【新刊】朴天秀(パク・チョンス)著『新しく書く古代韓日交渉史』(社会評論)
韓日古代史を探る両国の考古学・歴史学者たちの視角は、大部分が自国中心的だ。西暦4世紀中盤、百済・近肖古王代に日本へ伝わった七支刀がよい例だ。全く同じ銘文を巡り、韓国の学者は「倭王に下賜したもの」と読み、日本の学者は「倭王に捧げたもの」と解釈している。
慶北大と大阪大で考古学を専攻した慶北大の朴天秀(パク・チョンス)教授(考古学)がこの本で見せている態度は、「辺境人」あるいは「灰色人」といったものだ。彼は、最大限客観的な姿勢で遺物と遺跡を探る。彼は、百済の先進文物が倭に伝播し文化水準を高めたのだとしても、6世紀前半に倭の軍事勢力が栄山江流域で活動していたという事実も認定する。とはいえ、倭が韓半島(朝鮮半島)南部の一部を支配したという「任那日本府説」を支持することもない。この本の第6章「栄山江流域の前方後円墳を通して見た百済と倭」は、同書に一貫する著者の論拠を際立たせている。前方後円墳とは、上から見る時、前は四角形で後は丸く見える、鍵穴の形をした巨大古墳のことを言う。日本では4-6世紀に集中的に出現するが、韓国では主に栄山江流域で6世紀前半に現れ、すぐに消える。この墳墓を巡り、任那日本府説を立証する遺跡だという主張が日本から起こったのは言うまでもない。しかし韓国国内の考古学会では、「ある地域で前方後円墳が出たが、(日本の学者が喜ぶかと心配で)埋め直した」という噂もあった。
著者は、前方後円墳の形態で見る時、倭人の墳墓だという事実を認定する。しかし墳墓から出土した百済の威勢品は、百済に服属した「倭系官僚」だという事実をあぶり出す。遺物や遺跡、そして歴史書などを総合すれば、こういう話になる。西暦475年、百済はソウルを高句麗に奪われた後、韓半島南部に南下した。その過程で、栄山江流域最大の土着勢力が居着いていた全羅南道羅州潘南面地域は土着勢力を首長に据えて「間接支配」し、その外郭は前方後円墳を作った倭系軍事勢力を利用し「直接支配」した、というものだ。しかし、538年に熊津(現在の公州)から泗?(現在の扶余)への遷都と栄山江流域の直接支配、そして倭系官僚の本土帰還や「百済化」により、前方後円墳は消えた。
慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者
http://www.chosunonline.com/article/20071118000001
韓国にある前方後円墳
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/nicchou/kofunkr.html
1972年7月17日、当時高麗大博物館主任で勤めていたユンセヨンの「韓国の中の古墳」と称する寄稿文が新聞に記載された。当時慶煕大学のファングヨングフン教授とユンセヨンなどが全羅南道の光州郊外と栄山江など平野地帯にある丘陵4ヶ所を共同調査した結果、前方後円墳が発見されたのだ。
この墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」として報道していたのである。前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形状であり、日本独自の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
しかし、調査が進むと、この古墳に関する報道は一切外に出なくなった。
何が何でも日本のものは100%韓国起源との虚偽・捏造に熱心な韓国であるが、この古墳の年代が5〜6世紀に作られていたことがわかり、日本の古墳が作られた年代である3〜5世紀よりも後であり、常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやってきて、当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。任那の日本府とともに、古代の朝鮮半島の歴史から日本を消したい韓国が歴史捏造をしている証拠のひとつとして紹介する。
【韓国】韓国産清酒『百花寿福』〜「日本酒は韓半島から伝来した酒」[11/17]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195276474/-100
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/011/2007/11/14/hj00700200711141102201.jpg
「百済の仁番(インボン)という者が米酒を醸す方法を教えてくれて、彼を酒神として師事した」
日本の古代歴史書である『古事記』に出る句節。SAKEが韓半島から伝来したという証拠である。
だが他人の物を『私物化』する事に卓越な能力を持った日本人達は、清酒を日本の国酒として作った。世界の人々は清酒(rice wine)とは、すなわち『日本酒』であると認識する。
実は味も日本産のSAKEが韓国産の清酒よりも上というのが事実。酒の仕込みに使う材料や製造の工程はほとんど似ているのだが…。
●“何故この様な結果になったのか”
市場競争の状態が何より一番大きなな理由。日本にはSAKEの製造会社だけでも約2,000社もある。市場で生き残る為には、当然熾烈な競争をくぐり抜けなければならない。
韓国の清酒市場はこれと正反対。韓国で清酒は実質的に無競争の製品である。韓国内にも清酒を生産する会社は、斗山(ドゥサン)酒類、麹醇堂(ククスンダン)など、2〜3箇所に過ぎない。ブランド種類も『百花寿福』、『茶礼酒』、『天寿万福』など5〜6種類位しか無い。この中でも『百花寿福』の市場シェアが、80%以上を占める。百花寿福の独占体制であるという事。
それに韓国産の清酒は大部分が祭祀酒として使われる。販売量の約80%が祭祀膳に乗せられたり、料理する時の調味酒として使われる。完全に飲用酒として売れるのは20%も満たない。
昨年飲用酒として販売された割合は、全体販売量のうち17.8%だった。これさえも過去と比較して高くなった数値である。去る2002年にはその割合が9.8%と、10%にも満たなかった。この4年間で飲用酒の販売の割合が二倍に増えたのも、日本式SAKEブームの影響が大きい。
これにより韓国内の清酒業界も、飲用清酒を開発した。
斗山酒類は去る5月25日、『多味seke』という飲用清酒を発売した。SAKEブームが始まった2004年から製品を開発して、今年には市場に発表したのである。
斗山主類で清酒ブランドマネージャーに働いている李再演代理は “最近消費刺字たちが日本式サケを好んでいて名前とデザインもそんな式で作った. 日本清州よりチープな価格に高級品質をお目見えしようと出市したこと”と言った.
だが韓国内の酒類業界は、相変らず清酒を重要商品として認識していない。市場自体が焼酒やビールに比べ、格段に小さい為である。
韓国内の酒類市場から、焼酒とビールを除いた低アルコール酒市場の割合は、2.5%に過ぎない。これらも梅酒や薬酒、野イチゴ酒などを全て合わせた物で、完全な清酒販売の割合はこれよりも更に少ない。
イ課長代理は、「最近の市場雰囲気を見ると、もう少し攻撃的にならなければいけないみたいだ。だが、清酒の特性自体が急速に拡散しにくい部分がある。まずダ『多味seke』を根深く定着させて、他の製品の発売開始を考える予定」と言いながら、新しい種類の飲用清酒発売開始に対し、慎重な態度を見せた。
ソース:NAVER/ソウル経済(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=011&aid=0000206965
【韓国】韓国産清酒『百花寿福』〜「日本酒は韓半島から伝来した酒」★2[11/17]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195325993/
20 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 04:14:04 ID:LTfdQbBR
>9
3世紀の魏志倭人伝に、日本人はこのころ酒をすでに造ってたという記述がある。
古事記の百済から酒が献上されたという記述はそのあとなんだよ。
例によって韓国が都合のいいところ抜きだして言ってるだけ。
28 :Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQ :2007/11/18(日) 04:16:04 ID:i6fcBLbZ ?2BP(1024)
応神天皇のとこの
「知醸酒人、名仁番、亦名須須許理等參渡來也」
(酒を醸かむことを知れる人、名はにほ、亦の名はすすこりら、参まゐ渡り来つ)
って記述だね。
115 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 04:52:56 ID:r7lM54dz
■3分で読める>>1の記事に対するツッコミまとめ。(前スレの要約+α)
?古事記からの引用とされる記述が「誤訳」あるいは「捏造」である。
古事記の応神天皇の巻、百済朝貢の条に書いてあるのは
「天皇に神酒を献上した」という内容であり、
「朝鮮人を酒神として崇めた」とか「師事した」という記述は存在しない。
?現在の日本酒と古事記時代の酒とは違う物
古代の酒は「濁酒」であり今の清酒ではない。
?日本酒と朝鮮の酒は、そもそもの造り方が違う。
中国や朝鮮半島では麦麹(餅麹)で酒が造られ、その中身はクモノスカビやケカビが
中心だが、日本酒は米麹(バラ麹)であり、その中身は純粋なコウジカビである。
日本に麦麹を用いた酒が存在した記録がない以上、朝鮮半島起源説は成立しない。
?そもそも百済と現在の朝鮮人は無関係。
両者は生息地が同じ朝鮮半島という地域であるだけで、別の民族である。
以上の根拠により、現在の韓国人が日本酒のルーツを自称するのは
あまりに無理があるといえる。
ちなみに彼らが日本酒のルーツを捏造しようとする動機は、
いつもの通り「羨ましいから」であると思われる。
★参考
【調査】 世界で注目をあびる「日本酒」、輸出量100万リットル超に…フランスでは高級ワインに並ぶ知名度へ
http://feeds.afpbb.com/afpbbnews?m=47573
【お酒】ロンドンで開催のワインコンテストに日本酒部門誕生 石川の「鶴乃里」が最高峰に[07/09/13]
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00118146.html
【米国】 ワシントン桜祭りで寿司と日本酒の試食行事、韓人の手中に★2[04/06]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1176025266/
【韓国】 円安の波に乗って、日本酒が津波の様に押し寄せる[08/01]
http://www.cbs.co.kr/nocut/show.asp?idx=580435
【韓国】「日本酒の魅力に酔って見てください」〜江南の“サケバー(sake bar)”が人気[09/11]
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=042&article_id=0000009454
【英国】 国際ワインコンテスト「International Wine Challenge」に、今年から日本酒部門(Sake Category)
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/09/13/k20070913000052.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/09/13/d20070913000052.html
【カナダ】 世界一住みやすい街で、居酒屋がブーム!〜中には韓国居酒屋も[10/04]
http://excite.co.jp/News/bit/00091191409063.html
【日本/ほか】 日本酒輸出が快調 仏で「ボルドー」なみ人気? [10/13]
http://www.j-cast.com/2007/10/13012061.html
298 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 07:03:30 ID:ng7huU1M
この「仁番」については、ただ「酒を醸す人」となっていて「酒の祖」とは
なっていない。以下、古事記の「百済の朝貢」の記述より。
...また百済国に、「もし賢しき人あらばたてまつれ。」とおほせたまひき。
故、命を受けてたてまつれる人、名は和邇吉師。すなはち論語十巻、千字文一巻、
(わにきし)
あわせて十一巻をこの人に付けてすなはちたてまつりき。この和邇吉師は文首等の祖。
また手人韓鍛、名は卓素、また呉服の西素二人をたてまつりき。また秦造の祖、
(てひとからかぬち) (くれはとり) (はたのみやつこ)
漢直の祖、また酒を醸むことを知れる人、名は仁番、亦の名は須須許理等、参渡り来つ。
(あやのあたへ)(かむ) (にほ) (すすこり)
故、この須須許理、大御酒を醸みてたてまつりき。ここに天皇、このたてまつりし
大御酒にうらげて、御歌よみしたまひしく、
須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり
(ことなぐしえぐしに)
とうたひたまひき。かく歌ひて幸行でましし時、御杖をもちて大坂の道中の大石を
打ちたまへば、その石走り避りき。故、諺に「堅石も酔人を避く。」といふなり。
?岩波文庫 古事記 倉野憲司 校注 (145頁)
979 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 11:19:35 ID:MopOYO49
結局、
魏志倭人伝にあるように、日本書紀の記述以前に日本で作られていた、
麹の種類が違う、稲作は中国から日本に伝わり、朝鮮に伝わった
でFA
清酒は韓国人の発明である、文句あるか!
http://teri.2ch.net/korea/kako/972/972335870.html
日本酒の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
稲作
稲の伝来に関して、以下の説が主なものとして存在する。
1.遼東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に伝来(朝鮮ルート)。
2.長江下流域から直接北九州に伝来(対馬暖流ルート)。
3.江南から西南諸島を経て南九州へ(黒潮ルート)。
かつては1.の朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり、畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種/熱帯ジャポニカ種の遺伝分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない点などの複数の証左から、大陸からの直接伝来ルートである対馬暖流ルートによる伝来が2000年近く早かったという学説が有力視されつつあり、朝鮮ルートが否定的されつつある。
また、3.の江南からの黒潮ルートは縄文時代の熱帯ジャポニカの伝来ルートとして有力視されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C
【韓国】「日本酒の魅力に酔って見てください」〜江南の“サケバー(sake bar)”が人気[09/11]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1189478071/l50
低アルコール、高級酒類が流行っている。最近までワインが脚光を浴びていたが、これからは江南(カンナム)一帯を中心に、日本式清酒、sake(日本酒)が人気を呼んでいる。若者層に、『高くて不快な匂いのする旧式の酒』と認識されていたsakeが、新たに注目されている理由は何なのか?
会社員のイ・ソンシクさん(28歳)は、一ヶ月に1〜2回サケバー(sake bar)に訪ねる。小さな徳利と杯でのパーは、値段と量の負担にはならない。出された日本式のおつまみの口当たりもそそられる。2年前、インターネットのグルメ同好会を通じて知ったサケバーは、先輩やガールフレンドの『ポイント稼ぎ』にうってつけのスポット。
最近の20〜30代の若いサラリーマンを中心に、sakeが流行っている。sakeは米を醗酵させて、濁りを取った日本式の清酒。香りと原料、酒造方法によって等級が付けられる。
米を多く精米するほど香りと味が優れる為、価格は上限が無くなる。一杯7,000ウォンクラスの大衆的なsakeから、一本60万ウォンの高額まで、日本酒の種類は1万数種類を超える。
このうち、我が国で輸入される物は約200数種類。韓国内の最大日本酒類の輸入業社である『月桂冠』のシン・チョルジュ氏は、「sakeは1994年から輸入しているが、最近飛躍的に売り上げが伸びている」と明らかにした。
『月桂冠』の2006年売上げは2005年よりも30%伸びて、今年の上半期も前年よりも約30%増加した。また、それ以外の特徴として、3万ウォン台の中低価格のsakeの売り上げが、急速に伸びていると言う。
月桂冠のシン・チョルジュ氏は、「中低価格の酒が多く売れると言う事は、若年層の消費が増えている為」と言いながら、「高額のワインが一部の上流層の専用物のように思われ、数年前から20〜30代の若い女性を中心に、中低価格ワイン市場が飛躍的に発展したのと同じ脈略」と説明した。
最近、江南一帯を中心に、10数ヶ所のサケバーが新たに出来て、若年層を中心にsakeの関心が大きくなっている事を示している。最近、鴨鴎亭(アックジョン)に開店した『メザニン(mezzanine)』はワインとsakeを同時に楽しむ事の出来る空間。
マネージャーのチョ・ゲホ氏は、「市場の分析をした結果、ワインとsakeの需要が似ているのに対して専門のサケバーは無く、ニッチ(すき間)市場を攻略する事になった」とし、「オープン当初はワインが先行していたが、最近はワインとsakeが半々の割合で販売されている」と明らかにした。
sakeの流行は、日系企業のサラリーマンと、日本の留学生出身者が先導している。ソウル駐在の日本人とサケバーに度々通うと、日本酒と食べ物に味覚がマッチして、接待でなくてもsakeを求めるという。
ソニ?コリアのキム・チァンウク氏(33歳)は、「留学時代の郷愁と日本料理が懐かしく、サケバーをよく訪ねる」と語った。やはり日本留学経験のある会社員のチェ・ジョンフン氏(33歳)も、週に1〜2回はサケバーを訪ねる。
彼は、「日本文化に対する好奇心と憧れが、sakeを求める主要因みたいだ」と明らかにした。日本の留学生出身を中心にsakeが紹介され、これらを通じてsakeの味を覚えた若者達が、またサケを求めると言われる。
インターネット文化に慣れた若年層は、同好会や個人ブログを利用して、『マイ・グルメ店』をまた紹介する。
イザカヤ(居酒屋)『かつら』マネージャー、キム・ソヨン氏は、「2000年のオープン時には日本人の顧客が90%を占めていたが、最近では20〜40代の会社員が60〜70%を占めている」とし、「30〜40代の会社員が、簡単な会食場所としてサケバーを多く求めるけど、インターネットを通じて当店を伝えたのは、20代の若い世代」と明らかにした。
ソース:NAVER/週間韓国(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=042&article_id=0000009454
【黄教授】国際科学界で韓国の信用が失墜。論文掲載拒否や韓国人科学者との接触禁止令も [01/11]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1137001523/
国際学会での韓国人研究員達
http://snow.kakiko.com/korea02/e_select/e0167.html
【韓国】日本は畳文化と小食メニューで身長が低い〜「韓国新世代の“脚長族”、その秘密を解明せよ」[12/05]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1196816876/l50
■KBS-第1TV『水曜企画』午後11時55分■
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/023/2007/12/05/2007120401206_0.jpg
“マリンボーイ”のパク・テファンと“フィギュアの妖精”キム・ヨナは、実力と共に際だった外貌で愛されている。特に西洋人と比較しても引けを取らない長い手足は、人気の要因を超えて成功の武器として数えられる。フィギュアとスイミングだけではない。舞踊系やファッション系に至るまで、世界の舞台で韓国の“長い脚”の新世代の活躍が著しい。
KBS-第1TVの『水曜企画』は5日の午後11時55分から、新世代の“脚長族”の登場を集中解剖した『21世紀の新韓国人〜長い脚が走る』を放送する。1980年以降、韓国人の背丈は約7cm大きくなり、手足も6〜8cm程度長くなった。番組では単に手足だけが長くなったのではなく、身長を頭の大きさで割った“等身”の割合も確実に変わった事を説明する。朝鮮末期の人々は平均6.3等身だったが、現在の韓国女性の身体の割合は 7.5等身である。
バレリーナのハン・ソヘと、次世代の有望人物であるモデルのパク・フィヒョンを尋ねて、長い脚の秘訣を質問する。これらは、「幼い頃から牛乳と肉をたくさん食べて、絶え間なくストレッチを通じて身長を管理した」と語る。
80年代では、韓国人の身長は日本に比べて2cm程度小さかったが、最近は韓国の学生が日本の学生よりも2cm大きくなった事にも注目する。両国の中学生の食習慣を比べた結果、日本は小食に重点を置いたメニューの為、度々栄養バランスが悪くなって
いるが、韓国は栄養を充分に供給するメニューがメインである。
住居の文化も影響の要因として数えられた。畳文化による日本人の座る習慣が、関節に影響を与えて背が伸びる事への障害になるという分析である。一方韓国は立食文化に変わり、椅子とソファーを多く使って関節に負担が掛からないからである。
ソース:朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&mid=etc&oid=023&aid=0000294929
韓日古代史を探る両国の考古学・歴史学者たちの視角は、大部分が自国中心的だ。西暦4世紀中盤、百済・近肖古王代に日本へ伝わった七支刀がよい例だ。全く同じ銘文を巡り、韓国の学者は「倭王に下賜したもの」と読み、日本の学者は「倭王に捧げたもの」と解釈している。
慶北大と大阪大で考古学を専攻した慶北大の朴天秀(パク・チョンス)教授(考古学)がこの本で見せている態度は、「辺境人」あるいは「灰色人」といったものだ。彼は、最大限客観的な姿勢で遺物と遺跡を探る。彼は、百済の先進文物が倭に伝播し文化水準を高めたのだとしても、6世紀前半に倭の軍事勢力が栄山江流域で活動していたという事実も認定する。とはいえ、倭が韓半島(朝鮮半島)南部の一部を支配したという「任那日本府説」を支持することもない。この本の第6章「栄山江流域の前方後円墳を通して見た百済と倭」は、同書に一貫する著者の論拠を際立たせている。前方後円墳とは、上から見る時、前は四角形で後は丸く見える、鍵穴の形をした巨大古墳のことを言う。日本では4-6世紀に集中的に出現するが、韓国では主に栄山江流域で6世紀前半に現れ、すぐに消える。この墳墓を巡り、任那日本府説を立証する遺跡だという主張が日本から起こったのは言うまでもない。しかし韓国国内の考古学会では、「ある地域で前方後円墳が出たが、(日本の学者が喜ぶかと心配で)埋め直した」という噂もあった。
著者は、前方後円墳の形態で見る時、倭人の墳墓だという事実を認定する。しかし墳墓から出土した百済の威勢品は、百済に服属した「倭系官僚」だという事実をあぶり出す。遺物や遺跡、そして歴史書などを総合すれば、こういう話になる。西暦475年、百済はソウルを高句麗に奪われた後、韓半島南部に南下した。その過程で、栄山江流域最大の土着勢力が居着いていた全羅南道羅州潘南面地域は土着勢力を首長に据えて「間接支配」し、その外郭は前方後円墳を作った倭系軍事勢力を利用し「直接支配」した、というものだ。しかし、538年に熊津(現在の公州)から泗?(現在の扶余)への遷都と栄山江流域の直接支配、そして倭系官僚の本土帰還や「百済化」により、前方後円墳は消えた。
慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者
http://www.chosunonline.com/article/20071118000001
韓国にある前方後円墳
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/nicchou/kofunkr.html
1972年7月17日、当時高麗大博物館主任で勤めていたユンセヨンの「韓国の中の古墳」と称する寄稿文が新聞に記載された。当時慶煕大学のファングヨングフン教授とユンセヨンなどが全羅南道の光州郊外と栄山江など平野地帯にある丘陵4ヶ所を共同調査した結果、前方後円墳が発見されたのだ。
この墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」として報道していたのである。前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形状であり、日本独自の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
しかし、調査が進むと、この古墳に関する報道は一切外に出なくなった。
何が何でも日本のものは100%韓国起源との虚偽・捏造に熱心な韓国であるが、この古墳の年代が5〜6世紀に作られていたことがわかり、日本の古墳が作られた年代である3〜5世紀よりも後であり、常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやってきて、当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。任那の日本府とともに、古代の朝鮮半島の歴史から日本を消したい韓国が歴史捏造をしている証拠のひとつとして紹介する。
【韓国】韓国産清酒『百花寿福』〜「日本酒は韓半島から伝来した酒」[11/17]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195276474/-100
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/011/2007/11/14/hj00700200711141102201.jpg
「百済の仁番(インボン)という者が米酒を醸す方法を教えてくれて、彼を酒神として師事した」
日本の古代歴史書である『古事記』に出る句節。SAKEが韓半島から伝来したという証拠である。
だが他人の物を『私物化』する事に卓越な能力を持った日本人達は、清酒を日本の国酒として作った。世界の人々は清酒(rice wine)とは、すなわち『日本酒』であると認識する。
実は味も日本産のSAKEが韓国産の清酒よりも上というのが事実。酒の仕込みに使う材料や製造の工程はほとんど似ているのだが…。
●“何故この様な結果になったのか”
市場競争の状態が何より一番大きなな理由。日本にはSAKEの製造会社だけでも約2,000社もある。市場で生き残る為には、当然熾烈な競争をくぐり抜けなければならない。
韓国の清酒市場はこれと正反対。韓国で清酒は実質的に無競争の製品である。韓国内にも清酒を生産する会社は、斗山(ドゥサン)酒類、麹醇堂(ククスンダン)など、2〜3箇所に過ぎない。ブランド種類も『百花寿福』、『茶礼酒』、『天寿万福』など5〜6種類位しか無い。この中でも『百花寿福』の市場シェアが、80%以上を占める。百花寿福の独占体制であるという事。
それに韓国産の清酒は大部分が祭祀酒として使われる。販売量の約80%が祭祀膳に乗せられたり、料理する時の調味酒として使われる。完全に飲用酒として売れるのは20%も満たない。
昨年飲用酒として販売された割合は、全体販売量のうち17.8%だった。これさえも過去と比較して高くなった数値である。去る2002年にはその割合が9.8%と、10%にも満たなかった。この4年間で飲用酒の販売の割合が二倍に増えたのも、日本式SAKEブームの影響が大きい。
これにより韓国内の清酒業界も、飲用清酒を開発した。
斗山酒類は去る5月25日、『多味seke』という飲用清酒を発売した。SAKEブームが始まった2004年から製品を開発して、今年には市場に発表したのである。
斗山主類で清酒ブランドマネージャーに働いている李再演代理は “最近消費刺字たちが日本式サケを好んでいて名前とデザインもそんな式で作った. 日本清州よりチープな価格に高級品質をお目見えしようと出市したこと”と言った.
だが韓国内の酒類業界は、相変らず清酒を重要商品として認識していない。市場自体が焼酒やビールに比べ、格段に小さい為である。
韓国内の酒類市場から、焼酒とビールを除いた低アルコール酒市場の割合は、2.5%に過ぎない。これらも梅酒や薬酒、野イチゴ酒などを全て合わせた物で、完全な清酒販売の割合はこれよりも更に少ない。
イ課長代理は、「最近の市場雰囲気を見ると、もう少し攻撃的にならなければいけないみたいだ。だが、清酒の特性自体が急速に拡散しにくい部分がある。まずダ『多味seke』を根深く定着させて、他の製品の発売開始を考える予定」と言いながら、新しい種類の飲用清酒発売開始に対し、慎重な態度を見せた。
ソース:NAVER/ソウル経済(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=011&aid=0000206965
【韓国】韓国産清酒『百花寿福』〜「日本酒は韓半島から伝来した酒」★2[11/17]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195325993/
20 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 04:14:04 ID:LTfdQbBR
>9
3世紀の魏志倭人伝に、日本人はこのころ酒をすでに造ってたという記述がある。
古事記の百済から酒が献上されたという記述はそのあとなんだよ。
例によって韓国が都合のいいところ抜きだして言ってるだけ。
28 :Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQ :2007/11/18(日) 04:16:04 ID:i6fcBLbZ ?2BP(1024)
応神天皇のとこの
「知醸酒人、名仁番、亦名須須許理等參渡來也」
(酒を醸かむことを知れる人、名はにほ、亦の名はすすこりら、参まゐ渡り来つ)
って記述だね。
115 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 04:52:56 ID:r7lM54dz
■3分で読める>>1の記事に対するツッコミまとめ。(前スレの要約+α)
?古事記からの引用とされる記述が「誤訳」あるいは「捏造」である。
古事記の応神天皇の巻、百済朝貢の条に書いてあるのは
「天皇に神酒を献上した」という内容であり、
「朝鮮人を酒神として崇めた」とか「師事した」という記述は存在しない。
?現在の日本酒と古事記時代の酒とは違う物
古代の酒は「濁酒」であり今の清酒ではない。
?日本酒と朝鮮の酒は、そもそもの造り方が違う。
中国や朝鮮半島では麦麹(餅麹)で酒が造られ、その中身はクモノスカビやケカビが
中心だが、日本酒は米麹(バラ麹)であり、その中身は純粋なコウジカビである。
日本に麦麹を用いた酒が存在した記録がない以上、朝鮮半島起源説は成立しない。
?そもそも百済と現在の朝鮮人は無関係。
両者は生息地が同じ朝鮮半島という地域であるだけで、別の民族である。
以上の根拠により、現在の韓国人が日本酒のルーツを自称するのは
あまりに無理があるといえる。
ちなみに彼らが日本酒のルーツを捏造しようとする動機は、
いつもの通り「羨ましいから」であると思われる。
★参考
【調査】 世界で注目をあびる「日本酒」、輸出量100万リットル超に…フランスでは高級ワインに並ぶ知名度へ
http://feeds.afpbb.com/afpbbnews?m=47573
【お酒】ロンドンで開催のワインコンテストに日本酒部門誕生 石川の「鶴乃里」が最高峰に[07/09/13]
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00118146.html
【米国】 ワシントン桜祭りで寿司と日本酒の試食行事、韓人の手中に★2[04/06]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1176025266/
【韓国】 円安の波に乗って、日本酒が津波の様に押し寄せる[08/01]
http://www.cbs.co.kr/nocut/show.asp?idx=580435
【韓国】「日本酒の魅力に酔って見てください」〜江南の“サケバー(sake bar)”が人気[09/11]
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=042&article_id=0000009454
【英国】 国際ワインコンテスト「International Wine Challenge」に、今年から日本酒部門(Sake Category)
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/09/13/k20070913000052.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/09/13/d20070913000052.html
【カナダ】 世界一住みやすい街で、居酒屋がブーム!〜中には韓国居酒屋も[10/04]
http://excite.co.jp/News/bit/00091191409063.html
【日本/ほか】 日本酒輸出が快調 仏で「ボルドー」なみ人気? [10/13]
http://www.j-cast.com/2007/10/13012061.html
298 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 07:03:30 ID:ng7huU1M
この「仁番」については、ただ「酒を醸す人」となっていて「酒の祖」とは
なっていない。以下、古事記の「百済の朝貢」の記述より。
...また百済国に、「もし賢しき人あらばたてまつれ。」とおほせたまひき。
故、命を受けてたてまつれる人、名は和邇吉師。すなはち論語十巻、千字文一巻、
(わにきし)
あわせて十一巻をこの人に付けてすなはちたてまつりき。この和邇吉師は文首等の祖。
また手人韓鍛、名は卓素、また呉服の西素二人をたてまつりき。また秦造の祖、
(てひとからかぬち) (くれはとり) (はたのみやつこ)
漢直の祖、また酒を醸むことを知れる人、名は仁番、亦の名は須須許理等、参渡り来つ。
(あやのあたへ)(かむ) (にほ) (すすこり)
故、この須須許理、大御酒を醸みてたてまつりき。ここに天皇、このたてまつりし
大御酒にうらげて、御歌よみしたまひしく、
須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり
(ことなぐしえぐしに)
とうたひたまひき。かく歌ひて幸行でましし時、御杖をもちて大坂の道中の大石を
打ちたまへば、その石走り避りき。故、諺に「堅石も酔人を避く。」といふなり。
?岩波文庫 古事記 倉野憲司 校注 (145頁)
979 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/18(日) 11:19:35 ID:MopOYO49
結局、
魏志倭人伝にあるように、日本書紀の記述以前に日本で作られていた、
麹の種類が違う、稲作は中国から日本に伝わり、朝鮮に伝わった
でFA
清酒は韓国人の発明である、文句あるか!
http://teri.2ch.net/korea/kako/972/972335870.html
日本酒の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
稲作
稲の伝来に関して、以下の説が主なものとして存在する。
1.遼東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に伝来(朝鮮ルート)。
2.長江下流域から直接北九州に伝来(対馬暖流ルート)。
3.江南から西南諸島を経て南九州へ(黒潮ルート)。
かつては1.の朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり、畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種/熱帯ジャポニカ種の遺伝分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない点などの複数の証左から、大陸からの直接伝来ルートである対馬暖流ルートによる伝来が2000年近く早かったという学説が有力視されつつあり、朝鮮ルートが否定的されつつある。
また、3.の江南からの黒潮ルートは縄文時代の熱帯ジャポニカの伝来ルートとして有力視されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C
【韓国】「日本酒の魅力に酔って見てください」〜江南の“サケバー(sake bar)”が人気[09/11]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1189478071/l50
低アルコール、高級酒類が流行っている。最近までワインが脚光を浴びていたが、これからは江南(カンナム)一帯を中心に、日本式清酒、sake(日本酒)が人気を呼んでいる。若者層に、『高くて不快な匂いのする旧式の酒』と認識されていたsakeが、新たに注目されている理由は何なのか?
会社員のイ・ソンシクさん(28歳)は、一ヶ月に1〜2回サケバー(sake bar)に訪ねる。小さな徳利と杯でのパーは、値段と量の負担にはならない。出された日本式のおつまみの口当たりもそそられる。2年前、インターネットのグルメ同好会を通じて知ったサケバーは、先輩やガールフレンドの『ポイント稼ぎ』にうってつけのスポット。
最近の20〜30代の若いサラリーマンを中心に、sakeが流行っている。sakeは米を醗酵させて、濁りを取った日本式の清酒。香りと原料、酒造方法によって等級が付けられる。
米を多く精米するほど香りと味が優れる為、価格は上限が無くなる。一杯7,000ウォンクラスの大衆的なsakeから、一本60万ウォンの高額まで、日本酒の種類は1万数種類を超える。
このうち、我が国で輸入される物は約200数種類。韓国内の最大日本酒類の輸入業社である『月桂冠』のシン・チョルジュ氏は、「sakeは1994年から輸入しているが、最近飛躍的に売り上げが伸びている」と明らかにした。
『月桂冠』の2006年売上げは2005年よりも30%伸びて、今年の上半期も前年よりも約30%増加した。また、それ以外の特徴として、3万ウォン台の中低価格のsakeの売り上げが、急速に伸びていると言う。
月桂冠のシン・チョルジュ氏は、「中低価格の酒が多く売れると言う事は、若年層の消費が増えている為」と言いながら、「高額のワインが一部の上流層の専用物のように思われ、数年前から20〜30代の若い女性を中心に、中低価格ワイン市場が飛躍的に発展したのと同じ脈略」と説明した。
最近、江南一帯を中心に、10数ヶ所のサケバーが新たに出来て、若年層を中心にsakeの関心が大きくなっている事を示している。最近、鴨鴎亭(アックジョン)に開店した『メザニン(mezzanine)』はワインとsakeを同時に楽しむ事の出来る空間。
マネージャーのチョ・ゲホ氏は、「市場の分析をした結果、ワインとsakeの需要が似ているのに対して専門のサケバーは無く、ニッチ(すき間)市場を攻略する事になった」とし、「オープン当初はワインが先行していたが、最近はワインとsakeが半々の割合で販売されている」と明らかにした。
sakeの流行は、日系企業のサラリーマンと、日本の留学生出身者が先導している。ソウル駐在の日本人とサケバーに度々通うと、日本酒と食べ物に味覚がマッチして、接待でなくてもsakeを求めるという。
ソニ?コリアのキム・チァンウク氏(33歳)は、「留学時代の郷愁と日本料理が懐かしく、サケバーをよく訪ねる」と語った。やはり日本留学経験のある会社員のチェ・ジョンフン氏(33歳)も、週に1〜2回はサケバーを訪ねる。
彼は、「日本文化に対する好奇心と憧れが、sakeを求める主要因みたいだ」と明らかにした。日本の留学生出身を中心にsakeが紹介され、これらを通じてsakeの味を覚えた若者達が、またサケを求めると言われる。
インターネット文化に慣れた若年層は、同好会や個人ブログを利用して、『マイ・グルメ店』をまた紹介する。
イザカヤ(居酒屋)『かつら』マネージャー、キム・ソヨン氏は、「2000年のオープン時には日本人の顧客が90%を占めていたが、最近では20〜40代の会社員が60〜70%を占めている」とし、「30〜40代の会社員が、簡単な会食場所としてサケバーを多く求めるけど、インターネットを通じて当店を伝えたのは、20代の若い世代」と明らかにした。
ソース:NAVER/週間韓国(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=042&article_id=0000009454
【黄教授】国際科学界で韓国の信用が失墜。論文掲載拒否や韓国人科学者との接触禁止令も [01/11]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1137001523/
国際学会での韓国人研究員達
http://snow.kakiko.com/korea02/e_select/e0167.html
【韓国】日本は畳文化と小食メニューで身長が低い〜「韓国新世代の“脚長族”、その秘密を解明せよ」[12/05]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1196816876/l50
■KBS-第1TV『水曜企画』午後11時55分■
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/023/2007/12/05/2007120401206_0.jpg
“マリンボーイ”のパク・テファンと“フィギュアの妖精”キム・ヨナは、実力と共に際だった外貌で愛されている。特に西洋人と比較しても引けを取らない長い手足は、人気の要因を超えて成功の武器として数えられる。フィギュアとスイミングだけではない。舞踊系やファッション系に至るまで、世界の舞台で韓国の“長い脚”の新世代の活躍が著しい。
KBS-第1TVの『水曜企画』は5日の午後11時55分から、新世代の“脚長族”の登場を集中解剖した『21世紀の新韓国人〜長い脚が走る』を放送する。1980年以降、韓国人の背丈は約7cm大きくなり、手足も6〜8cm程度長くなった。番組では単に手足だけが長くなったのではなく、身長を頭の大きさで割った“等身”の割合も確実に変わった事を説明する。朝鮮末期の人々は平均6.3等身だったが、現在の韓国女性の身体の割合は 7.5等身である。
バレリーナのハン・ソヘと、次世代の有望人物であるモデルのパク・フィヒョンを尋ねて、長い脚の秘訣を質問する。これらは、「幼い頃から牛乳と肉をたくさん食べて、絶え間なくストレッチを通じて身長を管理した」と語る。
80年代では、韓国人の身長は日本に比べて2cm程度小さかったが、最近は韓国の学生が日本の学生よりも2cm大きくなった事にも注目する。両国の中学生の食習慣を比べた結果、日本は小食に重点を置いたメニューの為、度々栄養バランスが悪くなって
いるが、韓国は栄養を充分に供給するメニューがメインである。
住居の文化も影響の要因として数えられた。畳文化による日本人の座る習慣が、関節に影響を与えて背が伸びる事への障害になるという分析である。一方韓国は立食文化に変わり、椅子とソファーを多く使って関節に負担が掛からないからである。
ソース:朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&mid=etc&oid=023&aid=0000294929