きょうのコラム「時鐘」 2010年5月9日

 飛鳥・奈良時代の年号は地方から銅が献上されると「和銅」となり、めでたい白い雉(きじ)が見つかると「白雉(はくち)」となった。古代国家は地方に支えられていたことの一例だろう

奈良の都では、東大寺の大仏造営が資金難で前に進まなかった。そこに救世主が現れた。越中の「利波臣(となみのおみ)志留志(しるし)」という砺波の豪族とされている。5000石ともいわれる大量のコメを寄進、これに後押しされて大仏建立は前進した

「平城遷都1300年祭」が話題である。大極殿など往時の復元建築が人気を集めている。もともと、平城京は東大寺の大仏造営とセットだった(平城京遷都・千田稔著)といい、大仏建立を進めた北陸からの寄進は相当に大きな意味を持つ

この3月に「越中国墾田図」が国宝に指定された。東大寺の荘園を描いた絵図である。加賀にも東大寺と縁の深い横江荘が知られ、発掘のもようが報じられたばかりだ。平城京跡からは能登から魚を送った木簡も出ている

大仏様の指の一本、台座の一部もわが祖先の汗の結晶と思えば平城京も身近になる。奈良の都で子どもたちに「ふるさと教育」をするのもいい。