透視や遠隔操作など、日本では科学的な解明がほとんど進んでいなかった超能力や超常現象とされる分野に、政府が初めて予算を配分して本格的な解明に乗り出した。研究グループの当面の研究課題は「気功」の正体をつかむことにあり、脳波計などのハイテク機材を駆使して解明に挑んでいる。コンピューターのさらなる発達ともからむ「脳」研究は、次世代ハイテク分野における覇権争いの戦場とされる。超能力の解明もそれにつながる研究として欧米では重要な国家戦略ともなっており、危機感を抱いた日本もようやく立ち上がった形だ。
(安藤慶太)
▲4階から気功師が午前10時40分36秒に気を送る。
▲1階にいた女性はその瞬間、のけ反りはじめ…
▲1秒後に後方の壁にぶつかった |
千葉市稲毛区の科学技術庁放射線医学総合研究所。放射線を使った病気治療の最前線の研究機関として全国的に知られるが、そこでいま、「気功」の研究が真剣に続けられている。
念じるだけで数メートル離れた相手を激しく後退させる技、いわゆる「遠当て」「遠隔操作」と呼ばれる術が、単なる偶然にすぎない現象なのか、そうではないのかを調べるための実験を都内のビルを使って行った。
四階の一室で、日本人の男性気功師が無言で座っている。一方、一階には弟子の女性が四階から発する気を感じられるか、黙って待機している。
送り手がいつ気を発するのか、下の女性には全くわからない。互いに見える距離で行われると、暗示が入る余地があるため、両者を完全に遮断したのだ。
四階の男性が立ち上がる。ゆっくりと前に進み、構えを取る。突然、目をやや剥き、「はっ」と強く息を吐く。次の瞬間、左手を素早く前に突出し、気を送った。すると、それとほぼ同時に下の階では女性が何かに突き飛ばされるようにして激しく後ろの壁にぶつかった。
「偶然だけでは説明できない。何かが伝達されているに違いない」
研究に取り組んでいる放射線科学研究部第三研究室の山本幹男室長とNECの研究員などのグループは、そう考える。
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こんな実験もある。
送り手と受け手が互いに見えないように、厚さ約四センチの発泡スチロール板のついたてを隔てて座り、送り手は小さな穴から手を差し込み、無言で気を送る。受け手はその上に手をかざすが、静電気の影響を防ぐために、差し込んだ手には布と金属をかぶせた。受け手となったのは一般の施設見学者だ。
このときは、結局、気が送られた瞬間に受け手がそれを感じたといえるような反応は出なかった。しかし、受け手の脳波には明らかな変化があった。大脳の左手をつかさどる部分からα(アルファ)波が盛んに検出されたのだ。
「意識のレベルで感じなくても、脳波レベルでは何かを感じていた。私たち人間は自分が感じていると意識できる以上のことを感じている」と山本室長はいう。
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共同研究者の一人、東京電機大学の町好雄教授らのグループは、百人を超す気功師の実験データを精力的に取っている。
それによると、気を発した際に気功師の心拍数が速くなり、血液の流れが促されて気功師の手の皮膚の表面温度が上昇する。その際、気功師の手の先に置いた測定機器は遠赤外線や磁気、低周波を盛んに感知した。こうした身体変化が脳にも影響を及ぼし、α波が盛んに発せられる−というメカニズムが突き止められたという。
「通常、心臓の鼓動などの自律神経は自分の意思でコントロールできない。ところが気功師は呼吸を活用して心拍数を変えることが可能だ。運動をすれば、だれでも呼吸数が上がり、心臓の鼓動も増すが、気功師は自分の呼吸をコントロールするだけで運動をしなくても心拍数を操れる」
やはり共同研究者の河野喜美子・日本医科大研究員も、「気功師が呼吸を通じ、自律神経を操っているのは間違いない」と指摘する。さらに、気功師が気を発すると、受け手の脳波が送り手側の気功師の脳波分布に似てくる「同調現象」を起こしていることも河野研究員は確認している。
「気功師から何かが伝わっていることはわかった。しかし、それが物質なのか、エネルギーなのか、それとも全く別のものなのか正体はまだつかめない。遠赤外線という説もあるが、そうだとすれば隔てられた空間をなぜ伝わるのか、など説明できないものも出てくる」
山本室長の研究スタッフ、小久保秀之さんは、「電気にせよレントゲンにせよ、今では簡単に検知できるものも、発見されるまではさまざまな測定器をあれこれ駆使するしかなく、そうやって未知の存在を探り当てた」という。山本室長も「現代科学ではまだ解明されていない気功という不可思議な現象に正面から取り組むことで、重大な発見につながる可能性がある」と強調している。
《「脳や心」が戦場に》
一般には超能力あるいは超常現象ともみられがちな「気功」の研究に、政府が正式に予算をつぎこむことになった背景には、「脳」研究が次世代ハイテク分野の世界的な競争の舞台になるとの認識と、その分野での日本の研究が決定的に立ち遅れている、との危機意識がある。
人間の未知能力として挙げられる透視、遠隔操作といった超能力と呼ばれる分野に関しては、米軍が「スターゲート計画」と呼ばれる実験を秘密裏に行っていたことが平成七年に明らかになった。この分野では先進的なプリンストン大学で膨大な量の実験が繰り返されている。
旧ソ連でも、超能力研究が国家秘密プロジェクトとして、おもに軍事利用の観点から戦略的に進められてきた。解明が進めば、透視や遠隔操作などの現象は、核兵器をも無力にしかねない「究極の兵器」になりうると考えられてきたからだ。そうした研究の蓄積は、ロシアに引き継がれ、日本をはるかに引き離す研究成果を挙げているといわれる。
科学技術庁が、放射線医学総合研究所の山本幹男・放射線科学研究部第三研究室長の気功研究に平成七年度から五年計画でつけた予算規模は総額一億円弱になる。プロジェクト名は「多様同時計測システムによる生体機能解析法の研究」と難解だが、要するに気功現象のメカニズム解明を通して脳研究につなげようという試みだ。
すでに米国では一九九〇年代を「脳の十年」と位置づけ、神経の病気や精神疾患などこれまでメカニズムすらわからなかった領域に研究を進めている。とりわけ国立衛生研究所が中心になって国家プロジェクトが推進されており、治療法の開発を目標に多額の研究資金が投入されている。
ヨーロッパも追随し、「欧州−脳の十年」などと盛んに叫ばれている。これまで研究対象として及ばなかった脳や心といった領域を「二十一世紀の自然科学に残された最大の未知領域」ととらえ、医学、生物学だけでなく、物理化学、工学、心理学など多くの分野の垣根を取り払った総合的な研究を進めている。
こうした流れにあって、脳や心、精神現象などの未知領域の研究で一歩先んじれば、科学そのものの枠組みを変えるだけでなく新産業が生まれたり、開発された医薬品が市場を制する可能性を持つことになり、「日本も後れを取るわけにはいかない」というのが科技庁の考えだ。
平成九年度には、脳に関する研究プロジェクトを発足させた。五年後には記憶や学習のメカニズムを解明し、十年後には心身症の治療法を開発、さらには老化のコントロールや、人間の能力を解明し、最終的には脳に似たコンピューターを開発する壮大な目標を掲げて、覇権争いに参入し、しのぎを削っている。このプロジェクトは二十年計画で、初年度に二百億円近い予算をつけていることからも科技庁の意欲が伝わってくる。
山本室長らの研究は今のところ、この脳研究プロジェクトには直接含まれてはいないが、人間の未知能力を研究の対象に取り上げるという点で脳研究プロジェクトと共通の背景を持っており、科技庁企画課は「これまで解明できなかった人間の心や精神の理解の基礎となるという意味では同じ可能性を秘めている。何としても科学的な成果をあげてほしい」と期待を寄せている。