劇団民藝の創立メンバーで、映画「大誘拐 Rainbow Kids」「阿弥陀堂だより」で日本アカデミー主演女優賞、同助演賞を史上最高齢で受賞するなど、映画に舞台に活躍した女優・北林谷栄(きたばやし・たにえ、本名安藤令子=あんどう・れいこ)さんが4月27日午後8時40分、肺炎のため東京・世田谷区内の病院で亡くなっていたことが6日、明らかになった。98歳だった。葬儀は近親者のみで同29日に営まれており、後日お別れの会を開く。
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関係者によると北林さんは4月17日ごろに容体が急変し、入院。家族にみとられ息を引き取った。03年4月に出演した、自らの人生を語る舞台「蓮以子(れいこ)93になった」が最後の仕事となった。
明治44年生まれ。戦前、戦後を生き抜いた北林さんは1950年に故宇野重吉さんらとともに劇団民藝を設立。宇野さんの息子で俳優・寺尾聰(62)を生まれたときから“息子”のようにかわいがってきた。寺尾は関係者からの連絡で北林さんの死を知ったがショックを隠せず、コメントを発表することはなかった。
2人が初共演した映画「阿弥陀堂だより」(02年)で北林さんは「聰ちゃんが出るなら」と出演を快諾。撮了後には感極まり、寺尾に寄り添い、涙を流したほど絆は強かった。自分にも他人にも厳しく、近年では寺尾に対し「テレビでも映画でも、最近はチンピラ俳優が多いね」と嘆くこともあったという。
同作が映画初出演だった女優の小西真奈美(31)は、最初の撮影が北林さんと2人だけのシーンだった。小西は「撮影後に『お芝居は練習じゃなくて気持ちだから。それを大切にしてください』と言っていただいた言葉が忘れられません。ご冥福をお祈りします」と大先輩に感謝した。
日本を代表するおばあちゃん女優だった北林さん。おだやかな語りとは裏腹に、豪快な人柄で親しまれた。たばこがトレードマークで日に40‐50本も吸うチェーンスモーカー。揚げ物もへっちゃらで、若い共演者と同じようにペロリと平らげ「好きなものを食べ、たばこも吸う。ガマンが一番いけない」と豪快に笑っていたという。
89年、ドラマ「オレゴンから愛」の撮影中に動脈瘤(りゅう)破裂で生死の境をさまよったが、それ以降は大病をしたことはなく、晩年まで現役を貫いた。
「大誘拐」での最優秀主演女優賞に続き、91歳の時、「阿弥陀堂だより」でアカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。ともに最高齢での受賞だった。