまには日本人とやろうよ…斬り」と活字で対戦を呼び掛けた。 |
極貧生活 |
初の世界戦が決まった02年3月に勤務先の自動車整備会社を退社。セレス小林とのスパーリングで得た7万円の収入で生活。07年6月まで時給900円で週5回、レンタカー店で働き、喫茶店に勤める真弓夫人と合わせた月収は約12万円だった。 |
サポート |
約300社の企業が加盟する日本ベンチャー協議会と協力関係を締結。チケット購入、ボクシング用品の援助などのサポートを受ける。 |
宮田ジム |
元日本ランカーだった宮田会長が21歳の1987年(昭62)7月に設立した。場所は東京都葛飾区立石。世界王者は内藤が初めて。内藤を含めて日本王者過去3人、東洋太平洋王者1人。 |