何をするために沖縄へ行ったのか。鳩山由紀夫首相への批判が沸騰している。米軍普天間飛行場の移設問題で、首相は「最低でも県外」との公約を破り、県内と鹿児島県の徳之島への移設を表明した。
その理由が聞いて恥ずかしくなるほど幼稚だ。「米海兵隊が持つ抑止力への理解が浅かった」。日米同盟の一方の当事国の長として米軍の役割は初めからわかっていなければいけない。あの狭い沖縄に米軍基地の75%が集中するのは地勢的・戦略的要因からである。
批判されるもう一つは、言葉があまりに軽いことである。「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」という言葉がある。中国・前漢の歴史を記した「漢書」の挿話から生まれた。
君主の言葉は、はじめに口から出たときには細くても、人民に届くころには、組み糸(綸)のように太くなる。だから君主の言葉は、いったん外に出れば取り消すことができない。汗を体の中に戻すことができないのと同じだ。
安全保障政策と同様にこのことが首相にはよく理解できていなかったらしい。公約違反との批判には「公約は選挙の時の党の考え方だ。党としての発言ではなく私自身の代表としての発言ということだ」と言い訳する。党の考え方と代表の発言は違うのか。首相には「発言汗の如し」という言葉を贈らねばなるまい。
あるアンケートで首相は愛読書として「西郷南洲遺訓」を挙げている。この中に有名な一節がある。
「生命も要らぬ名声も要らぬ、官位も金も要らぬという人間はどうにも始末に困るものだ。この、始末に困るような人間でなければ、艱難(かんなん)を共にして国家の大問題を解決してゆくことはできるものではない」
始末に困るような首相だったら沖縄の人たちに「二度と来るな」なんて言われなかったろうに。西郷南洲遺訓の熟読をお勧めする。
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