【コラム】今こそ韓米首脳が会うべき(上)

 1968年4月17日午後3時53分、ハワイのホノルル空港に到着した「US Air Force」のマークが刻まれた航空機のドアが開き、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(当時)がタラップから降りてきた。米政府関係者の中で最初に朴大統領を迎えたのは、当時のジョンソン米大統領だった。

 ジョンソン大統領は自らが手配した専用機に乗って訪米した朴大統領の手を握った。続いて21発の礼砲と、米軍楽隊による愛国歌の演奏が行われた。ジョンソン大統領はこの日、空港で自ら朴大統領を出迎えるという破格の待遇で、韓米同盟の強固さを内外にアピールした。

 当時は北朝鮮の脅威が絶頂に達していた時期でもあった。同年1月21日には北朝鮮の武装ゲリラ31人が大統領府(青瓦台)を奇襲する目的でソウルに侵入し、国内が大騒ぎになった(1・21事件)。またその二日後の23日には、元山近海で北朝鮮の情報を収集していた米海軍艦艇プエブロ号が拿捕(だほ)された。そのため、韓米両国はベトナム戦争について話し合うと同時に、北朝鮮による相次ぐ挑発に対して強固な体制を確立する必要があった。

 朴大統領とジョンソン大統領は二日間にわたる会談後、4月18日に8項目からなる共同声明を発表した。この声明は、1・21事件およびプエブロ号問題について言及する一方、第3項目で「北傀(北朝鮮)の侵略行為は、韓半島(朝鮮半島)平和に対する最も重大な脅威」と規定した。同時に北朝鮮の挑発および侵略行為に対して迅速に対応することでも合意し、両国は北朝鮮に対する防衛体制を新たに整備した。この「ホノルル声明」を契機に、韓米国防相による定例安保協議会(SCM)も始まった。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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