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近所のハナミズキは連休中に花の極みを迎えた。街路樹には白が多いが、たまに薄紅の花をつける木を見る。立夏を過ぎて緑まぶしい季節。生まれくる白い命とすれ違い、記憶の中へと帰る薄紅のそれがある▼2月の小欄にて34歳で乳がんに倒れた女性を書いた。遺志である「樹木葬」の適地を探し歩き、やっと地元に見つけましたと、ご両親のお便りにある。茨城県内で営まれた埋葬祭に参列した▼どうした縁か、故人の姓名は漢字4字とも草木にかかわる。ふさわしい新緑の中に50人ほどが集まった。木を植える穴に、痛いほど白い遺骨。夫に続いて皆が土を入れていく。もうすぐ2歳の長男もシャベルを握ったが、あとは土いじりに興じていた▼墓標の木を囲むのは、故人が望んだローズマリーだ。南欧原産で地中海を望む丘に生えるからか、学名にあるロスマリヌスは「海のしずく」の意味という。葉は香料になり、ほぼ四季を通して淡青の花をつける。花言葉は〈追憶〉と聞いた▼人を思うと書いて、偲(しの)ぶ。娘であり妻であり、母である人の面影は、可憐(かれん)な花や涼しげな香りが呼び戻すだろう。彼女は宝飾デザイナーとして、乳がんと闘う「ピンクリボン運動」のピンバッジにも生きた証しを残した▼若い人は若いまま、記憶の中で生きていく。心から消える時が本当の死ともいう。使った命を確かめる写真と、使い残した命を受け継ぐ木。ともに愛(いと)しい人を消さぬ知恵である。なるほど、漢字の縁と緑は双子のよう。一面識もない方を、これほど近くに感じたことはない。