ベトナム難民とその子供たちが多数暮らす伊勢崎市羽黒町の「羽黒団地」。県営、市営の全20棟約450戸のうち約100戸にベトナム人が暮らす。難民第1号が82年、県の斡旋(あっせん)でこの団地に移住を始めて今年で28年。広大な団地には、文化の違いが生み出す住民感情のわだかまりが横たわる一方、共生に向けた心の通じ合いも、わずかながら芽生え始めている。【鈴木敦子】
この日の伊勢崎市内の最高気温は33・3度。暑苦しい夜だった。団地に囲まれた「羽黒2号公園」は午後10時になっても、ベトナム人の若者ら約20人による「パーティー」が続いていた。09年7月19日。2本のケヤキの幹をネットで結んでバレーボールに興じたり、日が沈むと、ビール片手にバーベキューが始まった。時折、ベトナム語の叫び声が響き、鶏肉を焼くにおいが漂った。
「もう我慢できない」。公園近くの1階に住む男性(63)はテレビのボリュームを上げたが、耐えきれずに窓を閉めた。やがて、ベトナム人同士で殴り合いのけんかが始まり、パトカーも出動する騒ぎに。複数の住民は翌日、公園を管理する伊勢崎市役所に頼んだ。「うるさい。なんとかしてほしい」。市はベトナム語など3カ国語で、バレーボールとバーベキューを禁止する張り紙を出した。
乱闘騒ぎの背景には、未曽有の不況がもたらした「派遣切り」もあったとみられる。県営団地管理人の小泉洋子さん(72)は「職を失って自由時間が増えたベトナム人は当時、ストレスがたまっていたはず。発散させる場が、あの公園だった。この28年間で行政が介入する騒ぎは初めてだった」。
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「使用禁止」を機に、日本人からの苦情はなくなった。しかし、あつれきは残る。
昨年4月にこの団地に引っ越してきた女性(69)の目には当時、団地全体にごみが散乱しているように見えた。ちり紙、お菓子の袋、鶏肉の骨……。生ごみを求めてネコが集まる。ごみを窓から投げ捨てるのは、ベトナムでは普通のことだと知ったが、ネコ嫌いのこの女性は時々、ネコよけのクレゾールをまく。10カ月間毎日掃除を続け、ようやくごみが少なくなったという。
約3年前に越してきた30代の男性会社員は「ベトナム人は日本になじもうとしない」と感じる。職場で一緒に働いていたベトナム人は、日本語が話せて仕事熱心だったが、仕事で注意を受けて都合が悪くなると、ベトナム語で愚痴をまくしたてた。「文化が違うから分かり合うのは無理だ」と話す。
「目が合って逆恨みでもされたら怖いから公園には近付かない」。公園でのバレーボールとバーベキューの禁止を受け、そう話す女性(69)もいた。
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今年2月、団地に住んでいたグェン・フー・ユンさん(46)は、日本人とベトナム人の「共生」を目指す「懇談会」に呼ばれた。日本側からは自治会役員や警察関係者、市職員が出席。グェンさんは「公園でのバレーボールを再開させてほしい」と訴えたが、返ってきた答えは「ベトナム人の責任者2人が、最初から最後まで(混乱が起きないか)見守ってくれるならいいですよ」。仕事や家族を持つベトナム人にとって「無理な相談」(グェンさん)だった。
「日本人の言うことは一方的。自分たちの習慣を押し付けようとしている」。グェンさんにとって、日本人の子供が家の中で携帯ゲームをして遊ぶのは異様な光景だ。バレーボールを禁止する理由が理解できない。また別の男性(48)は「市民税を払っているのにバレー禁止はベトナム人への差別だ」と憤慨する。市職員は「ボールが飛び交うバレーは危ない。子供たちが遊べなくなる」と説明したが、ベトナム人には「締め出された」との不満が広がった。
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団地の目の前に建つ駄菓子屋で、向田建司さん(60)は、小学校高学年のベトナム人少女を目に留めた。公園問題が団地全体を揺るがした約1カ月後のことだった。日本人の大人がこの店に行くと、「アイス買って」などと近寄ってくるベトナム人の子供もいるが、この少女は違った。
向田さんが本を持って歩いていると、「おじさん、何の本を読んでいるの?」と話しかけてくる。団地の廊下を掃除すると黙って手伝ってくれる。子供に恵まれなかった向田さん。この少女のお陰で、差別や偏見から自由になれたと感じている。
ある日、向田さんは「いいかい、日本でもベトナムでも、必要とされる人になりなさい。せっかく日本にいるんだから」と話しかけた。少女は恥ずかしそうに「うん」とうなずいたという。
毎日新聞 2010年5月8日 地方版