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昭和16年物(1941年)

(画像をクリックすると実物大の画像が見られます。ただしサイズが大きいものも有るので、低速回線の人は気をつけてください。)

支那事変はますます膠着状態。大本営は対中長期持久戦の方針を決め、経済封鎖戦略と軍需資源の取得に努めることに。 重慶蒋介石政権は英米の支援を受け余裕を取り戻し、安徽省の中共軍を攻撃したりします。

国民生活はますます困窮、生活物資は前年の価格統制から配給制(切符制)に移ります。

「ゲンゴロウの天ぷら、トンボの佃煮−−食える雑草は1000種類も」(6月7日 朝日新聞記事)
食料報国連盟では、全国で「備荒動植物」の調査をおこなっていたが、その概要がまとまった。 雑草としていままで顧みられなかった草で食糧になるものは約1000種類、動物は100種に及んでいる。・・・・
(完全に食糧不足に陥ってます。しかし問題はそういう物が豊富にある田舎では無く、都会の住民なのだが。)


そんな中、南方に資源を取りに行こうとする日本とアメリカの対立が激化。 日本軍の南部仏印侵攻に対して全面経済封鎖(ABCD包囲網)が取られます。 これでだだでさえ支那事変の軍費で追い込まれていた日本経済はとどめを刺される形に。

日米交渉も決裂し、近衛内閣が倒れ東条内閣が成立します。 そして中国に80万の兵士を貼り付けたまま、運命の12月8日真珠湾攻撃に向かいます。

ちなみに整理してみたら、この年の債券コレクションは面白い物があんまり無いです。 なぜなら一年中債券の図柄が全然変わらなかったため。 いや貯蓄債券も報国債券も支那事変割引国庫債券も大量に発行されている、 と言うよりむしろ増えてますが、変化が無いので今ひとつ面白くない。 どうも前年まではまだ図柄を変更するレベルの余裕がありましたが、 この年はそんな余裕も無くなって単なる大量発行になっていたようです。

【この年の国民貯蓄増加目標額135億円。11月に170億円に変更。】
(年度目標なので3月締めです。)



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名称:こくさい絵葉書
発行:郵便局?

フクチャンで有名な漫画家、横山隆一先生が描いた「こくさい絵葉書」です。 郵便局とかで配っていたのでは無いかと思いますが、正確には不明。 「ABCD包囲線」の言葉があるので間違いなくこの年の物ですが、何月か不明なのでとりあえずここに置いておきます。

一番上は絵葉書を挟んであった紙です。二つ折りを開いて取り込んであります。 フクチャンの6コマ漫画がよろしいかと。

2番目は、機関銃を撃っているフクチャンで、弾丸として供給されているのが支那事変国債です。 伝えたいことはだいたい分かりますが、機関銃をぶっ放しているフクチャンというのも珍しい絵なのでは無かろうかと。

3番目はABCDの矢が降り注ぐ中、フクチャンと仲間たちが支那事変国債を盾にして奮闘しています。 下には「ABCD包囲線もなんのその」の文字が。これも分かりやすいですね。

4番目は支那事変国債の旗を掲げたフクチャンから、青竜刀をもった中国兵が逃げ出しています。 青竜刀を持っていなければ中国兵かどうかも分からないですが。

フクチャンもこういう事をしなければならない時代でした。 しかし絵葉書なので表は葉書になっているのですが、再生紙使っているなこりゃ。 前年までの葉書と比べると紙質が落ちています。 資源不足の影響がこんな所にも見られます。

ちなみに横山隆一先生はこの後、写真週報にて4コマ漫画「決戦兄弟」を好評連載しています。


1月

8日、東条陸相、「戦陣訓」を全軍に示達。
15日、アメリカ、ハル国務長官、下院外交委員会で対日批判演説。
16日、大本営陸軍部、大東亜長期戦争指導要綱と対支長期作戦指導要綱を決定。
22日、政府が、国家総動員法改正法案・国防保安法案など戦時体制強化に関する法案提出。


2月

8日、衆議院、国防保安法案を可決。3月7日公布。
21日、第20回貯蓄債券・第6回報国債券の売出開始。全国のタバコ店でも売り出される。


3月

1日、国民学校令公布。4月1日施行。尋常小学校を国民学校と改称。
3日、国家総動員法改正公布。20日施行。政府権限が大幅に拡張される。
3日、大蔵省、兌換銀行券条例臨時特例法公布。4月1日公布。蔵相による日銀券最高限度額決定制を採用。
11日、アメリカ、武器貸与法案成立。本格的に反枢軸国援助開始。
13日、蚕糸業統制法、国民貯蓄組合法、農地開発法、木材統制法各公布。


4月

1日、6大都市とその周辺で米穀配給通帳制、外食券制を実施。
1日、生活必需物資統制令公布、即日施行。
8日、企画院の和田博雄調査官ら17人が治安維持法違反容疑で検挙。(企画院事件)
13日、日ソ中立条約調印。


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発行時期:昭和16年4月
種類:第22回 貯蓄債券
発行:日本勧業銀行
額面金額:七圓五拾銭(七円五十銭)、拾五圓(十五円)
償還期日:昭和36年5月
売出価格:五圓(五円)、拾圓(十円)

第22回 貯蓄債券です。

それでは毎度のごとく裏面を、
20年満期、9000万円、うち拾五圓券40組、七圓五拾銭40組、年2回(4月、10月)抽籤、割増金は、
80組(800万本分)
等級15円券7円50銭券第1回第2〜5回第6回以降
一等2000円 1000円 240本 160本 80本
二等200円 100円 800本 400本 240本
三等10円 5円 30960本 24000本 10400本
32000本 24560本 10720本

内容はあまり代わり映えはしないのですが、発行量が増えてます。 一回で関東大震災の復興貯蓄債券の全額を超えてます。

この年の貯蓄債券は一年中この図柄でし。 どう考えても手間のかかる原板制作の余裕が無くなってます。 ちなみに持ってはいませんが報国債券の方も前年と同じ柄のままです。

資料によると15年の後半からこの貯蓄債券・報国債券の消化は停滞し始め、 この年は政府も売出のてこ入れのためデパート・タバコ屋などでも売り出されます。 しまいには町内会や隣組などで割当が決められ無理矢理買わされていました。


5月

8日、東京府、第1回「肉なし日」実施。以後毎月8日と28日が「肉なし日」。
12日、防諜週間始まる。


6月

9日、農林省、麦類配給統制規則公布、即日施行。
14日、政府、国民労務手帳法施工令公布。10月1日施行。
22日、ドイツ軍、突如ソ連に侵攻。(バルバロッサ作戦)独ソ戦始まる。


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名称:時局と貯蓄
種類:パンフレット
発行:大政翼賛会宣伝部

大政翼賛会が出したパンフレットです。ちなみに表紙に書いてある通り値段は10銭なんですが、当時はどういう人が買っていたんでしょうか?

巻末にある「後記」を書き出してみましょう。

本書は貯蓄強調週間に際して大政翼賛会が主催した時局講演会の講演要旨の摘録である。 各講師それぞれの立場から時局の重大性を説き、戦ふ国民の覚悟を促し、 これに対処する国民貯蓄の緊要を強調してゐる。 国民貯蓄の奨励が国家的運動として要請されてゐる現在、 特に常会方面における好個の資料たるを疑いはない。 最近常会資料の提供が熱心に唱へられてゐるので、 常会に話題を提供し国民の一層の決意を促す意味で本書を刊行した次第である。 なほ宣伝部では今後のあらゆる問題にわたって、 平易な常会資料を発行する計画である。

そんな感じの内容です。欧州では第2次世界大戦が始まり、 日米対立も深まっているので、新体制と大東亜共栄圏の確立のために、 国民の皆さん貯蓄をしましょう、そんなところですね。

逆に考えると、貯蓄の集まりが落ちてきたので、なぜ貯蓄の必要性があるのか、 大政翼賛会が国民に向けて説明している感じですね。 こうなった原因は支那事変で政府と軍部が失敗して、泥沼化させたのが原因だと思うのだが。 どう見てもそれから国民の目を第2次世界大戦や日米対立に向けさせて、誤魔化そうとしているようにしか見えません。 そう言えばこの時点で支那事変の事にほとんどふれていないのもすごいです。

目次を書き出しますと、

一、大政翼賛運動の前進
二、恒常戦と経済戦
三、太平洋問題と国民の覚悟

最後の項では日米対立にふれていて「太平洋戦」という言葉があちらこちらに見られます。 「日米太平洋戦」とか「太平洋戦はすでに経済戦で開始されてゐるのだ」という小見出しまであります。 だいぶ迫ってきています。


実物大
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名称:隣組読本 戦費と国債
種類:回覧用パンフレット
発行:大政翼賛会

大政翼賛会が配っていた町内回覧用のパンフレットです。

冒頭を書き出しますと、

「此の講座には町内会長、部落会長、隣組長或は隣保班長さんとして、又大日本帝国の国民として是非知っておかなければならないことが書いてあります。」

まあそう言う物です。表紙裏が回覧して読み終わったときに判子を押す欄になっています。

内容は国民に国債を買ってもらうための説明になっています。 これは庶民に読んでもらうための本なので読みやすくて良いです。

読むと、この時点で支那事変の戦費は223億3500万円で、これを10円札で横に並べると地球を8周り、 積み重ねると富士山の45倍だそうです。 この書き方はこの当時から有ったとは知りませんでした。戦前なので10円札というところがよろしいかと。

しかしこれを読んだ後で財務省のHPに行って「国債Q&A」のページなどを読むと、 内容があまりにも似ていることに驚きます。当たり前ですが書き方までそっくりです。

42ページもあるので全部書き出すことは出来ませんが、少し書き出して見ます。

六、国債の将来
(1)国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか

国債が沢山殖えても全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです。
国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民が其の貸手でありますから、国が利子を支払つてもその金が国の外に出て行く訳でなく国内に広く国民の懐に入っていくのです。
一時「国債が激増すると国が潰れる」といふ風に言はれたこともありましたが、当時は我国の産業が十分の発達を遂げてゐなかった為、 多額に国債を発行するやうなときは、必ず大量の外国製品の輸入を伴ひ、国際収支の悪化や為替相場、通貨への悪影響の為我国経済の根底がぐらつく心配があつたのです。
然し現在は全く事情が違ひ、我国の産業が著しく発達して居るばかりでなく、為替管理や各種の統制を行つて居り又必要なお金も国内で調達することが出来るのでして、従つて相当多額の国債を発行しても、 経済の基礎がゆらぐやうな心配は全然無いのであります。

うぅ〜〜ん、この文章、ほんとに財務省のHP行って現在のやつと比べてみましょう。

ちなみに昭和12年11月から発行されていて、この回で22回目です。 ちょうど愛国国債(個人向け国債)が発行された時から同時に出されています。


7月

7日、大本営、関東軍特殊演習を下命。「関特演」始まる。(対ソ戦に向けての予行演習。9月まで)
16日、近衛内閣総辞職。
18日、第3次近衛内閣成立。
23日、日・仏印防衛協定調印。南部仏印進駐の細目を協定。大本営、第25軍に南部仏印進駐を発令。
25日、アメリカ、在米日本資産凍結。
26日、日本の株式市場大暴落。
26日、イギリス、日本資産凍結。
27日、オランダ、日本資産凍結。
28日、日本軍、南部仏印進駐開始。
28日、蘭印、日本との石油民間協定を停止。


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発行時期:昭和16年7月
種類:第1回 特別報国債券
発行:日本勧業銀行
額面金額:壹圓(一円)
償還期日:昭和18年9月
利率:無し

第1回 特別報国債券、通称「豆債券」です。なんかだんだん資金集めのやり方がセコクなってます。

それではいつも通り裏面を、
2年満期、1000万円、100組、16年10月と17年10月の2回抽籤、割増金は、
50組(500万本分)
等級賞金第1回第2回
一等 500円 100本 -----
二等 100円 ----- 100本
三等 5円 2000本 -----
四等 1円 300000本 60000本
302100本 60100本

勧銀も資金調達の割当が苦しいのは解りますが、こいつは何とも。1円と言うと今の感覚では1000円ぐらいでしょうか? ちなみに5枚集めると報国債券、又は貯蓄債券と交換してくれるそうです。 しかも2年償還の短期債券です。最も昭和18年では換金したくともできなかったので、ここにこうして私がコレクションしています。

こいつは全国のタバコ屋で主に売り出されていたようです。 当時のタバコ屋と言えば、街を少し歩けば至る所に見つかる一坪程度の小さい店で、 タバコ以外にも切手とかちょっとした小物が置いてある店。 (今でも残っている店は、たいがい別の本業のついでに営業してますけど。) 必要なときにすぐそこに買いに行ける今のコンビニのような存在を想像して下さい。 最も夜間営業と食料品は無しですが。タバコ自販機が無い時代はやたらとありました。 当時は全国に14万店ほどあったそうです。

そういや昔は「宝くじ」と言えばタバコ屋で買う物でした。これはその最初でしょう。 大きさもいかにも「宝くじ」ですね。 貯蓄債券・報国債券も売り出されましたがこちらはタバコ屋では売れなかったんじゃなかろうか? タバコ屋と言えば少額商品の店です。その意味でも当時のコンビニだな。


8月

1日、アメリカ、対日石油輸出全面停止。
14日、ルーズベルト大統領とチャーチル首相、「英米共同宣言」(大西洋憲章)を発表。
18日、大政翼賛会、「国民皆労運動」の推進を決定。
28日、野村駐米大使、ルーズベルト大統領に日米首脳会談を希望する近衛メッセージを手交。
30日、政府、重要産業団体令、金属類回収令を各公布。9月1日施行。


9月

9日、農林省、味噌・醤油の統制実施。
15日、農林省、米穀国家管理要領を通牒。
15日、日本興業銀行、軍需手形の引き受けを始める。
22日、商工省、鉄製品製造制限規則改正公布。約350品目製造禁止。


10月

2日、アメリカ、ハル国務長官、野村駐米大使に日米首脳会談拒否を通告。
16日、第3次近衛内閣総辞職。対米和戦について、陸軍の主戦論で内閣の意見不統一のため。
18日、東条英機内閣成立。首相は現役軍人のまま内相・陸相を兼務。
28日、閣議で重要産業第一次指定決定。(鉄鋼・石炭・造船など11業種)
31日、政府、臨時増税案要綱発表。


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名称:債券袋、債券申込書
発行:日本勧業銀行

貯蓄債券・報国債券を入れておく袋と申込書です。 申込書は10月20日から11月15日まで売りだされた、第24回貯蓄債券と第10回報国債券の分です。

この年3月には国民貯蓄組合法が施行されており、 それに基づいてどこかの貯蓄組合が組合員に配った物と思われます。 申込書に名前と購入数を書き込んで組合長に渡すと、中に入れて戻ってきたのでは無いでしょうか? 大きさもぴったりですし。 代金は当然、給料天引きで。

国民貯蓄組合法を読むと当時はこの手のことが盛んに行われたいことが分かります。 戦場の兵士だけでなく、銃後の人の生活も大変です。 実際、当時の人の話を聞くと、貯蓄組合を通して大量の債券を買わされていた、というのはよく出てきます。

ちなみに集めていて気が付いたのですが、貯蓄債券は比較的多く残っているのですが、 報国債券はあまり残っていません。同じくらい発行されていたはずなのに、何故だろうと思っていましたが、 この申込書にはこう書いてありました。
特 典
一、 税金は一切かかりません(割増金にもかかりません)
二、 両債券共郵便局及日本勧業銀行で無料で保管致します
三、 報国債券はお買入後二ヵ年以内(昭和一八年九月迄)に郵便局又は日本勧業銀行へ保管を委託され、 償還期迄そのまま継続された場合には償還の時十円券は七十銭、五円券は三十五銭の特別の割増金が支払はれます
要するに報国債券は無利子なので、途中償還する人があまりにも多かったため、 最後まで預けておくとわずかな利子が付くようにして、途中償還を防止を図っていました。 このためみんな預けてしまっていて、民間にはあまり残らなかった模様です。

どのみち郵便局や勧銀に「預けた債券を換金してくれ」と言いに行くと、 担当者に「お国の為に考え直せ」とか説得されたことでしょうけど。 ただ預けていた債券は忘れ去られること無く、どの時点かで償還されのでしょう。


11月

5日、御前会議、帝国国策遂行要領決定。(対米戦準備を進め、12月1日までに交渉成立なら武力発動中止。)
22日、政府、国民勤労報国協力令公布。
26日、海軍、ハワイ作戦機動部隊が単冠湾出航。
26日、アメリカ、ハル国務長官が新提案を提議。(ハル・ノート)


12月

1日、御前会議、対英米蘭開戦を決定。
8日、太平洋戦争開始。真珠湾攻撃。日本軍、マレー半島に上陸。
10日、マレー沖開戦。(英軍艦プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス撃沈)
25日、日本軍、香港を占領。


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名称:写真週報12月3日197号
種類:グラフ週刊誌
発行:内閣情報局

毎度おなじみの写真週報の太平洋戦争直前の号です。少し紹介したい内容がありましたので。

ちなみに画像の表紙は、 「タバコ屋のおばちゃんが、子供に豆債券を売っている写真」。 支那事変債券購入勧誘のための懸賞写真募集での2等入選作です。 副賞として金200円(事変債券)と写真協会からの記念品が貰えました。

それで紹介したい記事ですが、大蔵省銀行局の署名が入った以下の記事。

「安んじて蓄めよう」(根も葉もない金融上のデマ)

どこから出たデマかは知らないが『いまに預金は凍結されて引出せなくなる』といふデマがあつたさうである。 さらにすすんでは『いまに預金は政府に取上げられる』といふデマもあつたとのことで、 全く驚き入つた次第である。荒唐無稽これに極まり、世間を惑はすことこれより甚だしきはない。
真面目にとり上げるにはあまりにも馬鹿々々しいといへばそれまでだが、 しかし国民はどんな場合にもこのやうなデマに惑はされず、つねに冷静を保つことが必要である。
(以下略。日本の金融はいかに安全なのかの説明が続きます。)


何かどこかで聞いたことが有るような内容ですね。 政府発行広報誌で説明の必要が有ると言うことは、当時かなり広くこういう話が流布していたと見えます。 結局その後、預金封鎖は有りましたし、政府に預金が取り上げられることは有りませんでしたが、 インフレで預金の価値は激減してしまいました。


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発行時期:昭和16年12月
種類:第16回 支那事変割引国庫債券
発行:大日本帝国政府
額面金額:貳拾圓(二十円)
償還期日:昭和27年1月
売出価格:拾四圓(十四円)

太平洋戦争開始直前に売り出された、最後の支那事変割引国庫債券です。これ以降は大東亜戦争割引国庫債券に変わりました。

ちなみに書き忘れていましたが、こういう債券は発行日の1ヶ月ぐらい前から売り出されて、 一週間前ぐらいに締め切るのが普通です。 これだと12月13日発行ですから11月から売りに出されて、12月5日頃締め切った物でしょう。


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発行時期:昭和16年12月
種類:第25回 貯蓄債券
発行:日本勧業銀行
額面金額:拾五圓(十五円)
償還期日:昭和36年10月
売出価格:拾圓(十円)

同じく太平洋戦争開始直前に売り出された、最後の貯蓄債券です。

裏面の内容はあまり変わらないのでパス。ただ発行額は9750万円です。 ちょうど対米開戦の準備をしていたころだからでしょうか?発行数が微妙な感じで増えてます。


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発行時期:昭和16年12月
種類:第11回 報国債券
発行:日本勧業銀行
額面金額:五圓(五円)、拾圓(十円)
償還期日:昭和26年12月
利率:無し

報国債券の第11回目です。同じくこれも最後。

それでは例によって裏面を詳しく見てみましょう。
10年満期、3500万円分発行、うち拾圓券2500万円(25組)、五圓券1000万円(20組)、年1回(3月)抽籤、割増金は、
45組(450万本分)
等級10円券5円券第1回第2,4,6,8,10回第3,5,7,9回第11回
一等10000円 5000円 45本 45本 45本 45本
二等1000円 500円 90本 45本 ----本 ----本
三等100円 50円 ----本 450本 900本 450本
四等10円 5円 126000本 63000本 58500本 108000本
126135本 63540本 59445本 108495本

当籤賞金が4等までになって、当籤本数が最初と最後をのぞいた奇数と偶数回に分けられてます。 なんか意味があるんだろうか?






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