屋島登山鉄道(屋島ケーブル)が十六日、運行を休止した。一九二九年の運行開始から、戦時期の休止を挟みながらも約七十年間、屋島観光の屋台骨を支えてきた。今回の休止の原因は、ドライブウエー開通を機に客足が車にシフトしたのと、観光の多様化による屋島の魅力度低下が挙げられる。三四年に最初に指定された瀬戸内海国立公園の中心的存在でありながら、近年はかつての旅館や土産物店の廃屋問題が浮上するなど寂れが目立っていた。そうした中でのケーブルカー休止は何を意味するのか。後継企業がなければ第二の廃屋群となりかねない。今後の屋島再生の中でケーブルカーは必要なのか否かを識者の分析で探るとともに活性化策を追った。
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休止を惜しむ乗客でにぎわうケーブルカー内=11日撮影 |
「屋島観光の盛衰を象徴する存在だったのかもしれませんね…」。屋島登山鉄道の鎌田敬一総務部長はケーブルカー七十五年の歴史に思いを巡らせ、寂しげにそう話した。
運転開始からの総輸送人員は戦前、戦後を合わせて約三千五百万人。ただ、その四割近くは一九五〇年代前半からの約十年間に集中する。「華やかな時代」は短く、戻ってはこなかった。
全国トップに
屋島登山鉄道は、一九二九年にケーブルカーの営業運転を開始した。戦時中は施設が撤去され運転を休止していたが、五〇年に再開。以降は戦後経済の回復や屋島が県内有数の観光地に成長するのと並行し、利用者は十年間で約十倍と大幅に増加した。
六〇年度には貸し切りバスの普及や観光ブームを背景にピークを迎え、利用者約百九十五万人を記録。一路線のケーブルカーの輸送人員としては全国トップとなり、屋島観光の存在感を知らしめた。
しかし、マイカー時代の到来で六一年に開通した屋島ドライブウエイのあおりを受け、利用者が漸減。さらに、団体で景勝地を巡る観光が下火になり、体験型に取って代わられた。近年は屋島観光の地盤沈下と歩を合わせ、利用者数はピークの約四十分の一に落ち込んでいた。
昨年四月からは譲渡先を模索したが、施設更新のコストや駅との距離などがネックになり、最終的には折り合いが付かなかった。鎌田部長は「結局、屋島観光の魅力が薄くなったということでしょうか」と嘆く。
県と市に距離
「県が高松市が、と言わずに双方がベターな方策を考えるべきでは」。今年の九月定例県議会経済委員会。複数の委員は屋島山上の廃屋問題が進展しないことに絡み、平尾県観光交流局長にこう迫った。
背景には、屋島観光をめぐる県と高松市の“距離感”がある。市が「集客につながる施策を一つずつでも手掛けたい」とするのに対し、県は「にぎわいか、自然かの基本的な方向を」とのスタンスを取るからだ。
双方の言い分の是非は別にして、結果的に廃屋問題のように協議が進まない現状を生んでいる。それが屋島観光への対応の遅れにつながっているとの指摘も少なくない。
ケーブルカー休止が屋島観光のイメージに影響するのは避けられない。「負の連鎖」を懸念する声も出始めている。休止を静観する姿勢の県と市が、この逆境を契機に、いかに観光振興に取り組むか―。それは、困難を極める譲渡問題の成否とも不可分といえる。
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運行を休止した屋島ケーブルの義経号。車体は1950年製で山上までの約800メートルを5分でつなぐ=高松市屋島中町 |
「ケーブルカーに乗るのは小学校の遠足以来」「もう五十年ぶりだろうか。私と同じ、駅舎も車両も随分と、くたびれたもんだ」…
運転休止が伝えられて以降、往時を懐かしむ人々で“最後”のにぎわいをみせた屋島ケーブル。好天に恵まれた十一日には約八百人が、前日も約五百人が利用し、普段の休日の二・五―四倍の乗客数を数えたという。こんな声に代表されるように、屋島ケーブルは時代の変化とともに多くの県民にとって近くて遠い存在だったといえよう。
屋島観光にとって、ケーブルカーは必要か。
魅力乏しい
「事業として魅力に乏しい。SWOT(スワット)分析を行えば、明らかだ」。こう語るのは、池田経営コンサルタントの池田清一郎代表だ。屋島全体に魅力度が増したとしても、車社会の現代にあって屋島ドライブウエイと比較すれば、ケーブルカーの優位性は見いだせないときっぱり。
SWOT分析は、マーケティング戦略や企業戦略立案の際に用いる。組織の強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)の四つの評価軸から分析を試みる手法だ。
池田代表による分析はこうだ。老朽化した車両や設備から、安心感や信頼感は得られない。旅客輸送にとって、命にかかわる部分だけに最大のマイナス材料。車だと高松市中心部から二、三十分で屋島山上まで到着できるのに、電車とケーブルカーを乗り継げば、時間がかかる。仮に接続がうまくいったとしても乗り継ぎの手間を考えれば、比較にならない面倒さ。料金(ケーブルカー往復千三百円、ドライブウエイ六百十円)を比べても車の利便性ばかりが目につき、ケーブルカーの優位性は認められない。
つまるところ「『ケーブルカーがなければ、屋島ではない』と言われるだけの存在感はない」と池田代表。ノスタルジックな思いだけで新たに設備投資し、事業を再開するだけのものではないという考えだ。
日本政策投資銀行の石井吉春四国支店長も、意見は同じ。ドライブウエイの開通によって、役割は終わったと言う。「年間六十万人ほどが屋島を訪れているが、そのうち九割がドライブウエイの利用者であることを考えるとケーブルカーの存在意義は極めて薄くなってきている」との指摘だ。代替手段、公共交通としてバス路線復活や臨時便が現実的な選択。ケーブルカーがないことより、山上の廃屋がむしろマイナスに作用すると話す。
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愛好家の間ではレトロ感覚が受けている屋島山上駅 |
活用すべき
「ケーブルカーは自然環境に優しい乗り物。車で頂上まで登るのが、そもそも間違い」と訴えるのは日本山岳会の林巍さん。ケーブルカーを存続し、ドライブウエーには馬車を走らせるなど、自然公園にふさわしい輸送手段を考えるべきだと持論を展開する。加えて現在、観光資源として活用されていない北嶺をもっと生かす努力が今後、必要という。
北嶺の北端にある遊鶴亭は南嶺西側の獅子の霊巌、北東側の談古嶺とともに屋島の三大展望の一つ。特に遊鶴亭は瀬戸内海が三二〇度見渡せるビューポイントであることをPRし、自然やケーブルカーからの優れた眺望が体感できる公園として県外客だけでなく、県民が日ごろから親しめる空間として生き残る道を模索すべきと力説する。
「ケーブルカーは屋島活性化の柱の一つ。コットンコットンと走るケーブルカーも趣があっていいではないか」。倉庫街を再生させた北浜alleyの仕掛け人・井上秀美さんは、どちらも必要との立場をとる。廃屋問題も同じだが、壊すこと(軌道を撤去すること)は技術的には簡単だが、新たに作るとなれば、自然公園法による土地利用の規制もあり、条件クリアへ大きなエネルギーが必要だからだ。
井上さんは「本気で屋島を再生しようというのなら、国が、県が、高松市が、お寺が…と責任の所在をあいまいにするのではなく、それぞれが歩み寄るべき」と主張。屋島は、高松市民のシンボルであり、県民の貴重な自然の財産との認識に立ち、既存施設の再利用を中心に、民間や市民のアイデアを生かすべきではないかという。多くの市民が自らのこととして考えれば、マイカーを運転できない高齢者やお遍路さんの楽しみを奪うようなことにはならないはず。そんな思いが根底にある。
ニーズ把握
香川大の井原健雄名誉教授は「屋島ケーブル休止という問題から、今後へ向け、教訓として何を学び取るかが重要だ」と話す。今回のケーブル休止は、車との競争に敗れたことを意味し、現状のままでは再生へのシナリオは描けない。そこに新たな価値をどう見いだすかがカギを握る。
ケーブルカーの存在意義について井原教授は、「将来のことを考えると否定できないし、むしろ評価されていくだろう」という。高齢社会、スローライフの時代。単なる移動手段としての派生的需要ではなく、根源的需要を顕在化させるためのニーズの掘り起こし、仕掛け作りが重要になるとの指摘だ。
広島や高知のように、路面電車が活躍している土地もある。その土地に合ったものであれば、人々はそれを求め、自然と残っていくものだ。
「どう生かすか、生かさないのかを含め、国際的なコンペを行い、アイデアを募れば、思わぬ反響やヒントがあるかもしれない」が井原教授の提案だ。「真の豊かさ」とは選択の幅があること。車か、歩くしかないことになれば、それだけ、豊かさの度合いが減ることになりはしないか。
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全国のケーブルカー
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鉄道事業法に基づいて運営しているケーブルカーは、全国では屋島登山鉄道を含めて二十三事業者、二十五路線。このうち県内には四国ケーブル(八栗登山)と屋島登山鉄道の二事業者、二路線がある。四国のケーブルカーは、この二路線だけで、一県に複数の路線を持っているのは箱根、京都、六甲など一大観光地がほとんどとなっている。
現在、営業中のケーブルカーで最も歴史のあるのは一九一八年、運行開始の近畿日本鉄道(生駒山)。以下、(2)箱根登山鉄道(早雲山)(3)神戸市都市整備公社(摩耶山)(4)京福電気鉄道(比叡)(5)高尾登山電鉄(高尾山)(6)比叡山鉄道(延暦寺)(7)屋島登山鉄道―の順になる。
ユニークなケーブルカーもある。遊具メーカー岡本製作所は遊園地の来場者用に、京都市にある宗教法人の鞍馬寺は参拝客用に運行している。このうち鞍馬寺は山門から多宝塔までの約二百メートルを三分で結ぶ。年間参拝客約四十万人のうち半数の約二十万人が利用。片道百円の寄付で維持運営している。
佐竹圭一、山下和彦、岩部芳樹が担当しました。
(2004年10月17日四国新聞掲載)
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