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2008-10-20

「結婚+子ども」という「幸福」のセット通念

中出しハッピー! - ナイトシフト

妊娠しにくい体質の彼女に5年間「中出し」し続けて、やっと妊娠したので、相手の親も泣いて喜び、晴れて結婚したというオメデタ記事。このブックマークに多くの「いい話」タグがついたことから、いろいろ議論になっている。

「中出しハッピー!」は本当に「いい話」か? - blog.yuco.net

「いい話」の陥穽 - raurublock on Hatena

中出しハッピー婚に嫉妬する「産めない不良機械」- なぷさく

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他多数。


このカップルが結婚に際してどうしても二人の子どもが欲しいと思っていただけなのか、女性が男性に「妊娠が確認できるまで結婚できない」と言われていたのか、あるいはその逆なのか、不妊可能性の高い女性との結婚に親が難色を示したので"証拠"を作らねばならなかったのか、そうなることを見越して努力していたのか、このまま結婚してもし子どもができないと"嫁の立場"が悪くなることを心配してそうしていたのか、その辺の事情はこの記事からはわからない。

ただ、紹介されたエピソードが「いい話」として成り立つ背景には、不妊(可能性の高い)女性との結婚は祝福されない(あるいは結婚できない、する意味がない)という通念がうっすらとあるようには感じた。記事の書き手やエピソードの主人公がそう思っているというのではなくて。

そうした通念が社会的抑圧として働くことへの懸念は、一定限必要なものだと思う。


その上で、結婚制度が、もともとイエの存続のためにあり、国民の再生産(とそれによる国体の維持)を目的として位置づけられてきた制度であることは、再確認しておいたほうがよいと思う。「愛する人の子どもが欲しい」「子どもを産み育てたい」「家族を作りたい」という自然な(と言われる)欲求を回収し、この社会で子育てしやすい条件を用意するものとして、結婚制度はかなり効率的に機能してきた。

だから多くの人は「結婚→子どもを作る」という流れに従い、それが自然であり幸福なことだとされてきた。結婚しないのなら別として、結婚したら早かれ遅かれ子どもを作るのはデフォルト。結婚と子どもをもつことは、ほぼセットと看做されている。子どもを作って初めて本当の夫婦になれる、くらいに思っている人も案外多いと思う。

そこには、「結婚=子作り=善」という価値観が刻印されている。「結婚=子作り=幸福」でもある。良い悪いは別として、結婚って基本的にはそういうものとして認識されているよね世間には、という話である。


結婚してしばらくすると、「お子さんはまだ?」と聞く人が必ずいる。もっとも、安易にそう訊ねないほうがセンシティブな態度だとはされる。それは、「結婚=子作り=幸福」を願いながら、果たせないでいるかもしれない相手の感情を鑑みた配慮である。その配慮の中には、別に子どもを作ることだけが結婚の幸福ではないという価値観もある。人は生殖のためにのみ結婚するのではないと。多様な結婚のかたちがあっていいのだと。

だが、結婚したのに子どものもてない人は「気の毒な人」という見方は根強い。それは当然だろう。世間では、結婚したら子どもを作って「幸福」のセットを完成させるものだという通念があるのだから。



‥‥という一般論の後で、個人的なことを書いてみる。


私は結婚して22年になるが、子どもを作らなかった。結婚前、相手は「子どもは欲しいなぁ、やっぱり」と言った。私は「あんまり欲しいと思わないなぁ」と言った。ずっと二人だけでいいと思っていた。そこだけ意見が食い違っていたが、双方あまり気にせず結婚した。しばらくしたら欲しいと言い出すんじゃないかと、相手は思っていたらしい。私も若干そういう気もしていた。

しかし私は欲しくならなかった。子どもを産み育てること以外に関心が向き過ぎていたのもあるかもしれない。夫はたまに「あんた、ほんとにいらんの? 俺欲しいなぁ」と言った。そこまで相手が欲しいなら‥‥とも一瞬思ったが、やっぱりその気にはならないまま何年も過ぎて、とうとう彼も諦めた。子どもをもつ楽しみを、別の楽しみに切り替えてくれたようだった。


結婚してしばらくの間は、「お子さんはまだ?」と他人によく訊かれた。結婚したら子どもを作るのは"当然"なのだ。もちろん作ろうと頑張った結果できないのは仕方ない。できないのは本人の責任ではないので、恥じることはない。

だが最初からいらないというのは、あまり理解されない場合がある。「欲しいと思わない」と言うと、「二人だけのほうが気楽かもね」「子育てよりやりたいことがあるなら、それでいいよね」などと言う人もいるが、釈然としない顔をされることもしばしば。「どうして? 産んだらいいのに」「早く産んどいたほうがいいよ」「子どもっていいものだよ」「子どもいないと年とって寂しいよ」。

そうかもしれないね。でも私は欲しくないんだ悪いけど。


そういうことが時々あって、人に訊かれると私が何か言う前に夫は、「俺が種無しだもんで、できんかったんだわ(笑)」と冗談めかして言っていた(もしその場に本当にそういう立場で悩んでいる人がいたら、ちょっとデリカシーに欠ける発言だ)。そう笑いながら言われると、他人もそれ以上は訊こうとしない。

周囲の問いかけを気に病んだことはなかった。もし私が子どもが欲しくてもできにくい体質だったら、「お子さんはまだ?」に圧力を感じ時に傷ついたかもしれないが、価値観が違うんだと割り切っているので気にはならなかった。


だがそれが家族となると微妙である。母は何も言わなくても理解してくれたが、父には「早く作ったらどうだ」と言われ、夫の両親も面と向かって口にはしないものの、期待していることはありありとわかった。

私の方の親は、妹が結婚して子どもを産んだのでまだしも、夫は一人っ子で、親は初孫を楽しみにしていたのだ。ほとんどそれだけを楽しみに老後を過ごしたいと思っていたと思う。夫婦というものは子どもをもって完成されると信じている人々である。そして、子育ての楽しみや苦労を息子や嫁に知ってほしい、親心というものを私たちと分かち合いたいと、おそらく心から願っていただろうと思う。


そういう人々に対して、私ははっきり「子どもを作る気はありません」とは言わなかった。というか、言えなかった。

もちろん子どもを産むか産まないかの最終判断は、産む立場である私が下すことである。それでも私は、自分の意見をはっきり述べることを躊躇し、曖昧なままにしておいた。ずっと後になって夫に訊いたら、義母は夫に「いつになったら‥‥」というようなことを漏らしたことはあったらしい。だが夫も曖昧なままにしておいたという。

夫の両親は結局私には何も言わず、ずっと変わらない態度で接してくれた。こりゃあ望みはないなと途中で諦めたのだろう。夫と同様に。


結婚しても子どもをもたない人生を選択したことを後悔はしていない。けれども正直に告白すると、夫や夫の両親に対して「わがまま通してごめんね」という気持ちを今でも私はもっている。

「そんなこと思う必要全然ないよ。あなたの人生なんだから」と友人は言った。その通りだとは思っているが、「ごめんね」という感情は、小さいけれどもいつまでも消えない染みのように残っている。

そして、そういう自分に時々軽くうんざりする。

RGRG 2008/10/27 02:50 そうか、まだそういう時代なんだ…と何だかドンヨリした気持ちになりました。実際、身の回りで結婚していく男性女性の半分ぐらいが出来ちゃった婚で、それを最近は「出来たから婚」と呼ぶらしいなどと聞くにつけ、女が「お試し」される時代なんだな〜と痛感することしきりなのですが。

もっとも、それというのも、そもそも結婚が女の幸福だという前提あっての「不公平感」なわけで。恋人とセックスはしたいけど子供でもない限り結婚は嫌だという女性という視点を仮定すれば、「お試し」してるのはお互い様ということになるんでしょうけど。ただ実際には、もちろん個々としてそういう人はいたにせよ、全体としては「結婚という最終ゴール」を目指して恋愛市場に参戦している女性が圧倒的多数の感がある以上、やっぱり社会的になぁ…と。つくづく、つらい時代だな、という気持ちになります。

あと、この話が「いい話」扱いされることに対して反発が巻き起こるのって、1つにはネーミングもあるんではないですかね。どうも、上述のような、何も今更この話単体で議論するまでもないほどに社会全体に蔓延している「子供ができるまで結婚しない風潮」に日頃から不公平感を感じている層にとって、「中出し」という語は結構キーワード的にピンとくる部分なんじゃないかと。そもそも、女は(不名誉な)婚前妊娠をしたくない、男は(自分側の快楽のために…ということになっている)コンドームを付けたくない、という両者の思惑が揺れ動いた結果、男側に押し切られた状態、というニュアンスを感じるのが「中出し」という言葉ではないでしょうか。だからこそ「中出しハッピー」という名付けが、意外性というか、うまい既成概念の逆転を利用してインパクト与えてるわけで。「彼女の体の状態をいいことに旨い汁を吸っていたかに見えた部下が、実は彼女思いの…!」というストーリーになってるんですよね。ただ、この「中出し」を巡って女はダブルバインドというか、社会的に是とされる方向へ進むためには、ねじれがある。つまり実際の出来た婚のケースを見ていると「女は許さない、男も尊重する」→「男がねだる(あくまで「中出しを」)、女がOKする」→「子供ができる、男が結婚を申し込む」というステップの踏み方が多いようで。それは第2段階のところで「子供が出来たら結婚してもらえるだろう」と相手を信頼して合意しなきゃいけない、という踏み絵が挟まっている展開なのですが、信頼するといってもそれは飽くまで「愛の名のもと」であって、プロポーズとか婚約とか「結婚を前提としたおつき合い」宣言とか一切ないわけです。裏切って逃げたら、男の名誉に傷は付くけど、女が背負うリスクほどではない。けれどしかし、ここまで出来ちゃった婚が一般化している今、「結婚するまで完全避妊じゃなきゃ嫌だ」と強弁して好きな相手に捨てられるのも嫌だし、とか、更には「妊娠というきっかけでもなきゃ、なかなか結婚してくれそうにないしな」という思惑が渦巻いていたら、そうそう女性は自分の背負うリスクの不公平さにこだわってもいられない。

…という明瞭な敗北戦感(そして、それを逆に男視点から読めば「可愛気のある女」感)を映す語として機能しているのが、「中出し」という言葉な気がします。だからこそ「いい話」と取る人も多いのだと思うんですよね。「出来ないから中出しし放題だと高を括ってたら、できちゃって、さぞ困惑しただろう」という形での部下氏への共感を誘い、どんでん返しで「しかし責任を取った。いや、それどころか、それが最初から望みだった」と来れば、「偉い、感動した!」となるのも納得至極。男性視点で「いい話」っていうのは、このレベルなんだなぁ…。と思うと、なんかもう「子作りしない/できない女はイイ話に参加できないわけ?」っていう次元で反感を抱くのも虚しいというか、そもそもズレてるんじゃないかなぁワタシ、という感が沸いてしまいます。

…ブログも持ってない癖にいきなり飛び込んできて長々申し訳ありません!

ohnosakikoohnosakiko 2008/10/27 23:39 RGさん、はじめまして。
「中出し」については私も同じような感想をもちました。
できちゃった婚についてはこちらで触れましたので、よろしければ。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080818/1218990777

LeicLeic 2008/11/03 20:43 あなたの夫がかわいそう
という印象を抱いてしまうのは、私が男性だからなのでしょう。
結局最終的な意味を見出せないこの世界の中で、
せめて子孫を残すことに意味を見出したくなってしまうというか、
このまま土に還るのが怖いです。
もちろん人との繋がりの中で何かを残せればいいかもしれませんが、
私が若いから、これから何を成せるか分からないから不安に思ってしまうのか……

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