本日はあまり時間がないので、ミクシィでコメントとして他の人のところに書いたものを記事として再構成したものを投稿させていただきます。
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私は幸せ不幸せは主観の問題だと思います。
だからこそ「日本は安全だ」とか「日本で飢え死にする人はいない」とか、それだけでは満足できないのではないでしょうか。 そう思え! と周りが強いることは却ってその人にとって重荷にしかならないように思えます。
時に、「若者は不幸だ」と発言するような論客が多いから若い人が不幸だと思うのだ、というような発言も耳にしますが、不幸だと思うことが主観の問題であるならば、不幸か否かは本人が決めることなので「あなたは不幸だ」と言われたかそうでないかは全く関係ないということになります。文筆業者ごときに言われたからと言って「そうか、私は不幸なのかー」と思いこむ人間などいないということです。もともと不幸だと思っていて、それを言ってくれた! と思う人はいるでしょうが。
比べるなと言われても比べてしまうのが人というものではないかな、と思います。 それは弱さかもしれませんが、そういう部分を抱えていない人間というものが想像できないのです。子供だってみんな持ってるじゃないか! と言って新しいものやお金をねだるものでしょう?(笑) 私はどちらかというとそういうのとは縁遠い子供でしたが。
日本社会において、「世界にはご飯も食べれない人がいるんだ! だからお前は一日一食パン一枚でいい!」と言われて実際それ以外口にすることを許されない人がいたとして、その人が幸せに感じることなどありえるのでしょうか。あるとすればそのパン一枚すら食えず目の前で飢え死にした人を目の当たりにした場合だけでしょう。
貧困はまず心からと言います。飯が食えないことは大きな要素ではありますが本質的な問題ではないのです。自分は生きる価値のない屑だから他の人より貧乏で、リストラされて、仕事にも就けないんだ、と思ってしまうことが最も怖いところです。こうなってしまった人は豊かな場所にいても貧しい場所にいても成功しないでしょう。残念ながら現在の日本社会はそう思う人を量産しつつあるように見えます。貧しさは心を荒ませてしまうのです。それも、世界大での相対性ではなく、自分の周囲においての相対的な貧しさがその人に決定的影響を与えるのです。
現に社会の状況というものがありますから、社会的地位や状況がその人に影響を与えるのは当然と言えます。
今現在フリーターとしている人に「お前はアフリカで飢餓に苦しんでいる人より幸せじゃないか」と言われても納得しないでしょうし、むしろ冒涜されている感覚を抱くかもしれません。それが「幸不幸は人の主観の問題」というものの本当に厄介なところではないかと思います。
ある程度経済成長しきってしまった国においては、商売になるほどの新たな需要を見つけ出すハードルも上がってしまうので、閉塞感が生まれてくるのでしょう。
それを社会的に解決に導くよう動くことは必要です。
自分が世界一でも日本一でも、周りで一番でもないけれど、そこそこ幸せであると思える、と思えることが必要です。そういう環境づくりが必要です。
ちなみにそれは政府だけの仕事とも思っておりません。
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私は幸せ不幸せは主観の問題だと思います。
だからこそ「日本は安全だ」とか「日本で飢え死にする人はいない」とか、それだけでは満足できないのではないでしょうか。 そう思え! と周りが強いることは却ってその人にとって重荷にしかならないように思えます。
時に、「若者は不幸だ」と発言するような論客が多いから若い人が不幸だと思うのだ、というような発言も耳にしますが、不幸だと思うことが主観の問題であるならば、不幸か否かは本人が決めることなので「あなたは不幸だ」と言われたかそうでないかは全く関係ないということになります。文筆業者ごときに言われたからと言って「そうか、私は不幸なのかー」と思いこむ人間などいないということです。もともと不幸だと思っていて、それを言ってくれた! と思う人はいるでしょうが。
比べるなと言われても比べてしまうのが人というものではないかな、と思います。 それは弱さかもしれませんが、そういう部分を抱えていない人間というものが想像できないのです。子供だってみんな持ってるじゃないか! と言って新しいものやお金をねだるものでしょう?(笑) 私はどちらかというとそういうのとは縁遠い子供でしたが。
日本社会において、「世界にはご飯も食べれない人がいるんだ! だからお前は一日一食パン一枚でいい!」と言われて実際それ以外口にすることを許されない人がいたとして、その人が幸せに感じることなどありえるのでしょうか。あるとすればそのパン一枚すら食えず目の前で飢え死にした人を目の当たりにした場合だけでしょう。
貧困はまず心からと言います。飯が食えないことは大きな要素ではありますが本質的な問題ではないのです。自分は生きる価値のない屑だから他の人より貧乏で、リストラされて、仕事にも就けないんだ、と思ってしまうことが最も怖いところです。こうなってしまった人は豊かな場所にいても貧しい場所にいても成功しないでしょう。残念ながら現在の日本社会はそう思う人を量産しつつあるように見えます。貧しさは心を荒ませてしまうのです。それも、世界大での相対性ではなく、自分の周囲においての相対的な貧しさがその人に決定的影響を与えるのです。
現に社会の状況というものがありますから、社会的地位や状況がその人に影響を与えるのは当然と言えます。
今現在フリーターとしている人に「お前はアフリカで飢餓に苦しんでいる人より幸せじゃないか」と言われても納得しないでしょうし、むしろ冒涜されている感覚を抱くかもしれません。それが「幸不幸は人の主観の問題」というものの本当に厄介なところではないかと思います。
ある程度経済成長しきってしまった国においては、商売になるほどの新たな需要を見つけ出すハードルも上がってしまうので、閉塞感が生まれてくるのでしょう。
それを社会的に解決に導くよう動くことは必要です。
自分が世界一でも日本一でも、周りで一番でもないけれど、そこそこ幸せであると思える、と思えることが必要です。そういう環境づくりが必要です。
ちなみにそれは政府だけの仕事とも思っておりません。