1988年6月、ニューヨーク・ブルックリンの高校で、広島、長崎の被爆者が生徒たちに被爆体験を語り終えた直後、校長が質問した。「パールハーバー(真珠湾)がなければ原爆もなかった。それをどう思うのか」
被爆者は何かを言い出そうとしたが、唇をかみしめて沈黙した。集会後、教師数人が被爆者に駆け寄り、「原爆投下は正当化できないと考えている米国人もいることを理解してください。私たちがそうです」と勇気づけていた。広島支局からの出張取材、私にとって初めての米国の第一印象は「価値観を共有できない」だった。
被爆者は原爆投下を問われた時、よく「米国を恨んでいない。憎いのは核兵器」と答える。「(米国が)投下した原爆」ではなく、主語のない「投下された原爆」にしないと、パールハーバーは? 日本の侵略戦争は?と際限のない反感を招く。無差別爆撃の国際法違反は明白なのに、それに触れると「主語」は激高する。日本政府も困惑する。核兵器廃絶の切実な願いを米国や世界に届けるため、怒り、憎しみを覆い隠して被爆の惨状を語るという心理的葛藤(かっとう)を強いられてきた。
あれから22年。国連の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて多くの被爆者がニューヨーク入りし、被爆体験を語り続けた。米反戦活動家のブログで、被爆者の一人がニューヨークの学校での集会でパールハーバーを謝罪したことを伝え、「どうして被爆者が謝らなければならないのか」と疑問を呈していた。
オバマ米大統領は昨年のプラハ演説で原爆を投下した「道義的責任」として核兵器のない世界を訴えた。被爆者に残された時間はそう長くない。封じられてきた魂の叫びを受け止め続けたい。
毎日新聞 2010年5月10日 0時04分
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