― 小学生時代(マリノFC→神戸NKサッカークラブ) 僕は小学校1年生からサッカーを始めました。最初は小学校にサッカー少年団がなかったので、マリノFCというクラブチームに入ったんですね。そこはあまりよく覚えていないんですけど、普通のクラブチームでした。5年生から、知り合いのスタッフがいた神戸NKサッカークラブに移ることになったんです。神戸NKサッカークラブは選抜の選手もいる強いチームで、神戸市内で優勝や準優勝できるようなチームでした。神戸市のトレセンは5年生くらいから入りました。 ― 中学生時代(FCみやぎバルセロナ・ジュニアユース) FCみやぎの監督が滝二出身で、神戸NKサッカークラブのコーチだった人の知り合いだったんです。それで僕が小学校5年生の時に、2週間くらい練習に参加して、楽しくサッカーができたんですね。僕はもともとプロになりたかったので、そのためにはFCみやぎに入った方がいいんじゃないか思い始めて。まず中学の3年間やってみて、その後は、それから考えてみようと思ったんです。それで、神戸NKサッカークラブの先輩がやはりジュニアユースからFCみやぎに入ったんですが、その先輩から紹介してもらって、僕もFCみやぎに入ることになったんです。
最初の半年は北海道から引っ越してFCみやぎに入るという人のところにホームステイのような形で引き受けてもらって生活をしていました。半年たったら祖母が来てくれたので、それからは二人でアパートで暮らして。ユースからは寮が出来たので、寮に入れるようになりました。
FCみやぎは、まずサッカーもそうなんですけど、人間性の部分をしっかりしなさい、ということを教えられました。サッカーに対しては、個性を大切にするチームでした。Jだったら組織で崩しますよね。そうじゃなくて、個で打開するようなそんな指導を受けていました。僕はドリブルを中心に、個性を出してやっていけと言われて、その部分を磨くようにしていました。それに、計画性を持ったチーム作りをしていて、大会の数週間前から走りこみを始めてチームを作っていくなど、ただ走らせるようなことはしないチームでした。先輩たちの代から全国大会に出られるようになって、先輩は全国からオファーがくるようになったので、それを見ていて行って良かったなって思えるチームでした。
― 高校への進学 中学校時代に全国大会に出るという、すごくいい経験が出来たので、神戸に戻ってサッカーを続けるよりは、この監督を信じてやっていった方がいいと思って、そのままユースに入ろうと思いました。確かにユースには高校選手権はないですけど、クラブユースとかがあるので、レベルの高い経験が出来ますからね。 ― 高校生時代(FCみやぎバルセロナ・ユース) プロになりたいという気持ちがすごく強くなって、高校の3年間、とにかく死に物狂いでやってみようと思ったんですね。僕は天才肌ではないので、努力しかなかったので。それから真剣味が出てきて、練習にも身が入るようになったし、いろいろな努力をするようになりました。大会としては、1年生の時にクラブユースの全国大会に出れて、ベスト8まで行きました。負けたのはアントラーズユースだったんですけど、サンフレッチェユースがとても強かった記憶があります。
FCみやぎの2年先輩に丹野君がいて、セレッソに入ったんですけど、その時のスカウトの方が僕も見てくれていたんですね。僕はその時1年で試合に出させてもらっていたんですけど、2年の終わりにプロ契約の話を受けて、3年生からはトップチームに帯同する形でセレッソに入りました。話を聞いた時には、とにかく嬉しく思って。子どもの頃からの夢だったプロになれるし、実家のある関西にも戻れますし、迷わず決めました。 ― プロになれた一番のポイントは? プロになりたいと思って、夢をあきらめずに、目標に向かって努力をし続けたことがプロになれた一番のポイントだったと思います。