麻生太郎前首相の参拝を前に4月29日夕方、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑の様子を見に行くと、そこには一人で慰霊碑周辺を清掃している女性の姿があった。
「ここが日本移民の原点だと思うから──」と話す垣添恵子さん(68、愛媛県出身)は4年程前から、同碑守の村崎道徳氏が来る日以外の毎週1回、一人で、人知れず清掃活動を行っている。
1955(昭和30)年1月20日、当時13歳だった垣添さんは家族とともにパラー州ベレンに到着し、その後8か月間をベルテーラで過ごした後、ジュート移民としてアマゾナス州イタピランガへ入植した。熱帯特有の気候風土に体が合わないなどの理由からアマゾンでの暮らしにまったくなじめず、「20歳になったらサンパウロへ出る」と幼心に決意し、数年後、その決意通りに一人でサンパウロへ移り住んだ。
垣添さんは「毎日泣いて暮らしていました」とアマゾンでの日々を振り返る。未開の地での暮らしは貴重な体験だったと将来必ず思えるようになると父親に言われたが、「当時はとてもそうは思えなかった」という。
しかし、今となっては懐かしいと思えることも多々あると話す垣添さんは、目を細めながら「自分は日本から渡って来た本当の意味での移民の一人。百姓もしてきた。大変な思いもしてきた。いま思えば、そんな昔があるからいまの私があるんです。おかげで何があっても耐えられるようになりました」と、厳しい環境ではあっても自分を受け入れてくれたブラジルに対する感謝の気持ちを口にする。
「自分は一人で生きているんじゃない」と話す垣添さんは、多くの犠牲を払って礎を築いた先人達を「移民の原点」とし、自分を生かしてくれた彼らへの感謝の気持ちを込めて清掃活動を続けている。
写真:「たまに娘が手伝ってくれる」と嬉しそうに話す垣添さん
写真:黙々とゴミや落ち葉を拾い集める垣添さん
2010年5月5日付
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