wave :)
May 10, 2010
長谷部千彩
文筆家/レディメイド・エンタテインメント代表
連載『WWD Beauty』『婦人画報』
著書『有閑マドモワゼル』『レディメイド*はせべ社長のひみつダイアリー』
May 10, 2010
上環(ションワン)に行った帰り、香港芸術館に寄って、呉 冠 中(Wu Guanzhong)展をもう一度観てきました。
会場で上映している呉 冠 中の経歴やインタビュー映像を広東語の字幕を漢字を頼りに観たところ、
国費留学生としてパリのボザール(Ecole des Beaux-Arts)で美術の勉強をした、ということ、
杭州出身というのは私の勘違いで(杭州では美術を勉強した)、
呉 冠 中は江南の生まれということがわかりました。
(大よその位置関係は理解しているけれど、文章上適切な地名を私が用いているかはわかりません)
数日前に来たときには、展示作品全体に対して「いいな」と思ったのですが、
今日は二度目なので、印象がより鮮明になり、
私が好きな絵はなんといっても風景画だということに気づきました。
特に気に入ったのは、白壁に黒い瓦屋根、手前にシルバーグレーの河、空に二羽のツバメが飛んでいる絵です。
それは、画家が生まれ育った江南の景色。
私はもしかしたら、絵の向こうにある街に魅かれているのかもしれません。
近頃、強く思うのです。
行ってみたいと思う場所は行くべき場所であり、
会ってみたいと思う人は会うべき人なのではないか、と。
行ったところで、会ったところで、それが何の意味もなさないとしても。
私は次の100日ブログはお休みします。:)
読み続けてくださった方、どうもありがとうございました。
せっかく場所を与えていただいたのだから、
自分がやったことのないことをやってみたいと思い、大量に書く、ということに挑戦してみました。
バケツで汲み出すように、どんどんどんどん書いていったら、
書くことはなくなるものなのか、それとも底なしに出てくるものなのか、少し興味があったのです。
執筆者一覧の四角いマスから、100日間、私のスペースは無くなります。
でも、存在って、不在によって感じることもあると思うのです。
いつも座っている席に、その人が座っていないと、逆にその人の存在について考えてしまう、みたいな。
そんなことを感じる方がどれだけいるか、私にはわかりませんが、
100日後のブログ再開を待って下さる方がいるとして、
その人にとって、次の100日ブログは私がいない100日ブログになり、
本来は、執筆者が100日間書く、という意味のカウントダウンの数字が、
私がこのブログサイトに戻ってくるまでのカウントダウンの数字になる。
私のブログページをダイレクトにブックマークしていた人が、
執筆者一覧のページをブックマークしなおして、
あ、あと75日で復帰か、とか、あと43日で復帰か、なんて確認するようになるかもしれないし、
私は、執筆者一覧のページを開いて、あと14日だ、どんなこと書こうかなあ、なんて考えたりするでしょう。
そんなふうに意味がぐるんと反転するとき、私はとても楽しい気分になるのです。
8月、自分がどこにいるのか、いまはまだ自分でもわかりません。
でも、どこにいても私の暮らしは変わらないと思うから、
本を読んだり、花を買ったり、音楽を聴いたり、街を歩いたり(もちろん仕事も)、
そして、この300日間、そうしていたように、小さなカメラで写真を撮っているでしょう。
とりあえず明日から『真夜中』のための原稿を書き始める予定。
午後は広東語のレッスンです。
それでは、また。
100日後に。
長谷部千彩
May 9, 2010
朝起きると、雑誌『真夜中』*編集長Kさんからメールが届いていた。
次号の『真夜中』掲載用に香港滞在記を執筆することは可能かどうか、という内容だった。
締め切りは帰国予定日の二週間後。
うまくまとめられるか、自信はないけれど、引き受けてみたい気持ちはある。
香港に来るまでの3週間、私の頭の中でずっとウッドベースの音が鳴っていた。
アルコでギイーーッと。
しかも半音下がった音で。
音楽の知識がある人なら、あああ・・・それはつらいわ、と即座に理解してくれると思う。
(アルコというのはウッドベースの弦を弓を使って鳴らす奏法。
普通は指で弦を弾いて鳴らすピチカートという奏法で演奏している)
3月の終わり、大手出版社の編集者を紹介され、ランチをご一緒させていただいた。
彼は私に、長谷部さんはこれからどういうものを書いてみたいのですか、と訊いた。
私は、パリについて書きたい、と答えた。
それから、パリに限らず、旅先で考えたことについて書きたい、とも言った。
私は紀行エッセイが好きでよく読むのだけれど、
常々不思議に思っていることがあって、
それは、どうして旅先で感じたことを書き、本にしているのは大抵男性で、
女性は、食べ物と買い物とマッサージの話ばかりなのだろう、ということだ。
女の人だって、旅先でいろいろなものを見るだろうし、いろいろなことを感じるだろう。
ささいな慣習の違いに戸惑ったり、傷ついたり、そこから世界を考えたりすると思う。
それなのに、"旅=自分にごほうび"みたいな本ばかりあふれかえっているのはなぜなのか。
もちろん、女性が書いた読み応えのある紀行エッセイだってないわけじゃない。
たとえば、紀行エッセイとは少しずれるけれど、澤地久枝さんの沖縄での暮らしの文章などもとても面白いし、
『琉球布紀行』*は本当にすばらしい本だと思う。
私は、自分が訪れた地で、他の人がどんなことを考えたのか知りたい。
私以外の女の人が旅先でどんなことを感じたのか知りたい。
それなら、まず、自分で書いてみよう、そう思ったのだけれど、
その編集者には、あっさり、僕にはその面白さ(=私が書きたいと思うテーマの面白さ)がわからないです、と言われてしまった。
たぶん、彼は私にユーモラスなコラムや切れ味のいいコラムを期待していたのだと思う。
実際、私が旅先で考えたことについて書いたとしてもそれほど面白いものにはならないかもしれないし、
いや、もしかしたら、それ以前に、私は自分のことを口で説明するのが苦手だから(得意なら文章なんか書きません)、
私の書きたいことがうまく相手に伝わらなかっただけかもしれない。
人と人との間には相性があるから、いちいち気にしたってしょうがない、まあ、いいや、と思うことにして、
その日は、食事だけごちそうになって帰ってきたけれど、
でも、さすがに面と向かって、面白さがわからない、と言われては、私もいい気がしなかった。
それからだ。
頭の中でウッドベースがギイーーーーッと鳴り出したのは。
ハニカムブログは明日で終わるけれど、
私は明日も明後日も、そのまた次の日も、香港の街を歩く。
写真を撮りながら。
四角いパックのレモンティを飲みながら。
そして、部屋に戻って、その日考えたことを書く。
なぜそんなことをしているのか、自分でもわからない。
でも、そうしたいから、そうしている。
『真夜中』の原稿依頼は、たぶん引き受けることになるだろう。
本当は、春なんて先週のうちに終わっている。
私は夏の中にいる。
香港という夏の中に。
May 9, 2010
『愛しあう』*を読み終えたので、池澤夏樹の『異国の客』*
を読み始めた。
池澤夏樹がフォンテーヌブローに引っ越した年に、その暮らしの中で考えたことを綴った本(これは自分で買った)。
と言っても、フォンテーヌブローの紹介というわけではなく、
フォンテーヌブローという地から、社会を考える、という内容。
(私にとっては)面白くて面白くて、仕事しているときと歩いているとき以外はずっと読んでいる。
この調子だと明日には読み終えるだろう。
『愛し合う』のほうは、期待せずに読んだにもかかわらず、意外と面白かった。
あらすじがどうこう、というよりも、私は風景を丹念に書き込んだ文章が好きだから、
その点において楽しく読めた。(舞台は東京と京都)
非常に映像的な小説で、80年代以降のフランス映画が好きな人なら、すごく気に入るのではないか、と思う。
舌で味わう楽しみ、という感じの本(歯ごたえはない)。
『異国の客』を読み終えたら、次は何を読もう。
持ってきた本を収めた引き出しを開けてみる。
カポーティの『詩神の声聞こゆ』*?
もしくは、『彼自身による ロラン・バルト』*?
この本(『彼自身によるロラン・バルト』)の口絵ページ、写真に添えられた文章は、
どれもシャレが利いていて噴き出してしまうのだけれど、本文はどうなのだろう。
とどのつまり、わかったのは、こちらに来て2週間、馴染みのない土地に身を置いても、
それまでとそれほど変わらぬ自分の暮らしを、人は続けようとする、ということである。
たとえば。
机に向かうのに疲れたら、小さなバッグを持って九龍公園にフラミンゴを観にいく。
バッグの中にはにお財布とティッシュとハンカチとiphone。
それから手には読みかけの本。
もちろん、途中でラズベリーソースのソフトクリームを買う。
空いているベンチを探して腰を下ろし、噴水の音と鳥の声を聴きながら、本を読む。
場所が変わってもやっぱり私は本を読む。
たとえば。
散歩がてら粥屋まで歩き、昼食をとる。
地下鉄に乗って花墟道(フラワーマーケットロード)へ行き、花を買う。
時間があれば雀鳥花園(バードガーデン)に寄る。
油麻地(ヤウマテイ)に戻り、アイスティを飲んで休憩する。
美都餐室(MIDO CAFE)のおばさんが私が抱えた花を見て尋ねた。
-Lotus?
-No, peonies! :D
乾いた喉を潤したら、新填地街(サンティンテイガイ)の青空市場へ。
今日は枇杷。
この前は洋梨。
私は果物を買う。
日本にいるときと同じ、好きな果物を買う。
他人の文章読んでいると、誰と出会って自分は変わった、とか、どこの町に住んで自分は変わった、とか、
気づきとか目覚めとか、ホントにみんな変わるのが好きだなあ、と感じることが多いけど、
自分を省みる限り、どこに行ってもあまり変わらないというか、わりと同じ調子だなあと思う。
どこの街も同じ、と言っているわけじゃなくて、どこの街に行っても自分がやっていることは同じ、という意味。
May 8, 2010
散歩していたら、香港芸術館(HONG KONG MUSEUM OF ART)の前に出たので、
中に入って、開催中の呉 冠 中(Wu Guanzhong)展を観た。
私は中国モダンアートの知識を持ちあわせていないので、彼のことはまったく知らない。
建物の入り口に展示されている彼の絵を見て興味を抱いたのだ。
墨やカラーインクを使ったドリッピング。
中国の風景を描いた油彩画。
フランスで絵画を勉強したと経歴に書いてあったけれども、
西洋絵画と東洋絵画が一枚の絵の中で絶妙なバランスで融合している。
とにかく絵が巧く、色彩のセンスが個性的。
静かで柔らかい。
こんなに優しい色づかいをする人は、やはり心も優しい人なのかしら。
杭州出身ということも関係しているのかしら(杭州に対する勝手なイメージ)。
そんなことを考えながら、館内を回った。
(それでいて都市を描いた作品はとてもポップだった)
ここ数年、私が現代美術作品にあまり興味を示さなくなったのは、
シニカルな視点に寄った作品の多さに辟易したからだと思う。
現代社会は、現代社会は、と、みんな何でも時代の話に還元したがるけれど、
人間の暮らしは、骨組みの部分ではそんなに変わっていないと思う。
むしろ、時代という切り口で作品を作ること自体、凡庸に感じるところもあるし、
人間がフツウに「美しいなあ」とか、「いいなあ」と思うようなもの、
もしくはそういった感情を取り上げている作品のほうが、私の目には新鮮に映る。
展示作品の中に、好きなものがたくさんあったので、
ポストカードを買って友達に送ってあげよう、と思い、
ミュージアムショップに足を運んだが、絵葉書は販売していなかった。
その代わり、カードの一枚一枚に作品が印刷されているトランプが置いてあった。
私はそのトランプを買って帰った。
アメリカとヨーロッパと日本。
友達と呼べる人はそれほど多くないけれど、そのトランプを数枚ずつ封筒に入れて、私は彼らに送ろうと思う。
私の手の中から、ばらばらに散らばっていく、ひと組のトランプ。
香港からのエアメールの料金は3ドル。
コウラウン(ヒヨドリ科の鳥)の切手がトランプを運ぶ。
May 8, 2010
休日の午後の美都餐室(MIDO CAFE)はカップルでいっぱい。
2階窓際の席は彼らに占められている。
私は、一階からL字に上る階段のすぐ脇、窓際の一番端の席にかろうじて体を滑り込ませた。
ここは油麻地(ヤウマテイ)にある人気の店で、ガイドブックには大抵載っている。
1950年代に創業し、内装を変えずに営業を続けているらしい。
モザイクのタイル、緑のペンキで塗られた窓枠がノスタルジック。
窓の下には、公園(おじさんたちが将棋をしたり、たむろしてだべっている)、
その左手には天后廟(漁民の神を祭っている)が見える。
英語のメニューをもらって、フレンチトーストとアイスレモンティを頼む。
香港のアイスレモンティは、レモンスライスがどっさり入っていて、
それをマドラーでグシグシつぶして飲む。
シロップが先に入っていて、とても甘い。
日本だったら、甘すぎて飲めないよ!と思うだろうに、
香港で飲むこの甘すぎるレモンティはとてもおいしく感じられる。
ふしぎ。
アイスティを飲みながら待っていると、フレンチトーストが運ばれてきた。
バターとシロップが、厚揚げみたいなパンの上で溶けている。
フレンチトーストは、やっぱり自分で作ったほうがおいしいや。
お店の人が聞いたら、むっとするような感想を、胸にしまう。
でも、自分が考えるフレンチトーストとは別物だと考えれば、
これはこれでおいしいけどね。
残さず平らげ、お皿をさげてもらい、ティッシュを取り出しテーブルを拭く。
今日は手紙を書く、と決めていた。
こちらに来て最初に手紙を書いて送りたい、と思っていた人に、
こちらに来て最初に買った、鳥と花の絵のグリーティングカードを使って手紙を書く。
"ここまで長かったです。
でも、諦めなければ、なんとなかる、という感じ"
それは私の正直な気持ち。
ひとりでどこかに行きたい、知らない街でゆっくり過ごしてみたい、と思っても、
学生ならまだしも、仕事を持つ人間にとって、それを実現することは、なかなか難しい。
ふうらりふらふら風来坊を気取っても、その足はがっちりと現実の生活に埋まっている。
子どもがいたら難しい、親がいたら難しい、仕事が忙しければ難しい、仕事がなくても難しい。
でも、仕方がないよね。
仕事で支払われる報酬には拘束料が含まれているのだし、
それと引き換えに脆弱なれど安定を得ているわけだから。
「自由に歩いて愛して」という曲を、昔、PYGというグループが歌っていた(歌そのものは覚えていない)。
若い頃には、単にキャッチーだとしか感じなかったタイトルが、
私の中で意味を持ち始めたのはいつからか。
自由に愛するとまでは望まないけれど、
せめて自由に歩くことができたらどんなにいいだろう。
ミュージカルの仕事が決まった3年前の夏、この仕事が終わるまではどこにも行けないなあ、と思った。
そして、そのとき、この仕事が終わったら、どこかに行こうと決めた。
いろんなところに行ってみる、と決めた。
行ってみたい場所はたくさんあるし、
体力があるうちに、少しずつ行ってみたい場所を行った場所に変えていきたい、と今は思う。
ふと顔をあげると、レモンティに挿されたストローが目に入った。
赤、青、黄、緑のラインがスパイラルになっている。
子供の頃、曲がるストローや綺麗な色のラインが入ったストローが自分のグラスに挿されていると、とても嬉しかった。
小学生の私にとって、それは大変な贅沢でとても貴重なものだった。
May 6, 2010
バス、いける!と確信したので、
そのままスターフェリーに乗って、ヴィクトリア・ハーバーを渡り、
交易広場のバスターミナルから路線バスに乗って、香港仔(アバディーン)まで行ってみた。
香港仔は、香港島の南岸にある街。水上生活者がいるところ。
映画『Enter The Dragon』*にもボートが湾を埋め尽くすように浮かんでいる香港仔が出てくる。
地図で見ると、香港島沿岸を左半分、ぐるりとまわる感じだったので、
遠出に挑戦したつもりだったのに20分ほどで到着。
つくづく思う。
香港島は小さい。
私がなぜ香港仔に来たかというと、私が読んでいるとある本には、水上生活者はもういない、と書いてあり、
もう一冊の本には、まだいる、と書いてあったから。
いるといないじゃ大違いじゃないの、どっちなのよ、と思い、確かめるため、来てみた。
香港仔湾は、想像していたよりもずっと狭く、大きな川のように感じられた。
泳げる人なら対岸の鴨脷洲(アプレイチャウ)まで楽勝で泳げそう。
岸辺は香港仔海濱公園というプロムナードになっていて、
数メートルおきに香港仔の歴史について書かれたプレートが立っている。
それをひとつずつ読みながら歩いていると、客引きのおばあさんに声をかけられた。
おばあさんに渡された小さなカードには、
英語で、30分で60HKD、小船(サンパンという)でクルーズしてくれる、と書いてある。
船酔いしたら嫌だなと思って、カードを返し、乗らないと伝えると、
40ドル、40ドル!とおばあさんは引き止める。
別に値切ったわけじゃないんだけど・・・。
でも、負けてくれると言っているんだし、乗ってあげようかな・・・。
サンパンに乗り込むと、船を運転するのはおじいさん、じゃなくておじいさんに限りなく近いおばあさん。
お客は私ひとり。
貸切状態で船は湾を廻る――。
天気もいいし、気持ち良い風も吹いていたし、何よりも船を間近でジロジロ見ることができて面白かった。
結論から言うと、確かに船はたくさん浮かんでいたけれど、漁業と観光のための船ばかり。
つまり、ここに水上生活者は、全くいないわけじゃないけど、いるというほどはいない。
というか、いるとしてもたぶんトキみたいな存在なのでは・・・と思った(トキにたとえるのもどうかと思うが)。
まあ、私としては、どちらの本も間違っていなかったというのがわかって満足です。
サンパンから下船し、ふたたび岸から船の写真を撮っていると、
岸に寄せてある船の中からおじさんが、遊びに来い、と手招きしている。
どこから来たんだ、から始まる会話が億劫なので、意味がわからないふりをして通り過ぎる。
公園の端までいくと突き当たりは魚市場。
フェンス越しに中を覗いていると、黒い犬が出てきたので、あわてて写真を撮る。
私のことなど眼中ない、とでもいうかのように、犬はトコトコ歩いていく。
私は写真を撮りながらついていく。
それにしても、どうして動物を見ると、反射的にカメラを向けてしまうのだろう。
謎。
May 5, 2010
空は晴れている。
ギンガムチェックのシャツに紺色のスカート。
裸足にバレエシューズを履き、帽子を被る。
(今日こそ今日こそ今日こそ実行に移す!)
今日初めて路線バスに乗ってみた。
香港は地下鉄が発達しているから、短期滞在の観光ならばそれで間に合うのだけれど、
今回、私が行ってみたいと思っている場所のいくつかは、地下鉄が通っていないので、
そのためにはなんとしてもバスを克服しなければならないのだ。
タクシーで行くという方法もあるけれど、
通じてるんだか通じていないんだかわからない(たぶん通じていない)英語のやりとりで気を揉むのも疲れるしね。
初めて乗るバスは決めておいた。
尖沙咀碼頭―スターフェリー乗り場行き。
昨日、大通りで通り過ぎるバスを観察していたら、
スターフェリー乗り場行き、スターフェリー乗り場行き、スターフェリー乗り場行き、と、
同じ行き先のバスが数珠繋ぎで走ってきて、
これはもう、このバスが「ビビってないで乗ってみろ!」と私に言っている!・・・ような気がしたのだ。
とにかく終点がスターフェリー乗り場なのだから、
黙って乗っていれば、どこにいるのかわからない、というようなことも起こらない。
私は、バス停に立ち、スターフェリー乗り場行きが来るのを待った。
いや、待たなかった。
バスはすぐに来た。
バスが来たら手をあげて乗車意志を知らせること、と本に書いてあったけれど、
どうせ他の人も並んでいて、その人が手をあげてくれるだろうから、
私はその後ろについていけばいい、と高をくくっていたのに、バス停には私しかいない。
よく考えたら、香港での手を挙げ方が・・・わからない・・・。
(手の挙げ方は、横にあげたり、上にあげたり、国によって微妙に違います)
とりあえず、初めて乗ります・・・という心細さをアピールしようと思い、力なく手を挙げてみた。
すると、バスはスピードを落として、歩道に車体を寄せてくる。
あ、停まってくれそう!
なんだか嬉しくなって私はバスのほうに自分から歩いて行った。
親切な運転手さんは、勝手に乗りに来た乗客のために、
バス停よりもずーっと手前で停止してドアを開けてくれたけれど、
バスはバス停で待つもので、自分から乗りに行くものではありません。
オクトパスカードを支払機にあてる。プッ。(お金が引き落とされるとこういう音がする)
バスもこのカードで支払える。
料金を調べたり、小銭を用意したりしなくてもすむから本当に便利。
窓際の席に腰を下ろす。
冷房はガンガン利いていて、車内はガラガラ。
車両前方には細長い電光掲示板。
次の停留所名が表示される。
ふうん、パリのバスと同じじゃん。
(東京でバスに乗らないのでこういう感想に)
大きな窓から香港の喧騒を眺める。
人、人、人・・・。
地下鉄だと外の風景を見ることができないけれど、バスは路地も覗けるから楽しいなー。
もうバスは大丈夫。
これからはどんどん乗る。
歩かなくてすむし。
と、はしゃいでいるうちにもう終点(10分ぐらいしか乗っていなかった)。
電光掲示板に、尖沙咀碼頭、の文字。
乗客はおじさんと私しかいない。
終点だってわかっているけど、折角だから、目の前のポールにとりつけられた降車ベルを押してみた。
意外と大きな音がした。
May 4, 2010
中環(セントラル)から戻るスターフェリーの中から、とても美しい夕陽を見た。
それは、まるで、空から絞り出すようにして生まれたネーブルが、
静かに、けれども意外と早い速度で海に落ちていくようだった。
私は揺れながら小さなカメラで写真を撮った。
いかつい体にTシャツを着た観光客も一眼カメラを向けていた。
仕事帰りの女の子は、ぼんやりとデッキからそれを眺め、
スーツを着た白人男性は、広げた新聞から目をそらすことはなかった。
―チサイさんは、香港で何をしているの?
私は何もしていない。
夕陽を見ている。
May 4, 2010
こちらに来て、ずっとRTHK4を聴いていたけれど、久しぶりにTSF(フランスのジャズチャンネル)にしてみたら、
トミー・フラナガンの演奏する「CENTRAL PARK WEST」がかかっていた。
東京でいつも聴いているパリのラジオ番組を、こうしてここでも聴いていると、
自分がいったいどこにいるのかわからなくなってくる。
昼食を食べたあと、少し仕事を片付け、
疲れたのでベッドに横になって本を読んでいたら、また眠りこんでしまった。
目が覚めると、ラジオから流れているのは、ポール・デスモンド。
耳を傾けながら、ポール・デスモンドのサックスは香港には合わないな、とぼんやり考える。
ベッドの上に投げ出された本は、ジャン=フィリップ・トゥーサンの『愛しあう』*。
ヴァレンタインのお返しに、と、プレゼントされた本。
この作家の作品は何作か読んだことがあるけれど、それほど好きじゃない。
でも、好きじゃなくても読む。
読みやすいから読む。
中編小説って旅先で読むのにぴったりだと思う。
だから、香港まで持ってきたのだけれど。
本をたくさん読む人は、贈る本を選ぶのも上手ですね。
少し日が翳って、涼しくなったので、本を手に外へ出る。
目指すは九龍公園、フラミンゴの池。
公園の中の小さなマクドナルドの売店でラズベリーのソフトクリームを買い、舐めながらフラミンゴを眺める。
散歩がてらフラミンゴを観に行く―そんな部屋に暮らすという贅沢を、この先、私は再び得ることができるのだろうか。
この二ヶ月だけかもしれない、とも思う。
池の前のベンチが空いていたので、腰掛けてページを開き、続きを読む。
美しいピンクの体を裏切る醜い声。
フラミンゴがガアガアと鳴いている。
May 3, 2010
結局、色鉛筆は階下の文房具店で買った。
コーリン色鉛筆60色入り、66HKD。
水彩色鉛筆ではないから、値段も手ごろ。
二色が一本の鉛筆になっているところが、気に入っている。
30本で60色。これなら携帯にも便利。
カレル・チャペックの『園芸家12カ月』*を読み終えたので、
花が好きな人に譲ろうを思ったのだけれど、
そのままあげるのはつまらないから、挿絵に色鉛筆で色を塗ってみた。
文庫本だけどオールカラー。
しかも、手塗り。
着色したページを写真に撮って、デスクのKさんにメールで送って見せてあげたら、
もったいないから人にあげないで東京に持って帰ってきてください、と言われた。
もったいないかな???
こういう何の得にもならないことをやっているときって、本当に楽しい。
私は、これからの時代はどうのこうのという話とは、無縁の生活を送っているなあ、とつくづく思う。
May 2, 2010
部屋に戻り夕飯を食べて、ソファで本を読んでいたら、いつの間にか眠っていた。
目が覚めると夜11時半。
ぼんやりした頭で起き上がる。
夢を見ていた。
冷凍庫のドアを開けると、アイスクリームが入っている、というとても幸せな夢。
ベッドから降りて、お財布とオクトパスカード(香港版Suicaみたいなもの)と部屋の鍵を、
アンディ・ウォーホルのイラストが描かれた小さなバッグに入れる。
寝ぼけ眼で、ヨロヨロしながらミュールを履き、部屋を出る。
エレベーターを待っている間、ホールの壁(鏡になっている)で、私は髪の毛を手ぐしでとかした。
アパートメントの入り口にはいつもどおり、ベレエ帽を被ったセキュリティのおじさんがいる。
いまだにどう挨拶すればいいのかわからない。
フランスやアメリカでは、おはよう、とか、こんにちは、とか、
ドアマンにも必ず声をかけるけど、ここではみんな無言で通り過ぎる。
何か言わなくていいのかなあ、と思いながら、私も無言で通り過ぎる。
通りに出てすぐ、左の路地に入ったら、数十メートルでセブンイレブンだ。
冷凍ボックスの中にハーゲンダッツが並んでいる。
手を突っ込み、ストロベリーを取り出す。
知らないメーカーのアイスクリームもある。
どうやら香港のメーカーらしい。
試しにチョコミントを。
それから、レモンティーのペットボトルといちごヨーグルトも。
レジで、ビニール袋は要るか、と聞かれ、うっかり、Yesと言ってしまった。
店員がすばやくレジを打つ。
あ・・・!
ビニール袋代を計上されてしまった。
香港のコンビニやスーパーマーケットは、ビニール袋は有料という店が多い。
オクトパスカードで清算。ピッ。
部屋に戻り、アイスクリームを冷凍庫にしまう。
これで夢は夢じゃなくなった。
もう冷凍庫の中にアイスクリームを発見するという夢を見ることはないだろう。
幸せは夢じゃなくなったのだから。
May 2, 2010
毎日毎日、よく道に迷うものだなあ、と自分でも呆れてしまう。
方向感覚には自信があったのに、香港に関しては全然駄目だ。
体の中の方位磁針がグルグル回っている感じ。
まあ、道に迷う余裕があるなら(時間にも体力的にも)、迷ってみるのも悪くはないけれど。
地図で確かめた地点から5分程度で着く距離だったはずなのに、
ものすごく遠回りをして、香港歴史博物館に到着。
香港について何も知らないまま来てしまったので、
とりあえず博物館でざっと頭に入れておこうというたくらみ。
今日は入館無料の日。
日本語のオーディオガイドを借りる。10HKD。
建てられてそれほど時間が経っていないのか、博物館はとても綺麗。
展示施設もアミューズメントパークなみに凝っている。
最初の展示室は、香港の自然生態環境。4億年間の地質・地形の変化の説明。
(4億年前まで遡るなら、香港も日本も同じだと思うけど・・・)
映写室では、映像とシンクロしてガラスブロックの床が赤や青に光ったり、ディズニーランドのアトラクションみたい。
樹林と剥製で構成された動植物の生態系説明も、吹き抜けを効果的に使っていて迫力があった。
(野生の虎の生息数を知り、涙)
閉館時間が迫っていたので、原始人の生活は飛ばして、
王朝の発展(漢代~清代)の展示へ。
九龍城塞が最初に作られたときのジオラマ(海賊に抗戦するための要塞だった)や、
発掘された焼き物や、灰釜(これはレプリカ)などが陳列されていた。
説明を読んでいるうちに、もやもや~っと時代がつながってきた。(でもあやふや)
そして、香港の民族の展示へ。
これがとても面白かった!
香港に存在する/していた4つの民族(生活スタイル)、
水上人(漁業)、客家人(農耕)、本地人、福佬人(製塩)の家、仕事の様子、風習、民族衣装などを説明している。
いま読んでいる本*の中に、水上人の暮らしに触れた部分があるので、あー、こんな感じなのか、と納得。
ガラスケースに、それぞれの民族衣装が並べられていたので、
不埒と思いながらも、自分が着るならどれがいいかな、と考える。
客家人の全身黒の服は、出発前に(古くなったから)棄てようと思ったCLAUDIE PIERLOTの服に似ている。
世の中には黒い服がとにかく好き、という人というのがいるけれど、
その人たちには客家人の女性の服を自信を持ってオススメする。
でも、私は色が華やかな服が好きだから、客家人の服はあまり着たくない。
水上人の服装は、着こなす自信がある。
ストロー素材で編まれた帽子が私が持っているキャプリーヌに似ているし。
というか、被ってこなくて本当に良かった・・・。
福佬人のかんざしはもしも髪が長かったら、是非、挿してみたい。
他にもそれぞれの家や婚礼儀式やランタン祭り、芝居小屋や獅子舞の様子が再現されていた。
本来時間も場所も別々なところにあるはずのものが、
一箇所にぎゅっと集められているのは、不思議な感じ。
美味しいとこどりの幕の内弁当みたいでウキウキする。
ここで時間切れ。
アヘン戦争以降のフロアは観ることができなかった。
もう一度行って続きを観ようと思う。
(ミュージアムショップにはめぼしいものなし)
May 1, 2010
昨日申し込みに行った広東語の学校から電話が来た。
レッスンは来週からスタートできるとのこと。
真面目に勉強する気はないけれど、
広東語の響きはとてもチャーミングだから、
挨拶程度でいいから喋れるようになりたい。
今日の香港は雨。
起きたときには既に曇り空だったけれど、昼からざあざあ降り出した。
雨の街を撮るのもいいかも、と思い、
油麻地まで出かけるつもりで一旦は表に出てみたものの、
アパートメントから数十メートルしか離れていない店で牛ガツご飯を食べただけで、
部屋に戻ってきてしまった。
(靴が濡れて傷むから)
今日は、真面目に原稿を書きなさい、ということか。
ラジオからガーシュウィンの「パリのアメリカ人」が流れている。
ピアノ一台でかなりテンポを落として弾いている。
香港に来てから、ずっとRTHKラジオ4*というクラシックチャンネルを聴いているのだが、
選曲がマニアックで面白い。
インターネットでも聴けるから、日本に帰ってからも、クラシックのラジオ番組を聴きたいときは、これを聴こうと思う。
いま、弦楽器とパーカッションがメインという変わった編曲の「ウェストサイドストーリーメドレー」が流れている。
外に出た帰りに、文房具店に寄ってホチキスを買った。
はさみ、糊、カッター、カッターマット、カラーペン、メンディングテープなど、
日本から文房具一式持ってきたのだが(テプラも!)、ホチキスを忘れてくるなんてぬかった。
色鉛筆は泣く泣く置いてきたのだけれど、やはりカラーペンだけでは物足りない。
色鉛筆が欲しい。
また、買うことになるのか・・・。
何にせよ、部屋の階下に文房具店があるというのは便利なれど、
私にとっては誘惑の多いロケーションでもある。