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日経電子版「強みと弱み」

AERA3月23日(火) 11時26分配信 / 国内 - 社会
──日経新聞がいよいよ有料化サイトを開始する。長く続いた無料モデルの転換だ。
今年はiPadが発売されるなど、電子書籍元年とも言われる。成功するか否か。──

 6時起床。パソコンを開くと、朝刊紙面が画面いっぱいに広がる。お気に入りの分野の記事は、「おすすめ」として自動で提示されるので、ザッと目を通す。長めの経済記事は後でじっくり読むためにクリックして「My日経」に保存して家を出る。
 先週までは毎朝、出勤ついでにポストから新聞を取り出していた。満員の通勤電車の中では、縦に折った新聞から読みたい記事を探すにも手間がかかった。
 これからは違う。さっき「My日経」に保存した記事を携帯で読む。最新記事が載った紙面がパソコンや携帯電話でサイトを開くたびに更新されるので、市況の細かな動きも把握できる。
 アップルの「iPad(アイパッド)」が今年4月に発売されるのを機に、日本でも新聞・書籍の電子化が一気に進みそうだ。日本経済新聞「電子版(Web刊)」のサービスはその象徴。しかも全国紙では初めて有料化に踏み切る。
 元時事通信記者で、サイト「テックウェーブ」編集長の湯川鶴章氏は、「先行馬」の強みを話す。
「いち早くスタートした日経に、業界全体が一縷の望みをかけている。『日経=経済情報発信』のブランド力が電子版でも即座に生かせれば、成長できる」

■紙とのカニバリズム

 一気に有料電子新聞が広がるかどうかの鍵を握るのが、価格だ。料金体系は2種類。紙媒体の日経新聞を宅配購読しつつ、電子版をプラスする「日経Wプラン」は朝夕刊セット料金に1000円プラスした月額5383円(全日版は4568円)。新聞を取らず、電子版のみの契約は月額4000円。電子版単独は高く感じるが、プラス1000円で紙とセットならいいか、という気にさせられる価格だ。
「料金設定は、紙との併読を第一に考えた結果です」
 日経広報グループは説明する。
 前出の湯川氏もこう語る。
「電子版を導入しつつ、紙を捨てないならば、今回のような料金にしかならないでしょう」
 目玉の電子版のはずなのに、価格を見る限り、紙媒体を生き残らせるための「付加価値」であることがわかる。
 日本では昨年末、一足先に有料化した電子版ニュースメディアがある。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)日本版だ。値段は月額1980円と日経の半額。紙と記者をもたず、電子版のみで翻訳記事主体だからこその価格設定だ。同紙CEOでSBIホールディングスCEOでもある北尾吉孝氏が言う。
「私もいま紙よりもネットで記事を読むことが多い。そういう習慣のある人で、ビジネスや投資をする人なら、グローバルな観点と経済を知悉した解説記事がある上に半額のWSJのほうが競争力がある。日経のいまのプランは紙とネットのカニバリズム(共食い)を感じますね」
 なぜ日経は紙主体をやめないのか。
 答えは簡単、それが収益の源泉だからだ。新聞の部数も広告収入も減少に歯止めがかからない。有料化電子版はその「下げ止まり」効果を期待する付加価値としてスタートするが、爆発的に読者が見込めるかというと、見通しは厳しそうだ。喜多恒雄社長は会見で目標契約数を「早期で30万」と語ったが、弊誌取材に日経側は「まずは10万」と述べた。電子版の収益だけではとても紙の収益の落ち込みをカバーできないのだ。紙を手放せば経営の根幹が揺らぐ。

■新しさ体験できるか

 ITジャーナリストの佐々木俊尚氏は、電子版には価格以上に「成功するために必要なこと」があると指摘する。
「電子版を読む端末との関係性です。携帯電話のニュース配信サイトは、有料でも成功しているサービスがある。経験したことがない見せ方で価値を出せれば、有料でも成功する」
 日経電子版は、携帯電話でも記事の閲覧や検索がしやすいようにはなっている。しかし、機能的にいまひとつ目新しさにかける。その「見落とし」が惜しいと佐々木氏は続ける。
「基本的にはパソコンで読ませるスタイル。ただ、パソコンで見る情報は無料、という常識ができているいま、それを覆すには、iPhone(アイフォーン)などの携帯端末で新しい価値を見せる必要があったのでは」
 アイフォーン利用者は国内で急増している。09年10-12月期の販売台数は、前年同期と比較し400%以上の伸びとされる。
 日経BP調査によれば、アイフォーンの男性利用者の平均年齢は40.6歳、平均年収は620万円と、日経新聞の読者ターゲットにかなり近い。にもかかわらず、日経電子版はアイフォーン向けには作られていない。国内では4月末に発売が予定されるiPadも同様だ。この重要なタイミングで見せ方を多様化できていれば、新規読者への訴求力は変わっていたかもしれない。

■My日経の充実が左右

 だが、読者にとって新しい価値もある。
 過去記事の検索や、お気に入りの記事を保存したり、注目するカテゴリーのニュースが自動で関連付けられてすぐに読めたりする機能「My日経」だ。慶應大大学院教授で日経新聞電子化に大きくかかわってきた坪田知己氏も、
「電子版の行く末は『My日経』にかかっている」
 と胸を張る。
「使いやすいようにカスタマイズしていくと、どんどん個人専用の画面になる。言い換えれば、他人にはその『My日経』が馴染みにくくなる。そうなれば、1台ごとに新たな契約が検討されると思うんです」
 紙の時代は中小企業や家族で1企業1世帯につき1部が一般的だった。だが、電子版ならパーソナライズ化によって同所帯で複数の契約も期待できる。若干明るすぎる未来とも映るが、My日経の機能は今後も開発が進むという。
 そうした機能面の新価値とは別に、新聞社側には別の狙いもある。新聞社では顧客リストは個々の専売店が持ち、本社はどんな読者が読んでいるかすらつかめなかった。だが、電子版の購読契約は本社でのクレジットカード決済となり、顧客リストを握れる。さらに契約時に職業や役職、勤務先やその規模、任意で年収まで聞かれる。貴重な読者情報を入手でき、顧客の生活圏や年収に応じたターゲット広告の配信も可能になる。
 たとえば、同じトヨタの広告でも、年収2000万円の顧客にはレクサスの広告を、年収400万円の顧客にはヴィッツの広告をと、顧客の収入に沿って配信する。実現すれば、昨今下落が激しい広告料金の低下に歯止めがかかる可能性もある。日経広報は「母数が増えないことには始められない」としつつも、秋以降の運用に関しては検討することを認めている。
 成否はともかくとして、これで「活字をネットで読む」文化が一気に広まる、と前出WSJの北尾氏は歓迎する。
「日経が有料化すれば、他にも追随するメディアが出てくるでしょう。そういう意味で日経とは対立というより補完関係。新しい試みは大勢続いたほうが盛り上がる。新しい経験を積んだ結果、お客さんはWSJにも移りやすくなる。大歓迎ですよ」
 一方、書籍も電子化への勢いを加速させている。
 3月24日、講談社や小学館など大手出版社31社は、電子書籍市場の環境整備と発展を睨み、社団法人日本電子書籍出版社協会(電書協)を発足させる。
 米国ではアマゾンの電子書籍端末「キンドル」登場以降、前年比2〜3倍という激しい勢いで電子書籍市場が伸びている。そんな米市場を眺めれば、日本でも期待は増す。1997年から電子書籍を販売する光文社の依田吉弘デジタル事業部長はこう話す。
「ドラマ化された本などは電子書籍で加速的に売れる傾向がある。現に横山秀夫氏原作の『臨場』などはそれで売れました」
 現在日本で購入可能な電子書籍は15万冊以上。米アマゾンの45万冊には及ばないが、決して少なくはない。それどころか、実は販売額自体では日本の電子書籍は米国を大幅に上回っている。米市場は09年末の卸売価格で約56億円。消費者向け価格で倍としても110億円。一方、日本は08年時点で464億円。約4倍以上の市場なのだ。その売り上げの大半は携帯電話だ。

■大半がマンガとBL

 にもかかわず、なぜか一般に認知されていない。
 総務省情報流通行政局の担当者が困惑げに言う。
「日本の電子書籍のほとんどはマンガと写真。残りの文芸でも売れているのはBL系(ボーイズラブ=男子の同性愛小説)。活況と手放しで喜べない事情もあるんです」
 約15万冊を販売する電子書店パピレスのベストセラーを見ても、その傾向は明らか。16日時点で1位は『きみのそばにいたいから』。北海道の大学に受かった男子2人の同棲生活の話だ。中心購読者層は25歳女子らしい。もちろん人気作家のものやベストセラーも収蔵されている。だが実際は本屋では買いにくい本ばかり売れているのだ。
 電子書籍の今後の発展には別の課題もある。
 その一つが規格だ。現在電子書籍の主流は国際電子出版フォーラム(IDPF)が認定した「ePub」という規格。グーグルやソニーが中心となって推進しているものだが、日本語環境に対応していない。キンドル用の「azw」という規格も日本語に未対応だ。前出の総務省担当者も、規格問題のクリアが最初の大きなステップだという。
「縦書き、ルビ、外字、禁則と独自ルールがある日本語は世界でも特殊な言語です。日本語文化を継承させる役割もある書籍では、これらのルールが端末に採用される必要があります」
 だが、日本の中でも電子書籍規格の主流は決まっていない。

■誰が主導権を握るか

 さらに電子書籍ならではのリスクもある。販売サイトで表示される本の点数は多くて1ページに数十点。視認できる商品点数は書店とは比較にならない。
「トップページで紹介された本は売れるが、その他の本はほとんどが『ロングテール』。多様に売るのが難しい」(依田氏)
 電子書籍では紙代や印刷代、書店の手数料など紙でかかったコストはほとんどなくなる。だが、人目に触れないのであれば、販路はないに等しい。
 また、出版社にとって何より悩ましいのが価格の主導権だ。
 電子書籍では紙のような再販制の縛りがない。ハードカバーや文庫といった形式も事実上ない。そのため、価格決定の主導権が出版社側と販売サイトの綱引きになる可能性がある。事実、米国では大手出版社のマクミラン社がアマゾンに対して価格で抗議をし、同社の電子書籍が販売されなくなるという事態にも至った(今月末に復活の予定)。電書協の発足は、「版元主導でという姿勢の表れ」(大手出版社のデジタル担当者)でもあるが、そうした価格決定権も電子書籍の普及次第では変わっていく可能性がある。
「値上げを主張したマ社のブログにはユーザーから厳しいコメントが多数寄せられた。日本でも読者からの価格圧力は強まるかもしれない」(前出の大手出版社担当者)
 日本で新聞・書籍の電子化は成功するのだろうか。その1ページが開かれたばかりだ。
ジャーナリスト 森 健 編集部 井上和典
(3月29日号)
  • 最終更新:3月23日(火) 11時26分
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