小心者的幸福:雨宮処凛

episode 3

比較しても意味のない人としかつきあわない

 

   だいたいの悩みや落ち込みは、「人と自分を比較する」ということから始まっている(ような気がする)。
 あの人に比べて自分はダメだとか、ここが足りないとか、この辺りでもう勝ち目がないとか。そして本気で比較しようとすれば、その項目はもう膨大なものになる。
 まずは一番わかりやすい容姿から始まって、年齢、学歴、職業、年収、幸せ度、仕事の充実度、家庭環境、親の職業、出身地、住んでる部屋の広さ、築年数、賃貸や持ち家か、正社員か非正社員か、働いてるか働いてないか、友達の人数、貯金の額、借金の額、恋人の有無(いる場合は相手の容姿、年齢、学歴、職業、年収、一度のデートにかける金額、セックスの回数他)、結婚してるかどうか、子どもの有無(いる場合はその子どもの容姿、頭の出来、将来性)、持病があるかないか、虫歯の本数、ウオノメがあるかないか、足の小指の爪の形などなど、このネタだけで原稿用紙十枚は平気で埋められるほど人との比較対象は多岐にわたる。
 そして人から見れば本当にどうでもいいこともいちいち比べてみては落ち込んだりしてしまうわけだが、そんな人が多いからか、「人と比較するのはやめよう」的なスローガンも結構な支持を受けているようである。
 しかし、生きてる以上、どうしても人と自分を比べてしまう。人間関係を極力断ったところで、テレビをつければそこではトンデモない金持ちが贅の限りを尽くした暮らしをしていたり、一方、貧しい国では子どもたちがゴミを漁って暮らしていたりして、そういうものを目にしては「自分はまだマシだ」と嫌な感じで安堵したり、「自分はダメだ」と落ち込んだりするのである。
 かく言う私も、「人と比較する」ことによって勝手にダメージを受けてきた一人だ。特に若い頃であればあるほどひどかったように思う。だいたい若い頃というのは人と比較することによって自己確認をするみたいなところがあるからか、毎日誰かしらと比べては一人で勝手に傷つく、という無駄なことに時間をさいていたのである。その対象というのは同世代の友人だったりするのだが、今考えてみると「誤差」程度の違いしかないのに、持ってる物とか着てる服とか使ってる化粧品とか、本当にどうでもいいことを比較してしまい、しかしそんな友達との「微妙な差異」競争に全実存がかけられていたりするのでやっかいなことこの上ないのだ。今にして思えば相手も疲れただろうと思う。
 さて、そんな「比較」地獄から抜け出せたのは20代の頃だった。
 きっかけは、二人のオジサンとの出会いである。一人は元赤軍派議長の塩見孝也氏、もう一人は新右翼団体・一水会の鈴木邦男氏。簡単に言えば、左翼のオジサン、右翼のオジサンとの出会いが私を変えたのだ。
 二人とも、おそらく当時は50代後半くらいでうちのお父さんより少し年上。20代前半の私は「自分が生きづらい」という理由から世の中を漠然と恨んでいたため、社会に対して何か文句をつけてるらしい「右翼」や「左翼」といった人々に興味があった。が、当時はどっちがどっちなのかなんてまったくわかっていなかった。ただ、10代の頃から60〜70年代の学生運動なんかの映像をテレビで見たりするたび、「若者が社会に怒って大暴れしている」光景に何やら脳から変な汁が分泌されるのを感じていた。ヘルメットをかぶった大学生の大群と、機動隊の隊列、放水車、車道を占拠するデモ隊。彼らの言っていることはまったくの意味不明だったし、当時の私は世の中のこととか政治のことなんて全然わからなかったけれど、ただ漠然と社会の矛盾に対して「自分も火炎瓶を投げたい」というような衝動だけはあった。しかし、学生運動など死に絶えた90年代当時、火炎瓶の作り方もわからなければ、それを投げる先もわからない。それどころか、同じ思いを持つ若者すらこの国にはいない気がした。周りの友人たちは、「恋愛」と「買い物」と「カラオケ」くらいにしか興味がないように見えたし、社会や政治のことなど関心がないどころか、道ばたのゲロ程度に「見て見ぬふり」でスルーする、という作法を取っていた。
 そんな中、心にひっそりと火炎瓶を隠し持つ私は孤独だった。そうして20代前半、本などで60〜70年代に暴れていた「右翼の鈴木さん」や「赤軍派の塩見さん」を知り、彼らが出演するイベントなどに通っていたのである。そこでもう何十年も前の「政治の季節」の匂いに触れ、屈折した不発感をまぎらわしていたのだ。
 そうして出会った塩見さんは、私にとって「衝撃」としか言いようがない人だった。何しろ「革命」とか言っているのだ。二十数年生きてきて、私は真顔で「革命」と言う人に初めて会った。そんな塩見さんは20代で赤軍派を結成し、獄中20年。69年に登場した赤軍派は「世界革命戦争」などを掲げて交番を襲撃したり軍事訓練で大量の逮捕者を出したりしていた上に、首相官邸襲撃まで計画していたという。そうして赤軍派の一部は70年に「よど号」という飛行機をハイジャックして北朝鮮へ。塩見さんはそんな一連の事件によって逮捕されたのである(ハイジャックはしていない)。子どもが0歳の時に逮捕され、刑務所を出所したら成人していたという事実にも驚愕した。
 一方、鈴木さんの存在も衝撃だった。大学生の頃には学生運動の嵐が吹き荒れる中、「共産主義革命が起きたら大変だ」と「右翼学生」として「左翼学生」と闘っていたという経歴を持つ鈴木さんは、70年に起きた三島由紀夫の自決事件に衝撃を受け、一水会を結成。三島由紀夫とともに自決した森田必勝氏を運動に誘ったのは鈴木さんだったからだ。以来、一水会はイラクなど様々な国の政党や団体とも連携を取りながら活動しているのだが、そんなことよりも私が衝撃だったのは、そろそろ還暦を迎えようという齢の鈴木さんが「みやま壮」という六畳一間のアパートに住んでいたことだった(今も住んでいる)。もちろん、結婚はしていなくて妻子などもいない。
 この二人の存在は、「右翼」とか「左翼」とかの思想云々以前に、「いい年をした大人がどうやらマトモな生き方をしていない」実例として、私に大いなる衝撃を与えたのだった。それなのに二人とも、なんだか妙に生き生きとしていて一部の若者たちには人気があった。マトモな生き方をしていないからこそなのか、明らかに金持ちではなさそうだけれどなんだか楽しそうだったのだ。
 これは私の「大人」イメージを覆すものだった。いい年をして働きもせず、「革命」とか浮わついたことばかりを本気で語る獄中20年の塩見さん(ちなみに現在はシルバー人材センターで働いている)。一応新右翼団体の代表なのに、政治の話などほとんどせず、いつもくだらない話ばかりしてへらへらしている鈴木さん。自分の息子より年下の若い女(私)と飲みに行っても一円単位までワリカンにする塩見さん。
 この二人との出会いは、私を「比較地獄」から鮮やかに救いだしてくれるものだった。なぜなら、「政治運動」一筋に生きてきた50代後半の右翼・左翼のオジサンと「比較」することなどまったくないからである。張り合いどころがひとつもないのだ。彼らの前で、私が友人との微妙な差異競争に勝つために買った持ち物や服や化粧品はまったく意味をなさないどころか限りなく無価値になった。そんなことよりも彼らにとっては「革命」とか「世界情勢」とかの方が重要だからだ。ちなみに塩見さんが逮捕されたのは、破壊活動防止法違反や凶器準備集合罪など。こんな罪状を持つ人と、私は何をどう張り合えばいいのだろう。というか、そんな競争には最初から勝てっこないし勝ちたくもない。
 そうして「張り合いどころがひとつもない」相手とよく飲んだりしていると、「人と比べて落ち込む」ことが極端に少なくなってくるのだった。私の生活に、まったく別次元の価値観が強制的に挿入されたのだ。こうなると、友人との微妙な差異競争に負けたくらいでは特に落ち込まなくなる。そんな時は自分も無理矢理「革命」モードに入ればいいのだ。
 「別次元の価値観」はその後も、あらゆる場所で私を「比較地獄」から救い出してくれた。私は23歳の時、塩見さんに誘われ、初めての海外旅行で北朝鮮に行ったのだが、この旅も「衝撃」の連続だった。
 例えば北朝鮮の女の子に「好きな男の子のタイプ」を聞いた時のこと。日本だったら好みの顔とか背の高さとか声とか服のセンスとか髪型とか、もうちょっと現実的になると職業とか年収とかとにかく様々な「条件」が出てくるわけだが、北朝鮮の女の子の答えはあまりにもシンプルで、たった一言「男は軍隊!」というものだった。軍隊に行った人、しか「好きなタイプ」の条件がないのである。これはすごい。ある意味爽快ですらある。
 そうして私は二人のオジサンや北朝鮮の女の子との何気ない会話などから、「自分の周り半径5メートルとは別の尺度」が世の中には無数にあることを知った。そのことは、自分を取り囲む景色がぐるりと反転するほど「世界が変わる」ものだった。
 ちなみに塩見さん、鈴木さんとのつきあいは現在も続いていて、会うたびに「比較して落ち込む」ことが一切ないので癒される。また、「別次元で生きている」相手には否定されても痛くも痒くもないという利点も最近発見した。例えばこの前、私は塩見さんに「お前はマルクスも読んでないくせに!」的なことを言われて怒られたのだが、この罵倒は私にとっては何のダメージもないのであった。そもそも別に読みたくないし。塩見さん世代の左翼のオジサンとかだったらもしかしたらそれはとてつもなく相手にダメージを与える言葉なのかもしれないが、やっぱり「別次元」なので「はあ?」と首を傾げてやり過ごすことができるのだ。同じく、私は塩見さんに「その服スーパーで買ったんですか?」などと失礼なことを言ってるのだが、塩見さんはそれを遠回しな打撃とはまったく受け止めず、「これはヨーカドーで買ったんだ」などと嬉しそうに自慢してくれるのだから、ディスコミュニケーションとは素晴らしいのである。
 と、こんなふうに「張り合いがひとつもかすりもせず、別次元で生きてる」相手とつきあうと人生が時に広がり、新しい世界が垣間見えるので、ぜひお勧めしたい。同世代の同性と誤差のような違いで張り合うよりも、確実に刺激的ではある。
 
 

PROFILE

1975年、北海道生まれ。'00年『生き地獄天国』(太田出版)を出版し、デビュー。著書に『生きさせろ! 難民化する若者たち』 (太田出版・日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(祥伝社新書)、『プレカリアー ト』(洋泉社新書)など多数。フリーター全般労働組合 組合員、反貧困ネットワーク副代表、「週刊金曜日」編集委員、厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員、「こわれ者の祭典」名誉会長。

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