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【新聞】映画「裸の十九才」から40年 厳しさ増すメディアへの視線

2010年5月10日

  • 筆者 松田修一

 秋葉原無差別殺傷事件の裁判が東京地裁で始まったのを機に、新藤兼人監督・脚本の映画「裸の十九才」(1970年)のDVD版を取り寄せた。68年に連続射殺事件を起こし、のちの97年に処刑される永山則夫の半生を描いたモノクロ作品であるが、やはり永山と秋葉原事件の加藤智大被告には、同じ青森県出身というだけでなく、仕事を転々とし、孤独の中で無差別殺人に走ったことなど、重要な共通点がある。

 ただし、その考察は別の機会に譲り、本稿ではマスコミに対する市民感情について書く。

 映画の中盤と終盤の二度、永山の母親が駅や家で、記者の軍勢にもみくちゃにされ、質問攻めにおののく場面がある。かつて劇場で観たときには気にとめなかったが、今度は加藤被告の両親への取材をめぐり友人から手厳しく非難されたことが思い起こされ、息をのんだ。

 秋葉原事件が起きた2008年6月8日の翌々日、加藤容疑者(当時)の両親が自宅玄関前で会見した。「息子が重大な事件を起こし、被害者に大変申し訳ない」「亡くなられた方や、けがをされた方に本当に申し訳ない」と頭を下げ続ける父親の横で、突然地面に崩れ落ちる母親。テレビに繰り返し放映されたので、ご記憶の向きも多いはずだ。

 半年後の冬、青森市内の居酒屋で、私は高校の同級生からなじられた。「衆人環視の中で、大勢のマスコミが取り囲んで、両親にマイクを突きつけるなんて、リンチじゃないか」。メディアスクラム、つまり集団的過熱取材だと指弾されたのだ。

 実際は、集団でマイクを突きつけたわけではなく、青森県警クラブ内で事前に相談し、1社が代表してインタビューをした。数人が追加質問をしたが、父親は謝罪を繰り返すだけで、会見はものの5分で終了している。

 そもそも会見は、父親側の希望によるものだった。当日の昼、県政クラブを通じて県警クラブに申し出があった。それを聞き、会場を用意し、質問にも答えてもらいたいと考え、記者クラブ幹事社に父親との交渉をお願いした。父親は警視庁の事情聴取を受けて帰ってきたばかりで、あるいは警視庁に口止めされたのか、自宅前での、質問を受け付けない会見を強く希望し、結局はそうなった。決して、記者たちが自宅から引きずり出したという会見ではなかったのだ。

 新聞協会編集委員会が01年12月にまとめたメディアスクラムに関する見解は、「いやがる当事者や関係者を集団で強引に包囲した状態での取材は行うべきではない」と記しており、その見解に照らしてもメディアスクラムには当たらないだろう。

 だが、それらを丁寧に説明しても、友人は納得しなかった。「朝から大勢の記者が押し掛けたら、両親は外にも出られないから仕方なく取材に応じる。引きずり出したのと同じだ」と。気心の知れた友人同士だから率直に言ってくれたのだが、それだけに、ひどくこたえた。どこからがメディアスクラムかといった理屈を超えた、もっと深層心理的なレベルでのマスコミへの反感を、ホンネでぶつけられたように感じたのである。

 「加藤容疑者は25歳の大人なのだから、両親を責めるような取材はおかしい」とも言われた。だが、たまたま秋葉原の路上にいた、何の落ち度もない多数の人命が奪われた悲惨な事件を少しでも理解するには、容疑者の生い立ちを取材しないわけにいかない。家庭環境が事件に決定的な影響を与えただろうことは、加藤容疑者の知人らへのわれわれの取材や、実弟が週刊現代に寄せた手記によっても濃厚になっている。両親はその後沈黙を続けており、取材の試みは成功したとは言えないが、私は今でも、両親への取材は必要だと思っている。

 新藤監督も永山事件について同様の考えを持ったようで、「裸の十九才」DVD版に、「わたしは、取材で、永山則夫の母の貧困におどろいた。板柳(筆者注 青森県内の町)へ行き、母に会い、母の家へ行き、わたしは自分の目で凄まじい貧しさを見た。日本は最低の層へ貧しさを押しつけて栄えたのだ。この貧しさへ視線を向けなければ、連続射殺魔の正体は描けないと思った」という一文を寄せている。

 その割には、新藤監督が描いたメディアスクラムのシーンは、そら恐ろしい。無知な母親の戸惑いを強調したかったのか。あるいは、マスコミの外から見れば、映画のシーンの通りに、当時の取材のありようは正気の沙汰には見えなかったのか。

◆必要を痛感するマスコミのイメージ戦略

 マスコミを負のイメージで描いた映画やドラマは「裸の十九才」に限らない。逆にウォーターゲート事件を描いたアメリカ映画「大統領の陰謀」(1976年)など、記者が正義者として登場する作品も少なくないのだが、記者をハイエナのように描くことの方が、洋の東西を問わず半ばステレオタイプ化している。もちろん、映画やドラマの表現に異を唱えるつもりはない。記者は根源的にそういう見方をされやすい仕事なのだ。そこを自覚し、われわれは、市民感情というものを、もっともっと深刻に受け止める必要があるように思うのである。

 「裸の十九才」から40年。メディアスクラムは新聞協会も対策に乗り出してかなり改善されたのだろうが、秋田の児童連続殺害事件でも問題になったように、十分には克服できていない。また秋葉原事件では、民家への入れ替わり立ち替わりの取材、路上駐車などに苦情が聞かれ、マスコミに向けられる目がむしろ厳しくなっていることを感じさせられた。

 著しい読者離れを見るにつけ、それら取材のあり方における問題点の解決を急がなければならないことは言うまでもなく、マスコミ界全体のイメージ戦略のようなものを、総合的、体系的に考えるべき時に来ているように思えてならない。(「ジャーナリズム」10年5月号掲載)

   ◇

松田修一(まつだ・しゅういち)

東奥日報社編集委員室長。1955年、青森県生まれ。北海道大学卒。81年東奥日報入社。社会部長などを経て現職。

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