日米の2人の政治家が表舞台から去ったあと、我々には何が残されるのであろうか。オーストラリア国立大学でアジア太平洋研究所の教授をつとめるガバン・マコーマックの手になる『属国』には、日米関係の現実があまねく活写されている。
著者:ガバン・マコーマック
訳者:新田準
出版社:凱風社
定価:2500円+税
発刊日:2008年8月31日
世界の大変動がたて続いている。子ブッシュが導いた米国ユニラテラリズム(一国覇権主義)と、その落とし子であるカジノ経済が大崩落し、ひとびとは世界同時不況の足音におびえている。その米国が求めるままに日本を新自由主義の渦中に叩き込んだ小泉純一郎は、後継者が2度の政権投げ出しで混乱を引き起こす中、引退を決意した。日米の2人の政治家が表舞台から去ったあと、我々には何が残されるのであろうか。オーストラリア国立大学でアジア太平洋研究所の教授をつとめるガバン・マコーマックの手になる『属国』には、日米関係の現実があまねく活写されている。
本書で著者は、敗戦後の日本がどのように対米従属の戦略に組み込まれたかに始まり、そのクライマックスとして、21世紀初頭ブッシュ‐小泉政権が推し進めた日本の「完全なる属国化」を、精密な論理で解き明かしていく。
日本をアジア諸国との連携から切り離し、孤立の道を歩ませること。それが戦後、マッカーサーの占領政策の中で最重要視されたことであった。「天皇制」の保存・維持はその文脈の中で遂行されたという著者の分析は興味深い。
<(戦時中、対日「心理戦」の立案者たちは)長期にわたって日本を米国に従属させるためには、日本文化の規定には、言葉にできない、とりわけ非アジア的な天皇中心の「文化パターン」がある――という考えを広めると効果があると結論づけた。日本が心理的にアジアと距離をおけば、決してアジア諸国と共同歩調はとれないだろうし、米国に依存し続けるはずだと分析したのだ。米国にとって、日本が敗戦後もこの神話に固執するよう仕向けるほうが占領政策上得策だった。なぜなら、アジアを見下して同胞とみなさない日本はアジア諸国と連携できないだろうし、結果的には米国に依存し続けるに違いないからである。(本文P30より)>
そして、この試みは見事に功を奏したといえよう。日本は現在までに、世界一の外貨準備保有国となり、約90兆円にのぼるその大半を米ドルで保有している。イラク復興支援への追加支出においても、EUがヨーロッパ全体として負担した金額の5倍にのぼる50億ドルを拠出することを当然視された。さらに「思いやり予算」という名目で米国防省(駐留米軍)に献上した金額は累計2兆円近くに達する。これらは米政府の財政・軍事や文化的覇権を維持するための税金の一種だ――というのが著者の見立てである。
宰相小泉はナショナリストの衣をまとって登場したが、彼がその任期に成し遂げたのは米政府の要求を全て実現することだったと著者は言う。自衛隊のイラク派遣に代表される、米軍事行動への同調と支援。「反テロ」など米政府の政策への巨額の資金提供。郵政民営化(市場開放)は長年アメリカが日本に強く求めてきた宿願でもあった。新自由主義的な経済政策の野放図な推進によって、日本の国民がどれほど疲弊したかは今更述べるまでもない。かつてこれほどまでに米国の要請を実現した首相はいなかった。しかしその一方で、小泉は靖国神社への公式参拝を繰り返し「国益」追求を精力的に語る。マコーマックは言う。<小泉もそのほかの「ナショナリスト」も誰一人として、なぜマッカーサーが天皇を国家の中心に据えようとしたのか考えようとしない>。
米の国家戦略として日本を永続的に従属させるため採用された「天皇制」は、まさに彼の国の思惑通りに突き進む日本人の一群を輩出した。こうした人物は「天皇を戴く世界に類例のない日本」を理想とする。そうしてこうした思想はますます日本を孤立させ、米国への依存を強めることに寄与するのだ。そのもっとも典型的な人間が日本の首相となり、全身全霊を賭けて米国の国益のために粉骨砕身した――。著者によれば、「属国」とは「自国の利益よりほかの国の利益を優先させる国家」と定義されるという。
これは現代の日本人にとって壮大な、そして身の毛がよだつほど恐ろしいジョークである。
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