元横綱からアメフット入り、タレント、そして実業家へと“転身”を続けた花田さんに、ショッキングな事件が降りかかった。所属事務所の関係者によると、今回の経営破綻について、花田さんは「今は関係のない立場ですが、今回の件は残念です」と話したという。
帝国データバンクによると、破産を申し立てたドリーム社は最盛期の2007年7月期には売上高約16億円を計上。しかし、夏場の来店客減少などから低迷が続き、コラーゲン料理専門店へ改装するなどしたが、経営の立て直しには至らなかった。負債総額は約4億4700万円とみられる。
09年にはフランチャイズ店舗の元従業員6人から、未払い賃金(残業代)支払いを求める訴訟を起こされるなどした。
ホームページによると東京・港区の六本木本店など首都圏6店舗、関西、中国、九州に各2店舗、北陸と中部に各1店舗、韓国ソウルに1店舗の計15店舗を展開。おしゃれな雰囲気で、手ごろな価格で料理を楽しめ、メニューなどには花田さんの手形が印刷されていた。店舗は一部を除き、フランチャイズ契約していた別法人によって営業継続される見通し。
花田さんは00年12月に日本相撲協会を退職後、02年7月にドリーム社を設立し、同社会長に就任した。翌年3月、六本木に「若」1号店をオープン。座敷のイメージが強かったちゃんこ料理店を、イスとテーブルのスタイルにするようアイデアを出したという。
最盛期には、国内28店舗、韓国1店舗の計29店を展開。焼き肉「66亭」やうどんダイニング「若うどん」など別業態の店舗も経営するなど事業を拡大していたが、花田さんは08年11月に同社の代表取締役会長を退任。以降はプロデュースのみ担当で、今は経営には関与していなかった。
だが、花田さんにとってはショックな出来事。実業家としての歩みは、相撲引退後の人生とオーバーラップするからだ。
相撲界引退後、01年にはNFL挑戦を目指しアメフットの日本社会人Xリーグ「オンワードスカイラークス」に入団。NFL入りは叶わなかったが、タレントとしても活動した。一方で、05年には弟・貴乃花親方との確執や父・二子山親方(元大関貴ノ花)の死去と遺産相続問題、07年には美恵子さんとの離婚問題、08年には自身が出演する関西ローカルのテレビ番組で再婚発表と、“波乱の人生”が続いていた。