感性
7日に終了したG1第63回日本選手権競輪。優勝したのは、京都の村上博幸。2着に村上義弘。先行した兄、義弘をマークしていた弟の博幸が交わした。競輪のG1決勝での兄弟ワンツーは34年ぶりという。
このレース、単体で見れば、まさに兄弟連係が成功した、で終わってしまう。ただ、自分を含めて、多くの人々が見落とした伏線がこの日の10R、順位決定戦だった。茨城の武田豊樹の先行に東京の後閑信一がガード。最終4コーナー、外へけん制した後閑の内を鋭く切り込んだ福井の市田佳寿浩が1着に突き抜けた。
ここまでは普通のありがちなレース。違うのは、市田が激しいガッツポーズで喜びを表現したことだった。
なぜ、そこまで市田は勝ったことをアピールしたのだろう。
そのことについて、私は深く考えないまま、決勝戦の検討に入った。
私の狙いは岐阜の山口幸二の3着だった。前を任せる同県の加藤慎平は追い込み型。中部近畿で京都勢との連係を明言すると山口が4番手回りになるから加藤は「自在」というコメントだった。京都勢に競り込めない以上、分断するなら山崎芳仁、伏見俊昭の福島ラインだろうと思ったが、伏見の位置をあからさまに取りに行くと、山崎に楽な競走になるから、ここは伏見後位を奪っての自在戦。ただ後ろに山口がいる分、外へと踏むから、直線で内をつける山口が3着に強襲するという推理をした。
先行選手のパワーは今が旬の山崎と強力な先行選手だがやや峠は過ぎた感の村上義弘。そこに自在の福岡、坂本亮馬なら、まくりに回っても最終的な主導権を山崎と見て、伏見、山崎、山口の3連単を1点だけ買った。
結果は、残り2周で前受けの山崎ラインは坂本のイン切りで中団に下げ、外村上と併走。村上がギリギリまで抑えて打鐘で先頭も流したまま。全力で踏んだのが打鐘過ぎの4コーナー。33バンクの松戸で村上義弘の1周先行。後続にまくれというのは酷で、結果的に最終バックも一本棒。坂本は5番手、山崎は7番手で動けず、村上博幸が抜け出し、村上義弘が2着、3着に内をつっこんだ山口だった。
私の推理が当たったのは3着だけの完敗。
ゴールして、そこで市田のガッツポーズを思い出していた。直前の玉野G2「西王座戦」で村上兄弟の3番手から優勝。今回も特選で村上義弘マークで2着。ゴールデンレーサー賞では村上義弘の前を9年ぶりに回って目一杯の先行。惜しくも準決勝で5着と決勝で村上兄弟と連係はかなわなかった市田。その彼が順位決定戦で見せた気迫は、この開催を動かしていた感のある近畿連係の強固さを示すと同時に、決勝へ勝利のバトンを渡す行為として、自然とガッツポーズになって表れたのではないだろうか。
公営競技の大レースでは、節間の流れというのが、決勝戦に大きく左右するケースが多いと思う。自分の担当するオートレース、かつて担当した中央競馬、一瞬だけ現場へ行った競輪。どこで取材していても、勝負事で流れというものは無視できない存在。勝ちたいもの同士で戦うのだから、より勝ちたい気持ち、より勝つんだという気迫は重要だと思う。
決勝戦の前に、その流れを端的に示す出来事があったにもかかわらず、終わってから気づくようでは遅い。それが、今回の日本選手権競輪決勝で得た教訓だ。あの時の心理状況を市田や村上兄弟に確かめたわけではないが、この自分の推測はあながち、外れてはいないだろうという確信はある。それが村上博幸の兄、義弘や市田がかけよった時の涙に表れていると思うから。金網の向こう側からでも20年以上、公営競技を見ていれば、不思議と選手のここ一番の気持ちの推測も的外れにはならないだろうと思うし、キャリアの長い多くの公営競技ファンも、わかっている人は多いと思う。
ファンは直接、選手に聞く手だてもないのだから、そこは妄想というか、選手の気持ちになって推理する、考えることが、ビッグレースで勝つ選手を当てる大きな要素のように思う。感性を磨く。言葉にすれば簡単だが、自分でもまだまだ、足りない領域だ。ただ、一つのレースとして決勝戦をとらえるのではなく、そのシリーズ、その年、といった大きなスパンから俯瞰して考えると、そういった感性でつかんだ車券というのは、のちのちの推理の糧になると思う。今回の日本選手権競輪決勝戦で、その感性を発揮できなかった思いから、こんな長い雑文を書いてみました。
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