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さてはてメモ帳 Imagine & Think!
神経ガスによるマインドコントロール 1 松本サリン事件 

松本サリン事件(1994年6月27日「深」夜)や地下鉄サリン事件(1995年3月20日朝)に対する疑問は、言うまでもなくマスコミ「公式」報道では解かれていない。

各種の疑問点については、以下のページが詳しい(1999に書かれている)。

サリン事件の詳細な実態、および事件の謎
http://www.s-a-t.org/sat/sarin.html
[外部リンク]

サリン事件への問題提起(上記のサブページ)
http://www.s-a-t.org/sat/sarin/teiki.html
[外部リンク]

一部を引用する。

松本サリン事件

◆2 サリン撒布 ― 犯行時間について
 松本サリン事件の主な原因物質はサリンと判明した。次の疑問はサリンがいつ撒かれたかである。
 検察側冒頭陳述では、サリンが撒かれたのは1994年6月27日午後10時40分ころから約10分間とされている (引用注:「オウムの実行犯」はみなこの時間と証言しているそうな→注1)

◆3 犯行時間よりなぜか早く生じている多数の自覚症状
 裁判ではサリンが撒かれたのは1994年6月27日午後10時40分ころからとされている。
 ところが現場周辺の住民2052人に対して,信州大医学部が行ったアンケート調査によると、被害の自覚症状を感じた人は、午後8時から9時までに5人、午後9時から10時まででは8人いたつまり、サリンが撒かれたとされる午後10時40分の2〜3時間前から被害が出ていたことになる。これは午後8時台にはサリンがすでに撒かれ始めたのではないかとの疑問が生じてくる
【参考】
・松本市地域包括医療協議会『松本市有毒ガス中毒調査報告書』1995年3月 112〜113頁

 調査にあたった那須民江・信州大医学部講師は次のように評価している。
「八時台の五人は散在しており、記憶違いの可能性があるが、九時台は、発生現場と同じ番地に四人がまとまっている。症状も共通しており、九時台にサリンが発生したのではないか」(読売新聞1995年6月25日朝刊31面)。

 ここにあげた松本市地域包括医療協議会は松本市医師会、松本市、松本保健所、信州大学医学部から構成され、一定の権威をもっている団体である。成果をまとめて『松本市有毒ガス中毒調査報告書』を出版した。

 午後10時半以前に被害が出ていた、ないし異臭を感じたと記載した新聞記事や単行本はいくつかある。
 最もはやい証言は、午後6時ころ、毛虫が落ちているのが目撃され、刺激臭がした、というものである(毎日新聞1994年7月1日夕刊19面)。 


毎日新聞で報じられた問題の松の木 松本市北深志にて1999年5月23日撮影

 その次は、午後7時ころ、白い霧を目撃した。その後目が痛くなり具合が悪くなった、という(信濃毎日新聞1994年7月1日朝刊39面、読売新聞1994年7月1日朝刊35面)。 

 午後九時台についてもう少しみてみよう。

 八歳の男の子は「午後9時25分に」身体の異常を訴えた(下里正樹『オウムの黒い霧』双葉社212頁。さきほどの『松本市有毒ガス中毒調査報告書』の事例の人)。

 大学生の一人は友人と「9時30分頃帰宅し」変な臭いをかいだ(下里正樹『オウムの黒い霧』双葉社212頁。『松本市有毒ガス中毒調査報告書』の事例の人)。

 Hは事件当夜、松本レックスハイツの真向かいにあるコーポ小林に住む友達のところに遊びに来ていた。コーポ小林を「9時か遅くとも9時半に出た」途端、目がチカチカし、鼻水が出てきた。帰宅後、視野狭窄、頭痛、激しい嘔吐、下痢のため緊急入院した(テレビ朝日の取材班がまとめた磯貝陽悟『サリンが来た街 松本サリン事件の真相』データハウス120頁)。

 Hが被害にあった路から北東約70m先の民家Tは、「9時過ぎに」、突然鼻水が出、胸が苦しくなった(磯貝陽悟『サリンが来た街 松本サリン事件の真相』データハウス124頁)。

 20歳代女性が窓を開けたまま勉強していた。「9時半ころ」友人と電話していると、声が震えているといわれた。10時半ころ呼吸困難に陥り、その後入院した(『松本市有毒ガス中毒調査報告書』73頁)。 

 時間の記憶については通常あいまいである。だが、これだけの人数の人が具体的に覚えていることは無視しえないことだろう。夕食後はテレビ観覧をする人も多い。その時間とも重なるため、比較的時間の特定も容易な時間帯と言えるだろう。

◆4 宇宙服のようなものを着た二人が、犯人現場到着前に目撃されている
 もう一つ興味深い目撃証言をあげてみよう。
 内容は、午後9時ころ、事件現場とされる池から南西250m離れた路上に大型乗用車が止まっており、車の中に二人がいた。外にいた二人は銀色っぽい宇宙服のようなものを着ていた、というものである(朝日新聞1995年3月24日朝刊39面→注2)。

 午後9時ころという時間と、宇宙服のようなものを着ていたというのが気になる。宇宙服のようなものがサリンの防護服ではないかという疑問である。





















さてはて?


注1) 「松本市への出発は27日昼ごろの予定だったが、サリン注入に手間取り、同日夕に上九一色村を出発した。途中で日が暮れかかり、新美被告と故村井幹部が話し合った結果、裁判所の勤務時間中にサリンを噴霧することが不可能になったとして、目標を裁判官宿舎に変更した。 午後10時頃、松本市に到着し駐車場で岐部哲也被告が作った偽造のナンバープレートを貼り付け、ビニール袋の防毒マスクを準備した。その後、たばこの煙などで噴霧場所を探して宿舎西役37メートルの駐車場に移り、故村井幹部は噴霧時間を10分間に決め助手席で遠隔操作した。逃走する際、ワゴン車は駐車場入り口の石柱に衝突し、左側面をすった」(検察冒頭陳述  1995年1月23日 毎日新聞より) 等。 (「悪魔が日本を嘲笑っている」有賀裕二 第一企画出版 1997 p42-43より)

注2) 「長野県松本市で昨年6月に起きた猛毒のサリンを含む有毒ガス事件で、事件当夜、不審な4人組が現場付近で目撃されていたとの情報が、長野県警の捜査本部に寄せられていたことが分かった。・・・調べによると、4人組の目撃は、事件の起きた昨年6月27日の午後9時前後場所は松本市開智2丁目の路上で、有毒ガスの発生現場とみられる第一通報者の会社員方南隣の池付近から、南西へ250メートルほど離れている。大型乗用車の車内に2人がおり、その車のそばに銀色っぽい宇宙服のようなものを着た2人が立っていたという。 捜査本部は、車外の2人が着ていたのは防護服で、現場で薬品を調合してサリンを製造し、容器を持ち去った可能性もあるとみている。」(1995年3月24日 朝日新聞) (同上書籍p44より)


プロローグから
日本は今でもGHQの支配下にある
日本を奴隷国家に大改造する悪魔の集団
着々と日本破壊が進行している

10年前は、「とんでも」扱いだったが、今でもまだわからないようなヒトたちが世の中にはいるんですかねー?



1995年3月30日朝8:00頃、国松孝次警察庁長官は狙撃された。

おまけ


松本サリン事件は1994年6月27日であった..


by oninomae
(2007/12/15 0:38)
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