人生激変し幸福でリッチ人生に変える、過去執着忘れ、人生は いくらも変られ、上り続け勘違いし上り有れば必ず下りある、 人生今の時代不景気でないという人も居る、何でもできるとい うこと人生を生きたいよう
龍前隆 です☆-☆☆☆..
ジエットスキー&大衆食堂 先生様看板二カ所と、パーティー十人集客ありがとうございます、 やはり人徳と熱意の違いですね 南国で過ごしやすい気候はとても長生きで健康に成り良いです 射撃の腕前はすごいとガンクラブインストラクターに言われます でも重い拳銃は命中させるのは後半は腕が下がり難しいです 銃片手の写真、マフィアの迫力かも 大きな変化が出来るのがこれからの時代大切ですね 南の国で雨かと思い、ジエットスキーでは氷のヒョウは顔がとても痛いです 年配77歳でツアー責任者でバリバリ仕事する人はかっこよく素敵だ 世界が広がるしとても良い 最近は旅行でも韓国、中国の旅行者が目立ちます、 日本が旅行でも世界で負けてます 海外はやはり3年前見た時カラ爆発的物件や土地の値上がり、 やはり、即決し買うベキだった! 華僑が大活躍です、あらゆる面で抜かれてます でもまだ間に合う、日本の大手不動産も、主要ホテル買いマクリだった 不動産の支店もドンドン増えてる、以外と皆が動き早いのに驚きです 77歳の責任者に快適な対応 50歳に見えパソコンも仕事もテキパキこなし気配りも素晴らしい女性で! 高年齢で頭の回転がよく、歳をとっても素敵な人に成りたいね 上司は逆にぼんやり、これからはアメリカの様に実力勝負の時代だね 人生を変えるなら、過去執着しない 人生はいくらでも変えることができ 人は上り続けて、勘違いし 上りがあれば必ず下りがある それが人生 今の時代は不景気で何もないという人もいます ただ何も無い人は何でもできるということです 人生を生きたいように生きられるということです もし、自分の人生を変えたいと思っているのなら、過去の道のりに執着しないことです 人生というものは自分しだいでいくらでも変えることができます 人は上り続けているとき、勘違いします 上りがあれば必ず下りがあります それが人生というものです 幸不幸も同じことです 人生は川のように流れています 幸せに向かったり、不幸へ流れたり その流れには逆らえないものです ならば流されればいい思います 行き着く先が分からないからこそ人生だと思いますけど。 ただし、自分の意志を持って流されていくことが大切なのです 自分を見失うことなく、心の命じるままに流されていく そんなふうに生きていきたいです 海外旅行も気力と体力が続かないと出来なく成ります 毎年真剣勝負で世界の人の人間性が学べます 何時までもチャレンジが続けられる事が大切ですね、 何がかけても出来なく成りますから 最近は自分の事しか考えず『卑劣な手段を使い』 それでも負ける指導者が増た、人としての器が出来てないとの情報で! 政治も経済政策も独創思考や発想が欠け。思考能力が無い事が変化への対応力を弱め、 弱い政治や弱い財界が結果として、庶民を苦しめ、無知な政治家が結果として市民を苦しめる 社会の変化を確実に捉えた大家が未来に生き残る メデアが世界最大の赤字国、日本との評価が大きく成って 解りやすく表現、倒産寸前の会社に取引先が相手にしなくなり、逃げて行く現象と似ている 鳩山総理が二枚舌と言われ世界中で酷評されるが、 その駄目な総理を選んだ国民は同じと世界中で思われてます。 皆が世界を見ないから解らないんです (タイは国民が命を掛けて抗議しているのに)日本人は暢気過ぎます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 『大里の討論会』 ここに紹介する文は、この「大里の討論会」に参加した一市民の声です。 『市長選挙立候補予定者討論会』に行ってきました。 討論会と言っても現職、と新人候補が司会者の進行のもと、マニフェストとを述べるだけで議論はありませんでした。 率直な感想。現職候補は現職のせいもあり政治家というより行政官、会社でいうと総務部長。 対立新人候補は、穏やかでしたが野武士という感じでした。 現職候補は行政用語を使い専門家なのでしょうが、大意と夢が感じられず説明がわかりにくかったです。 一方、新人候補は行政上の細かい言葉はなかったですが、 ビジョンがあり熊谷市の再生にかける夢がありわかりやすさがありました。 この夢、訴求力は市民に行き渡らせれば大変な強みになると思います。 短い辻説法を数多くやられてはいかがでしょう。 社長が経営にビジョンをもつのと同じく、 長は行政の長であると同時にビジョンをもつ政治家でなければならないと思います。 新人候補の民間活力を活かした駅前開発、水路を生かした森と水の町構想は魅力的です。 路面を温度を下げる舗装と合併浄化槽の維持管理費用の助成ではあまりにも夢がないのです。 現職候補の視野の狭さを感じます。 現職候補も自分でそれを感じているのでしょう。 新人候補が市政のビジョンの無さや市長の公用車3000万の廃止や 市長給与や市民の知らない他の現実年収を含め3000万以上の大幅減額。 報酬の引き下げのマニフェストの説明に及ぶと、何度もペットボトルの口を開けては飲み、 書類をめくりかえし、時には苦笑いをして見せて 激しい緊張か、混乱の態度を見せていました。 いずれにしても、国政の流れが官僚から政治主導に変わりつつあるように 地方政治も変わるべき時に来ていることを痛切に感じました。 今回は現場に二番目に入り、現職候補がJCのスタッフにも余り挨拶も応えず、凄く緊張しているのを強く感じました それから現職候補が討論の最後の挨拶の後は、一人で回りの挨拶にも答えず、なかなか出て来ませんでした。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 私は熊谷という街を誰よりも愛していると思う。 しかし、私は自分が今まで心を込めてやってきた分野から、『この町の現状に強い危機を感じ』て、この『町を再生しなければと痛切に感じます』。 『元税理士業』、として市政のあらゆる数字に敏感になり、また、『建築士』として都市計画や住宅政策に問題を感じ、さらに、熊谷市の人口減が市の危機に源していることを強く感じます。 かっては、『入間県と群馬県の合併により成立した熊谷県の県庁所在地埼玉・群馬でNo.1』、の町として『熊谷県があり、かって、県庁所在地という時代もあった。しかし、ここ十年、熊谷の人口は減る一方で、特に現市政になり合併で一時増えたが、また『急に減り続け』ている。 県下の他都市と比べてみて、県の推定人口統計を見ると、熊谷市合併後の『2007年4月1日』では205,4422人の人口が、翌2008年では約1400人減りさらに、2009年付近で400人近く減と、この、『二年間も減少は止まりません』。 この減少傾向の悪い方のシナリオを考えると、『この二年の間に二十20万を割って』、しまう。さらに今後『十年では二万人の減』、となり、 最悪のシナリオでは、『五万人減、人口の四分の一が減る』。しかもこの人口減は一番の稼ぎ手世代の減少で、『稼ぎ手が去り、税収も減り』、魅力のない町になる。 さらに『人口は加速度的に減って』その結果、『税収は減り』『財政は悪化、破綻』しているはず。 こんな時代だからとあきらめていいのか。『市政のあり方は』、リーダーの覚悟しだいで、盛り返せる。 有名なニューヨーク市の債権復権を思い出して欲しい。手が付けられないほど、『治安悪化』し、『財政破綻』して悪名高い『ニューヨークの町』をジュリアーニという市長の必死の改革で立ち直らせた。そして、『世界に安全都市宣言都市をした』。これほどの良いお手本はない。 錆び始めた、「鉄の橋」がある。早めに錆止めをすれば、安い費用で腐食は防げた。しかし、それをせずに十年たつとどうなるか。塗装ではもう間に合わない。『さびで強度低下し』、ついには通行止めになる。現にそういう橋が多くあった。『あわてて修理しても、もう遅く』修理では直らない。 最初のメンテナンスを怠ったために、橋の架け替えなどで、『何十倍もの出費』を強いられる。 老朽化が進み、いつ崩壊してもおかしくない「橋」の例は、まさに目先のことをに汲々として、やるべきことをやらずに町の破綻といった、『「爆弾」を抱えた国や県や市』のようなものである。 この熊谷にも、やらねばならないことをやっていない「鉄の橋」がたくさんある。『それを市民にはわからないよう、市民に黙って』腐食が進むのに任せている。『市の財政破綻』という時限爆弾が刻々と時を刻んでいるのに、市が意識的に隠していると思える。 市長のマニフェストに一番欠けているのが、『夢のあるビジョン』。マニフェストの達成度について、『市長は高い自己評価』しているが、そのほとんどが市民に対するごまかしで、これに関しても私は、『本文著書で反論』している。是非読んで欲しい。 現市政は、『「熊谷は埼玉県でもまれに見る健全政策」』と言うが、 毎日がお祭り騒ぎの賑わいの大宮駅周辺と比べ、熊谷の駅に降りたときのこの活気なさは何なのか。『止まらない人口減』。「熊谷と言えば○○」と言う売りのなさ、これで未来の熊谷はどうなるのだろう。 もっと、『熊谷に住みたくなる夢を語りたい』。しかし、単なる夢物語でなく、熊谷の町が現在置かれた、『立地や歴史、』そしてプライドの持てる、『伝統や人情・風土』を踏まえた、現実性のあるビジョンを描かなくてどうして、『住みたくなる町』が出来るのか。 そのためにはさまざまな提案がある。もちろん『私見である』。しかし、『私自身が何かを言い出し行動』をしなければ、何も変わらず、全ては水の泡に終わる。 たとえば『「暑さ」ばかり有名になってしまった熊谷』を、逆に「涼やかな街」「住みたい街」にすることをどうして考えないのか。 暑いのは自然であり変えようもない。本当だろうか。『一つの町に二つの大河』が流れる「自然」があり、日本でトップレベルの、『水質を誇る地下水』を持っている。 これらの自然条件を、なぜもっと生かさないのだろうか。 タイのバンコックは赤道に近い熱帯だが、意外に涼しいのは、『全域に水路がめぐらされ』、大きな田に水が張ってある。三割くらいの店が未だに扇風機だ。 それでも、『木や水路からの熱の放散』で、水路に沿って建つ露天商は意外なほど涼しく、不快な思いをしないで買い物が出来る。 この暑いはずのタイから帰って成田に降りた途端、タイより暑い日本、そしてもっと暑い熊谷に帰りうんざりした経験がある。 タイに出来て、日本に、熊谷に出来ないはずがない。 砂漠の国ドバイは、すごい。飛行機から降りて靴底が実際にとけるような、『砂漠の暑さ』なのに、ベニスの三倍もの幅の水路が引かれ、ホテルの庭には10センチおきにあるホースが埋められ水が染み出し、『砂漠に造った森林が維持』されている。その結果、『水と森の木々』によって気温が10度も下げられている。 私たちの町熊谷も水田や水路の水の立地を生かし、『ベネツィアやドバイ』のような誰もが来たくなる、住みたくなる、『「水の都」』にすることも可能なはず。 それに妻沼の『グライダー滑空場』を低予算で『ローカル軽飛行場に』出来るはず。二つの川にヨットやボートが浮かび、スクールも出来る。これは単なる「私の夢」 |
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