25日は午後1時頃に名護を出て県民大会の会場に向かった。恩納村あたりまでは58号線はわりと空いていたのだが、読谷村に入ってから混み出し、やがて車の長蛇の列になった。駐車場に指定されている滑走路跡にやっとたどり着いたと思ったらすでに満杯で、端まで行って止めることができず、開会時間が迫っているので草ぬみーに突っ込んで駐車した。
北部からでさえこういう状況だから、中・南部方面の渋滞はもっと大変だったようで、大会の終わり頃になってやっと着いた、という知人もいれば、結局、大会に間にあわなかったという人、渋滞の酷さに引き返したという人もいた。中には高速道路を使って石川インターチェンジで降り、58号線を北から会場に向かったという中部の人もいた。
鉄軌道のない沖縄では、大規模な集会を開くときに、駐車場の確保と交通渋滞対策が大きな問題となる。実行委員会としても、分かってはいるが有効な対策法は無い、というのが実情だろう。できるだけバスを利用するようにと呼びかけても限界があり、敗戦後27年間に及ぶ米軍支配下で鉄軌道の建設がなされず、アメリカ風の車中心社会になったことの歪みが、こういうところでも現出する。※
このような交通状況だから、大会参加者も帰りの大渋滞を恐れて途中から帰り始める人が出る。開会中も遅れて来る人と帰る人の二つの流れができ、集会参加者の流動が大きいというのが、沖縄の大規模集会の特色となる。こういうことを知らずに、あるいは意図的に無視して、ある一瞬を撮った会場の写真から参加者を割り出せると主張するのは、ためにする政治宣伝にすぎない。
今回の県民大会についても、航空写真をもとに会場に空きがあると指摘して、参加者は少ない、とネット上でケチつけしている人がいる。それこそ現場に足を運ばないから分からないだけで、私はずっと会場内や周辺を歩き回って様子を見ていたが、渋滞と車を止める場所探しで遅れて来た人が多く、会場が埋まったのは大会の終盤になってからであった。それでも空いている所があるのは、前日までの雨で赤土のグラウンドがあちこちぬかるんでいて(写真でもグラウンドの色を見れば分かる)、参加者がそこを避けて座っていたのと、通路が確保されていたからである。
当日は晴天で日差しが強く、グラウンド周辺のガジマルやソウシジュの木陰に座っている人が大勢いた。大会に参加しているウチナンチューは、男女を問わず長袖の上着に帽子姿が多く、日傘を差し、手袋をしている女性も少なくなかった。午後3時というのは、沖縄では繁華街をのぞいて普段なら道を歩く人も少ない時間帯だ。そういう時間帯に屋外集会を開けば、日差しを避けて木陰に人が集まるのも仕方がない。
こういうことを細々と書いているのは、このような沖縄の状況を知らないか目を伏せるかして、なおかつ現場の状況をきちんと確認もしないで、県民大会の意義を否定するために、デマ宣伝を行っている者たちがいるからだ。沖縄にいればテレビや新聞が詳細に報道するので、参加しなくても県民大会の様子をかなり把握できる。しかし、ヤマトゥでは報道も限られている。それをいいことに、意図的に県民大会について事実を歪曲し、県知事や全市町村の首長(代理二名)が参加し、自民党や公明党も含めて超党派で「県内移設」拒否の意思を示した県民大会の意義から目を逸らさせようと、インターネット上で姑息なデマ宣伝を行っている。
ところで、2007年9月29日に開かれた教科書検定をめぐる県民大会では、参加者は1万数千人と主張した人たちがいた。そういう人たちは昨日の4・25県民大会の参加者を何人だと主張するつもりだろうか。まかり間違っても9・29県民大会以上の数は言えないはずだし、例えば1万2千人と主張した人が整合性をつけるには、今回は1万人以下と言うしかないだろう。主催者発表で1万5千人が参加した徳之島の集会よりも、25日の沖縄の県民大会は参加者が少なかった、と主張せざるを得ないわけで、さて、どういう対応をとるやら。彼らは一度デマ宣伝を行ったが故に、さらにデマを重ねなければならず、沖縄県民の怒りと物笑いの対象になるしかあるまい。
25日は私の家族や親戚も今帰仁から参加していた。今帰仁には米軍基地がないので、基地に反対する集会に参加する機会も少ない。そういう人たちがバスや車で読谷まで足を運んだ。普段は市民運動や労働運動に関わっているわけでもない人たちが、自らの意思で実行委員会の呼びかけに応えて行動し、交通渋滞や暑い日差しの中を県内各地から会場に向かったのだ。
沖縄にはまだこのような民衆の連帯意識が残っている。それが辺野古や高江の現場でたたかっている人たちを孤立させずに支える力となっている。知事の発言や大会スローガンなど問題点もあったが、普天間基地の「県内移設」や現在のまま固定化することを許さないという意思を示すために、沖縄県民が9万人(主催者発表)も集まったことの意義は大きい。「県内移設」を強行すれば、さらに多くの人が集まり、実力阻止に立ち上がるはずだし、現状のままの固定化にも不満と怒りが噴出するはずだ。
沖縄県民が怒っているのは、米軍基地がもたらす直接的な被害だけではない。普天間基地の「県内移設」という主張に端的に示されている、日本の「平和」と「安全」のために沖縄に犠牲を強いるのはやむを得ない、とする日本政府及び日本人=ヤマトゥンチューによる差別政策。そして、いつまでも占領軍気どりで沖縄を軍事植民地として利用しようとする米軍と米国政府の傲慢な姿勢に対する怒りが、日々募っている。
1995年の10・21県民大会の後、自公政権は振興策というアメをばらまき、辺野古新基地建設というムチをふるってきた。米軍基地維持のために有効とされる補償型政治(ケント・E・カルダー『米軍再編の政治学』日本経済新聞出版社)を行ってきたわけだが、普天間基地「移設」(新基地建設)に関しては、その手法はもはや破綻している。
昨日の県民大会では、宜野湾市、名護市、うるま市の市長が発言し、「県内移設」反対の意思を明確に示した。同日行われた沖縄市長選挙では、無所属で社民党、共産党、社大党が推薦する東門美津子氏が再選を果たしている。嘉手納町長や北谷町長も当然反対の立場だ。仲井真知事も県民大会に参加したからには、整合性のある行動をとらなければ県民から激しい批判にさらされる。「県内移設」はもはや不可能であるという現実を、日米両政府は直視すべきだ。
※新聞報道を見ると、会場に着けずに引き返した団体バスや個人車両がかなりあるようだ。58号線から左折または右折して会場に向かう道路が限られていて、そこで詰まると特に中・南部方面からは大渋滞になるのは予想できたと思うのだが。緊急の取り組みでほかに場所がなかったのかもしれないが、今回は会場選定の問題もあったように思う。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/3789ddf293cf5ee6bcf60490ccc572f1
資料:4・25沖縄県民大会/伊波洋一宜野湾市長の決意表明
4・25沖縄県民大会における伊波洋一宜野湾市長の決意表明をテープ起こしした全文を、参考資料として紹介したい。
皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、宜野湾市長の伊波洋一でございます。普天間飛行場の県内移設に反対し、早期閉鎖・返還を求める県民大会の開催に向けて、取り組んでこられた沖縄県議会をはじめ、各実行委員会、団体の皆さん、そして、本日結集された県民の皆さん、県外からの参加者の皆さん、宜野湾市民、宜野湾市を代表して、本日の県民大会の開催に心から感謝申し上げます。
14年前の1996年4月12日に、普天間飛行場の全面返還合意が、日米両政府から発表されたとき、私を含め全宜野湾市民が喜びました。しかし、県内移設の条件が付き、今日まで14年間も普天間基地の危険性は放置されてきました。6年前には沖縄国際大学に米軍大型ヘリが墜落炎上する大惨事も起きました。今も市街、住宅地上空を早朝から深夜11時まで、米軍ヘリと米軍機が低空で飛び交い、毎日のように市民の悲鳴に近い苦情が市役所に寄せられています。
宜野湾市では、いつ墜落事故が起きても不思議ではない状況が続いています。普天間飛行場の危険性除去は、絶対に必要なことなのです。宜野湾市民は戦後65年も、普天間基地の重圧に苦しめられ続けてきました。これほどの不公平はなく、日米両政府による沖縄差別でしかありません。
普天間基地問題は、県内移設の条件付きでは、永遠に解決できません。だからこそ昨年の総選挙で、民主党は鳩山代表自ら先頭になって、県外、国外移設を掲げ、「最低でも県外」と主張し、総選挙を勝利し、政権交代を実現したのではありませんか(拍手)。
過去50年の世界の政権交代で、外国軍隊が撤退する確率は、80パーセントを超えるとされています。これまでに米軍が駐留していた多くの国でも、政権交代により、米軍は撤退をしました。フィリピンでも、パナマでも、エクアドルでも撤退をしています。私はそのことを米国自身が一番よく知っていると考えます。
いま、沖縄県民が求めているのは、普天間飛行場の閉鎖です。すべての米軍を撤退しろとは、まだ言っていません。しかし、あくまで米国が普天間飛行場の代替施設を県内に造れと言い続けるのなら、私たちは沖縄から米軍の撤退を求めていかなければなりません(大きな拍手)。
なぜなら私たちは、子どもたちや孫たちのために、沖縄の未来のために、平和に暮らせる沖縄を残さなければならないからです。世界一危険な普天間飛行場を、あくまで沖縄県民に押しつける米国に妥協するわけにはいきません(大きな拍手)。沖縄の未来のためにも、戦後65年のいま、新たな米軍基地は絶対に造らせてはいけないからです(拍手)。
私は宜野湾市長として、2006年5月のロードマップで合意された、沖縄からグアムへの海兵隊8000人の移転について、ずっと調査をしてきました。2006年7月にグアムとテニアンへの移転計画が作られ、環境影響評価が行われてきました。2007年には中部市町村長会でグアムの調査を行い、沖縄からヘリコプター部隊と1500名の海兵隊航空部隊が、グアムのアンダーセン基地に来るとの説明を受け、ヘリ基地予定地も案内をされました。
2008年9月15日には米海軍長官が、米連邦議会下院軍事委員長宛に、沖縄からグアムに移転する海兵隊部隊を報告しており、普天間基地のヘリ部隊は、岩国へ行く空中給油機部隊をのぞいて、主力の中型ヘリ中隊を含め、整備部隊、管制部隊など11のほとんどの海兵航空部隊2000名が、グアムに行くと報告されています。
そして、昨年2009年11月20日には、8000ページもの沖縄からグアム、テニアンへの海兵隊移転計画の環境影響報告ドラフトが、グアム州政府とグアム住民に公表されました。その中には、西太平洋地域の海兵隊拠点が、沖縄からグアムやテニアンを含むマリアナ諸島に移転することが、きちんと書かれています。明らかに普天間の海兵隊航空部隊なのです。
普天間基地にはいま2000名の海兵隊航空部隊と36機のヘリがいますが、ドラフトはグアムのアンダーセン基地に37機の海兵隊ヘリが移転してくるとしています。そして、アンダーセン基地では新たに年間19255回のヘリの飛行訓練が増えるとして、2014年からはヘリの訓練だけでも38206回の飛行訓練が行われるとしています。海兵隊全体で10600人の海兵隊員と9000人の家族がグアムに移転するとしており、12400人とされる沖縄海兵隊のほとんどが移転する計画なのです。嘉手納以南の海兵隊基地がいらなくなって返還されるのと同様に、普天間基地の代替施設が必要ないのは明らかであります(拍手)。
そして、この移転計画に日本政府が、国民の血税を含め60.1億ドル、当時のレートで7000億円もの巨額な財政負担をするのです。米国はグアム州政府やグアム住民に公表しているグアム移転の詳細について、未だに7000億円を負担する日本政府に明らかにしていません。これほど沖縄県民や日本国民を愚弄する話があるでしょうか(拍手)。
鳩山総理に申し上げたい。聡明な総理であってください。正々堂々と米国政府に、沖縄からグアムへ移転する海兵隊の詳細について説明を求め、沖縄の海兵航空部隊2000名と、ヘリ部隊が他の地上部隊と一緒にグアムに移ることを確認してもらいたい。普天間の代替施設探しではなく、残りの部隊について誘致決議をしているテニアンへの移転や、ハワイなどへ撤退を要求すべきです。
そのことが沖縄県民が戦後65年も背負ってきた米軍基地の重圧を取り除く道なのです。「最低でも県外」と言ってきた鳩山政権で、ぜひ、普天間飛行場の危険性除去と、県内移設によらない普天間基地の閉鎖・返還を実現してもらいたい。
私は、辺野古の海の埋め立ては自然に対する冒涜だ、現行案が受け入れられるなどというような話があってはならないとする、昨日の鳩山首相の言葉を信じたいと思います。今日の県民大会の成功で、日米両政府に県内移設を断念させ、普天間飛行場の閉鎖をさせましょう。沖縄から海兵隊航空部隊を撤退させましょう。ともに頑張りましょう(大きな拍手、指笛)。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/450e57f08f6535b0d17bf90e5a03de10
資料:4・25沖縄県民大会/稲嶺進名護市長の決意表明
4・25沖縄県民大会における稲嶺進名護市長の決意表明をテープ起こしした全文を、参考資料として紹介したい。
はいさいぐすーよー、ちゅーうがまびら。
普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会に、県内、県外各地から、たくさんお集まりいただき、感謝、敬意を表したいと思います。ただいまご紹介に預かりました、名護市長稲嶺進でございます(大きな拍手、指笛)。
今日のこの県内移設を許さない県民大会の会場、及び県民世論の盛り上がり、人々の中で、胸には大動脈と脈打つ炎のように、私の全身を揺さぶる感動を覚える。身震いがたーそーいびん。
いまわが沖縄の地は、まさに基地沖縄の歴史を変える千載一遇の時を迎えていると実感いたします。1996年、普天間基地返還とSACO合意以来、辺野古のおじー、おばーたちが、自らの身体にムチ打ち、座り込みを続け、絶対に基地受け入れ許さない、と大きな声を上げて頑張ってまいりました。以来、14年間も進展しなかった移設問題が、昨年の衆議院選挙で「最低でも県外」という政権が誕生し、沖縄県民に希望を与えました。しかし、現在は皆さんご承知の通り、大変懸念する状況にあります。
また、去る1月24日の名護市長選挙において、辺野古の海はもとより、陸上にも新たな基地は造らせないと訴えて参りました、私、稲嶺進が当選することにより、これまで自公政権にはアメとムチの手法で強硬に進めてきたシュワブ沿岸案、すなわちV字案を断念に追い込み、今日のような流れを作るターニングポイントになったと確信しております(大きな拍手)。
さらに、この2月には沖縄県議会が、党派を超え、全会一致で県議会での、県外移設を求める意見書の採択に繋がったものと思っております。このようなことは1997年の名護市民投票の結果とねじれ現象にあった市長選挙の結果を、やっとの思いで一つにまとめた名護市民の勇気ある選択、行動が、今日オール沖縄で、県内移設反対の県民運動の原動力となり、その先導役を担っていただいた名護市民を、私は誇りに思っております(大きな拍手)。同様に名護市民に自信と勇気を与えてくれた県内外の大きな支援に、感謝と敬意を表します。有り難うございます(拍手、指笛)。
しかし、「少なくとも県外」と言ってきた政府の軸足は、未だ定まらず、迷走をくり返しています。名護市長選挙の結果を斟酌する必要はないと公言したり、最近になって辺野古案回帰論が出てくるなど、場当たり的で節操のないやり方には、県民を愚弄するものであり、とても許せるものではありません(そうだ、という呼応の声と拍手)。
いまこそ我々は、声を大にして県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民の肝心(ちむぐくる)を一つにして、日米両政府に強く意思を示すべき時であります(拍手)。それは同時に、我々国民の民主主義を取り戻し、沖縄県民の人権を取り戻す闘いでもあります。
我々の子や孫たちに、二度と苦難の歴史を歩ませるようなことがあっては、なりません。いまこそ沖縄は、変わるべき時です。変わるためには私たち県民一人ひとりが、自らの行動を起こし、声を上げることが大切であります。
私は名護市民に約束してきたことを、最後まで信念を持って貫き通してまいります(拍手)。そのことを今日改めて、この会場の皆さんの前で、新基地NO!県内移設NO!の不退転の決意を表し、連帯のあいさつといたします。皆さん、ともに頑張りましょう(大きな拍手、指笛)。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/c1b0e076770525ac05a85b828acf73d4
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関連
東京新聞「沖縄“怒りの津波”ルポ」文字起こし/vanacoralの日記
沖縄で開催された超党派県民大会は大成功の内に終わりましたが、鳩山政権は政権崩壊の危機というピンチを、県外・国外移設というチャンスに変える事が出来るのでしょうか。大会に集まった9万人の人たちの期待に答える事が出来ないのならば、所詮その程度だったと言わざるを得ません。
鳩山政権にもう一押しする為に、東京新聞による特報を紹介いたします。例によって前文しかWEB配信されませんので、全文文字起こしいたします。
鳩山首相はデスクメモ、そして大会に集まった多くの沖縄の人たちの声を最後のエールだと受け止めて基地問題に真剣になって取り組んで下さい。初心を取り戻し、県民に約束した事を忠実に実行して下さい。それができない、それをやらない様では、民主党政権が崩壊しても誰も悲しみはしないでしょう。
*文字起こし部分はhttp://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20100426で。
沖縄県民大会政府要請団と連帯する4・26東京集会・報告/渡部秀清 ほか
米国でも普天間県内移設反対集会 普天間、下院議員も懸念/共同通信
基地撤去求める沖縄県民の思い 日米に警鐘鳴らす大田昌秀元知事/中国新聞
沖縄のどこにも基地はいらない 4.25県民大会連帯アクション・名古屋の報告 ほか
4.25沖縄県民大会に9万人余結集
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北部からでさえこういう状況だから、中・南部方面の渋滞はもっと大変だったようで、大会の終わり頃になってやっと着いた、という知人もいれば、結局、大会に間にあわなかったという人、渋滞の酷さに引き返したという人もいた。中には高速道路を使って石川インターチェンジで降り、58号線を北から会場に向かったという中部の人もいた。
鉄軌道のない沖縄では、大規模な集会を開くときに、駐車場の確保と交通渋滞対策が大きな問題となる。実行委員会としても、分かってはいるが有効な対策法は無い、というのが実情だろう。できるだけバスを利用するようにと呼びかけても限界があり、敗戦後27年間に及ぶ米軍支配下で鉄軌道の建設がなされず、アメリカ風の車中心社会になったことの歪みが、こういうところでも現出する。※
このような交通状況だから、大会参加者も帰りの大渋滞を恐れて途中から帰り始める人が出る。開会中も遅れて来る人と帰る人の二つの流れができ、集会参加者の流動が大きいというのが、沖縄の大規模集会の特色となる。こういうことを知らずに、あるいは意図的に無視して、ある一瞬を撮った会場の写真から参加者を割り出せると主張するのは、ためにする政治宣伝にすぎない。
今回の県民大会についても、航空写真をもとに会場に空きがあると指摘して、参加者は少ない、とネット上でケチつけしている人がいる。それこそ現場に足を運ばないから分からないだけで、私はずっと会場内や周辺を歩き回って様子を見ていたが、渋滞と車を止める場所探しで遅れて来た人が多く、会場が埋まったのは大会の終盤になってからであった。それでも空いている所があるのは、前日までの雨で赤土のグラウンドがあちこちぬかるんでいて(写真でもグラウンドの色を見れば分かる)、参加者がそこを避けて座っていたのと、通路が確保されていたからである。
当日は晴天で日差しが強く、グラウンド周辺のガジマルやソウシジュの木陰に座っている人が大勢いた。大会に参加しているウチナンチューは、男女を問わず長袖の上着に帽子姿が多く、日傘を差し、手袋をしている女性も少なくなかった。午後3時というのは、沖縄では繁華街をのぞいて普段なら道を歩く人も少ない時間帯だ。そういう時間帯に屋外集会を開けば、日差しを避けて木陰に人が集まるのも仕方がない。
こういうことを細々と書いているのは、このような沖縄の状況を知らないか目を伏せるかして、なおかつ現場の状況をきちんと確認もしないで、県民大会の意義を否定するために、デマ宣伝を行っている者たちがいるからだ。沖縄にいればテレビや新聞が詳細に報道するので、参加しなくても県民大会の様子をかなり把握できる。しかし、ヤマトゥでは報道も限られている。それをいいことに、意図的に県民大会について事実を歪曲し、県知事や全市町村の首長(代理二名)が参加し、自民党や公明党も含めて超党派で「県内移設」拒否の意思を示した県民大会の意義から目を逸らさせようと、インターネット上で姑息なデマ宣伝を行っている。
ところで、2007年9月29日に開かれた教科書検定をめぐる県民大会では、参加者は1万数千人と主張した人たちがいた。そういう人たちは昨日の4・25県民大会の参加者を何人だと主張するつもりだろうか。まかり間違っても9・29県民大会以上の数は言えないはずだし、例えば1万2千人と主張した人が整合性をつけるには、今回は1万人以下と言うしかないだろう。主催者発表で1万5千人が参加した徳之島の集会よりも、25日の沖縄の県民大会は参加者が少なかった、と主張せざるを得ないわけで、さて、どういう対応をとるやら。彼らは一度デマ宣伝を行ったが故に、さらにデマを重ねなければならず、沖縄県民の怒りと物笑いの対象になるしかあるまい。
25日は私の家族や親戚も今帰仁から参加していた。今帰仁には米軍基地がないので、基地に反対する集会に参加する機会も少ない。そういう人たちがバスや車で読谷まで足を運んだ。普段は市民運動や労働運動に関わっているわけでもない人たちが、自らの意思で実行委員会の呼びかけに応えて行動し、交通渋滞や暑い日差しの中を県内各地から会場に向かったのだ。
沖縄にはまだこのような民衆の連帯意識が残っている。それが辺野古や高江の現場でたたかっている人たちを孤立させずに支える力となっている。知事の発言や大会スローガンなど問題点もあったが、普天間基地の「県内移設」や現在のまま固定化することを許さないという意思を示すために、沖縄県民が9万人(主催者発表)も集まったことの意義は大きい。「県内移設」を強行すれば、さらに多くの人が集まり、実力阻止に立ち上がるはずだし、現状のままの固定化にも不満と怒りが噴出するはずだ。
沖縄県民が怒っているのは、米軍基地がもたらす直接的な被害だけではない。普天間基地の「県内移設」という主張に端的に示されている、日本の「平和」と「安全」のために沖縄に犠牲を強いるのはやむを得ない、とする日本政府及び日本人=ヤマトゥンチューによる差別政策。そして、いつまでも占領軍気どりで沖縄を軍事植民地として利用しようとする米軍と米国政府の傲慢な姿勢に対する怒りが、日々募っている。
1995年の10・21県民大会の後、自公政権は振興策というアメをばらまき、辺野古新基地建設というムチをふるってきた。米軍基地維持のために有効とされる補償型政治(ケント・E・カルダー『米軍再編の政治学』日本経済新聞出版社)を行ってきたわけだが、普天間基地「移設」(新基地建設)に関しては、その手法はもはや破綻している。
昨日の県民大会では、宜野湾市、名護市、うるま市の市長が発言し、「県内移設」反対の意思を明確に示した。同日行われた沖縄市長選挙では、無所属で社民党、共産党、社大党が推薦する東門美津子氏が再選を果たしている。嘉手納町長や北谷町長も当然反対の立場だ。仲井真知事も県民大会に参加したからには、整合性のある行動をとらなければ県民から激しい批判にさらされる。「県内移設」はもはや不可能であるという現実を、日米両政府は直視すべきだ。
※新聞報道を見ると、会場に着けずに引き返した団体バスや個人車両がかなりあるようだ。58号線から左折または右折して会場に向かう道路が限られていて、そこで詰まると特に中・南部方面からは大渋滞になるのは予想できたと思うのだが。緊急の取り組みでほかに場所がなかったのかもしれないが、今回は会場選定の問題もあったように思う。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/3789ddf293cf5ee6bcf60490ccc572f1
資料:4・25沖縄県民大会/伊波洋一宜野湾市長の決意表明
4・25沖縄県民大会における伊波洋一宜野湾市長の決意表明をテープ起こしした全文を、参考資料として紹介したい。
皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、宜野湾市長の伊波洋一でございます。普天間飛行場の県内移設に反対し、早期閉鎖・返還を求める県民大会の開催に向けて、取り組んでこられた沖縄県議会をはじめ、各実行委員会、団体の皆さん、そして、本日結集された県民の皆さん、県外からの参加者の皆さん、宜野湾市民、宜野湾市を代表して、本日の県民大会の開催に心から感謝申し上げます。
14年前の1996年4月12日に、普天間飛行場の全面返還合意が、日米両政府から発表されたとき、私を含め全宜野湾市民が喜びました。しかし、県内移設の条件が付き、今日まで14年間も普天間基地の危険性は放置されてきました。6年前には沖縄国際大学に米軍大型ヘリが墜落炎上する大惨事も起きました。今も市街、住宅地上空を早朝から深夜11時まで、米軍ヘリと米軍機が低空で飛び交い、毎日のように市民の悲鳴に近い苦情が市役所に寄せられています。
宜野湾市では、いつ墜落事故が起きても不思議ではない状況が続いています。普天間飛行場の危険性除去は、絶対に必要なことなのです。宜野湾市民は戦後65年も、普天間基地の重圧に苦しめられ続けてきました。これほどの不公平はなく、日米両政府による沖縄差別でしかありません。
普天間基地問題は、県内移設の条件付きでは、永遠に解決できません。だからこそ昨年の総選挙で、民主党は鳩山代表自ら先頭になって、県外、国外移設を掲げ、「最低でも県外」と主張し、総選挙を勝利し、政権交代を実現したのではありませんか(拍手)。
過去50年の世界の政権交代で、外国軍隊が撤退する確率は、80パーセントを超えるとされています。これまでに米軍が駐留していた多くの国でも、政権交代により、米軍は撤退をしました。フィリピンでも、パナマでも、エクアドルでも撤退をしています。私はそのことを米国自身が一番よく知っていると考えます。
いま、沖縄県民が求めているのは、普天間飛行場の閉鎖です。すべての米軍を撤退しろとは、まだ言っていません。しかし、あくまで米国が普天間飛行場の代替施設を県内に造れと言い続けるのなら、私たちは沖縄から米軍の撤退を求めていかなければなりません(大きな拍手)。
なぜなら私たちは、子どもたちや孫たちのために、沖縄の未来のために、平和に暮らせる沖縄を残さなければならないからです。世界一危険な普天間飛行場を、あくまで沖縄県民に押しつける米国に妥協するわけにはいきません(大きな拍手)。沖縄の未来のためにも、戦後65年のいま、新たな米軍基地は絶対に造らせてはいけないからです(拍手)。
私は宜野湾市長として、2006年5月のロードマップで合意された、沖縄からグアムへの海兵隊8000人の移転について、ずっと調査をしてきました。2006年7月にグアムとテニアンへの移転計画が作られ、環境影響評価が行われてきました。2007年には中部市町村長会でグアムの調査を行い、沖縄からヘリコプター部隊と1500名の海兵隊航空部隊が、グアムのアンダーセン基地に来るとの説明を受け、ヘリ基地予定地も案内をされました。
2008年9月15日には米海軍長官が、米連邦議会下院軍事委員長宛に、沖縄からグアムに移転する海兵隊部隊を報告しており、普天間基地のヘリ部隊は、岩国へ行く空中給油機部隊をのぞいて、主力の中型ヘリ中隊を含め、整備部隊、管制部隊など11のほとんどの海兵航空部隊2000名が、グアムに行くと報告されています。
そして、昨年2009年11月20日には、8000ページもの沖縄からグアム、テニアンへの海兵隊移転計画の環境影響報告ドラフトが、グアム州政府とグアム住民に公表されました。その中には、西太平洋地域の海兵隊拠点が、沖縄からグアムやテニアンを含むマリアナ諸島に移転することが、きちんと書かれています。明らかに普天間の海兵隊航空部隊なのです。
普天間基地にはいま2000名の海兵隊航空部隊と36機のヘリがいますが、ドラフトはグアムのアンダーセン基地に37機の海兵隊ヘリが移転してくるとしています。そして、アンダーセン基地では新たに年間19255回のヘリの飛行訓練が増えるとして、2014年からはヘリの訓練だけでも38206回の飛行訓練が行われるとしています。海兵隊全体で10600人の海兵隊員と9000人の家族がグアムに移転するとしており、12400人とされる沖縄海兵隊のほとんどが移転する計画なのです。嘉手納以南の海兵隊基地がいらなくなって返還されるのと同様に、普天間基地の代替施設が必要ないのは明らかであります(拍手)。
そして、この移転計画に日本政府が、国民の血税を含め60.1億ドル、当時のレートで7000億円もの巨額な財政負担をするのです。米国はグアム州政府やグアム住民に公表しているグアム移転の詳細について、未だに7000億円を負担する日本政府に明らかにしていません。これほど沖縄県民や日本国民を愚弄する話があるでしょうか(拍手)。
鳩山総理に申し上げたい。聡明な総理であってください。正々堂々と米国政府に、沖縄からグアムへ移転する海兵隊の詳細について説明を求め、沖縄の海兵航空部隊2000名と、ヘリ部隊が他の地上部隊と一緒にグアムに移ることを確認してもらいたい。普天間の代替施設探しではなく、残りの部隊について誘致決議をしているテニアンへの移転や、ハワイなどへ撤退を要求すべきです。
そのことが沖縄県民が戦後65年も背負ってきた米軍基地の重圧を取り除く道なのです。「最低でも県外」と言ってきた鳩山政権で、ぜひ、普天間飛行場の危険性除去と、県内移設によらない普天間基地の閉鎖・返還を実現してもらいたい。
私は、辺野古の海の埋め立ては自然に対する冒涜だ、現行案が受け入れられるなどというような話があってはならないとする、昨日の鳩山首相の言葉を信じたいと思います。今日の県民大会の成功で、日米両政府に県内移設を断念させ、普天間飛行場の閉鎖をさせましょう。沖縄から海兵隊航空部隊を撤退させましょう。ともに頑張りましょう(大きな拍手、指笛)。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/450e57f08f6535b0d17bf90e5a03de10
資料:4・25沖縄県民大会/稲嶺進名護市長の決意表明
4・25沖縄県民大会における稲嶺進名護市長の決意表明をテープ起こしした全文を、参考資料として紹介したい。
はいさいぐすーよー、ちゅーうがまびら。
普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会に、県内、県外各地から、たくさんお集まりいただき、感謝、敬意を表したいと思います。ただいまご紹介に預かりました、名護市長稲嶺進でございます(大きな拍手、指笛)。
今日のこの県内移設を許さない県民大会の会場、及び県民世論の盛り上がり、人々の中で、胸には大動脈と脈打つ炎のように、私の全身を揺さぶる感動を覚える。身震いがたーそーいびん。
いまわが沖縄の地は、まさに基地沖縄の歴史を変える千載一遇の時を迎えていると実感いたします。1996年、普天間基地返還とSACO合意以来、辺野古のおじー、おばーたちが、自らの身体にムチ打ち、座り込みを続け、絶対に基地受け入れ許さない、と大きな声を上げて頑張ってまいりました。以来、14年間も進展しなかった移設問題が、昨年の衆議院選挙で「最低でも県外」という政権が誕生し、沖縄県民に希望を与えました。しかし、現在は皆さんご承知の通り、大変懸念する状況にあります。
また、去る1月24日の名護市長選挙において、辺野古の海はもとより、陸上にも新たな基地は造らせないと訴えて参りました、私、稲嶺進が当選することにより、これまで自公政権にはアメとムチの手法で強硬に進めてきたシュワブ沿岸案、すなわちV字案を断念に追い込み、今日のような流れを作るターニングポイントになったと確信しております(大きな拍手)。
さらに、この2月には沖縄県議会が、党派を超え、全会一致で県議会での、県外移設を求める意見書の採択に繋がったものと思っております。このようなことは1997年の名護市民投票の結果とねじれ現象にあった市長選挙の結果を、やっとの思いで一つにまとめた名護市民の勇気ある選択、行動が、今日オール沖縄で、県内移設反対の県民運動の原動力となり、その先導役を担っていただいた名護市民を、私は誇りに思っております(大きな拍手)。同様に名護市民に自信と勇気を与えてくれた県内外の大きな支援に、感謝と敬意を表します。有り難うございます(拍手、指笛)。
しかし、「少なくとも県外」と言ってきた政府の軸足は、未だ定まらず、迷走をくり返しています。名護市長選挙の結果を斟酌する必要はないと公言したり、最近になって辺野古案回帰論が出てくるなど、場当たり的で節操のないやり方には、県民を愚弄するものであり、とても許せるものではありません(そうだ、という呼応の声と拍手)。
いまこそ我々は、声を大にして県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民の肝心(ちむぐくる)を一つにして、日米両政府に強く意思を示すべき時であります(拍手)。それは同時に、我々国民の民主主義を取り戻し、沖縄県民の人権を取り戻す闘いでもあります。
我々の子や孫たちに、二度と苦難の歴史を歩ませるようなことがあっては、なりません。いまこそ沖縄は、変わるべき時です。変わるためには私たち県民一人ひとりが、自らの行動を起こし、声を上げることが大切であります。
私は名護市民に約束してきたことを、最後まで信念を持って貫き通してまいります(拍手)。そのことを今日改めて、この会場の皆さんの前で、新基地NO!県内移設NO!の不退転の決意を表し、連帯のあいさつといたします。皆さん、ともに頑張りましょう(大きな拍手、指笛)。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/c1b0e076770525ac05a85b828acf73d4
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関連
東京新聞「沖縄“怒りの津波”ルポ」文字起こし/vanacoralの日記
沖縄で開催された超党派県民大会は大成功の内に終わりましたが、鳩山政権は政権崩壊の危機というピンチを、県外・国外移設というチャンスに変える事が出来るのでしょうか。大会に集まった9万人の人たちの期待に答える事が出来ないのならば、所詮その程度だったと言わざるを得ません。
鳩山政権にもう一押しする為に、東京新聞による特報を紹介いたします。例によって前文しかWEB配信されませんので、全文文字起こしいたします。
鳩山首相はデスクメモ、そして大会に集まった多くの沖縄の人たちの声を最後のエールだと受け止めて基地問題に真剣になって取り組んで下さい。初心を取り戻し、県民に約束した事を忠実に実行して下さい。それができない、それをやらない様では、民主党政権が崩壊しても誰も悲しみはしないでしょう。
*文字起こし部分はhttp://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20100426で。
沖縄県民大会政府要請団と連帯する4・26東京集会・報告/渡部秀清 ほか
米国でも普天間県内移設反対集会 普天間、下院議員も懸念/共同通信
基地撤去求める沖縄県民の思い 日米に警鐘鳴らす大田昌秀元知事/中国新聞
沖縄のどこにも基地はいらない 4.25県民大会連帯アクション・名古屋の報告 ほか
4.25沖縄県民大会に9万人余結集
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♪ヤンキー・ゴー・ホーム!♪
兵隊さんは、放射性廃棄物を満載したイージス艦をつらねて、基地ともどもお国へ帰れ。
そして、おらたちと同じようにトウモロコシ畑で、汗して働け!
ジャガイモを植えろ!
豚を飼え!
カサゴを獲れ!
武器を捨てると、いかすにーちゃんねーちゃんになるぞ。