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2010-04-27 目的志向の拒絶

意図や目的より手続きを重視するということ


以下は

http://h.hatena.ne.jp/manysided/9236557630630465306

への反論。

ハイクで応答しようと当初は思ったけれど、長くなったし大事な論点も含むのでエントリという形にしますにゃー。


応答します>id:manysided


前回のエントリでも書きましたが、宗教権力というものは「善」を他者に求めるものだといえるでしょう。それに対して、他者危害行為を禁じるのが自由主義における世俗的な権力です。他者に対して善を求めることと悪を禁じることには大きな違いがあります*1

なぜなら、善というものは人によってさまざまな形をとるものだからです。それに対して、危害というものはある程度客観的に定めることができます。


はてこ氏の議論は、「良心」を他者に求めるものでした。

これは基本的に宗教のロジックです。自らの信ずる「善」「良心」を他者に求める論法に対しては、「僕にはそんな良心はない」とつっぱねるというだけのことです。

僕は自らの良心にしたがって行動したいと願っていますが、他者に良心を押しつけられるいわれはありません。良心を求める論法も、実際の良心の押しつけも断固拒否します*2。他者の良心も信仰も尊重するからこそ、良心のおしつけは御免こうむります。これのどこが信仰への嘲笑や差別にあたるのですか?*3


つまり

はてこ氏に対して特定宗教の関与を疑っているのではなく、その論法が現実に宗教的なものであるといっているわけですね。

「だいたい真偽のほどもわからないうちに、決め付けるとか失礼千万すぎる。」という僕に対するあなたの批判は、根拠のないモノだということです。真偽の程もわからないうちに決めつけているのはどちらでしょうか? そもそも僕はキリスト教そのものに対して否定的なことをいった憶えはありませんし。



私は、はてこさんが性暴力をどうにかしようと思ってるのは事実だと感じたから



僕もそう思いますよ。

しかし

意図や目的が手段ややり方を正当化するという考え方は明白に間違っています。すこし風呂敷を広げた話になりますが、意図や目的が手段を正当化するという発想が、宗教権力や全体主義権力による弾圧や虐殺などを生んできました*4

こうした歴史的な悲劇に対する反省から、意図や目的ではなく「手続き」を重視する考え方が自由主義においては採用されています。自由主義においては、正義とは意図や目的によるものではなく、手続きにあるものだといえるでしょう。

そして、「表現の自由」とはそうした手続きのなかでも、もっとも決定的なものだといえましょう。


つまり、表現の自由をはじめとする「手続き」とは、なるべく人が死なない世の中、なるべく人が抑圧されたり差別されたりしない世の中にするために、どうしても欠かすことのできないものなのです。善なる意図や目的のために手続きを軽視することを僕たちひとりひとりが認めてしまうことは、権力に無制限な殺人許可証を発行することと同じなのです。


どのような政治体制においても議論は重要ですが、自由民主主義においては議論の重要性はとりわけ高いものであるといえます。そして、議論というものもやはり手続きが問題なのです。

よい議論とはよい意図や善なる目的によってなされる議論のことではありません。論理的整合性・根拠の提示・相互批判の甘受などなどの手続きを踏まえた議論のことです。

そして、はてこ氏の議論は、論理的整合性・根拠の提示・相互批判の甘受のいずれにおいても大きな問題があると判断しています。したがって僕ははてこ氏の議論を支持できません。それどころか、「はてこさんが性暴力をどうにかしようと思ってるのは事実」であるのなら、いっそう批判的に見なければならないと考えます。

というのも、僕も「性暴力をどうにかしようと思ってる」からです。目的が同じであるからこそ、手続きが杜撰な議論を放置するわけにはいかないのです。少なくとも、批判の声をあげておかなくてはならない。


いろいろな考え方が多様であってほしい、他者の権利を侵害しないかぎりにおいて自由に生きたいと考えるからこそ、個々の思想・信条に肩入れしない「手続き」を重視しているということはご了解ください。


いちおう、あらためて僕の立ち位置を表明しておきますと、表現の自由とはもっとも重要で決定的な「手続き」であると考えていますが、無制限に肯定されるなどとはまったく考えていません。表現には最初から他者が必要であること、あるいは社会にはつねに「保護されるべき弱者(たとえば子供)」がいることを考えればこれは当然のことです。

表現の自由は最初からひもつきです。ただし、公権力がひもをつけることには最大限の警戒が必要だということです。

*1:くわしくはリベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊びあたりを参照のこと

*2:普遍的客観的に良心というものはどういうものかを示す議論については、その説得力に応じて従いはします

*3:いっとくけど馬鹿や卑劣漢を僕は差別してるよ

*4:意図や目的の過大視は陰謀論の温床でもあり、また、疑似科学の温床でもある。ひとことでいえば呪術的なのだ

mimipannmimipann 2010/04/27 07:35 はてこさんて、「良心」という言葉で具体的な価値観や徳目を示してましたっけ?あれは単にあなた自身の価値感や判断という程度の意味であって、地下猫さんが危惧してらっしゃる様な押し付けには当たらんのではないかと思うのですが、どうでしょう?

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/27 08:52 コールへの返答拝見しました。
あの後は放置していましたが、manysidedさんとのやり取りが続いていたのですね。
彼女のハイクを見たら、どうも地下猫さんのことを誤解しているようだったので、彼は宗教そのものは否定していない、むしろ「はてこ」さんの論法に「超越的倫理」のようなものを感じているのだろうといったことを、コメントで伝えておきました。

一般論としていうならば、この記事に書かれていることについて反対しません。
しかし、その論理が今回の件に当てはまるのでしょうか。
その点については、上のmimipanさんと同意見です。

確かに、私も彼女の語りには「危うさ」を感じます。大野さんが言っていた「話法」というのはそういうことなのでしょう。「はてこ」さんの例の記事の最初のブコメでは、「信者」を集める危険性、と書きました。そのことは、本人にも直接伝えています。

地下猫さんは、その点を意図的な「煽り」と判断しているようですが、私は彼女の語りと文章のうまさのために意図せずにはらむものであり、それが期せずしてネットで増幅されているものだと判断しています。

なお、今回、私は「はてこ」さんよりに立っていますが、それはなにも彼女の主張のすべてを理解し支持しているというわけではありません。正直言って、「被害者」はいるか、いないか、というような話は、なにが言いたいのか、よく分からないところがあります。ただ、彼女に対する批判の中には、いささか公正さを欠いたものや、性急にすぎるものが多いのでは、というのが、現在彼女を擁護している一番の理由です。

ところで、「良心」というものも、素朴な意味で言うなら、人間の心の中に作られている装置なのではないでしょうか。前のエントリの言葉で言えば、原初的な「悪」と、それに対抗する「善」とを分別する装置、それがつまりはもっとも素朴な意味での「良心」ということになるでしょう。

たとえば、どこかの軍隊による虐殺を伝える報道とかは、やっぱり人間の良心に訴えかけるものですよね。むろん、そのうえで、そういった報道が真実かどうかとかを確かめる必要はあるでしょうが。彼女がしばしば使う「良心」という言葉にも、私はそれ以上のものは感じません。たしかに、それが具体的な法規制などの論議の場に持ち出されるならば、おおいに問題ありですが。

ぶっちぶっち 2010/04/27 09:04 地下猫

>それはね、チミ、端的にいってゲスだよ。知らなかったじゃすまないぜ。

ここ↑までいって、ひとをゲス呼ばわりして、逃げてんじゃねーよ。
知らなかったじゃすまんぜよ。

manysidedmanysided 2010/04/27 13:00 こんにちは。まずは応答ありがとうございます。


いろいろ疑問があるのですが、
 

はてこ氏の議論は、「良心」を他者に求めるものでした。

これは基本的に宗教のロジックです。自らの信ずる「善」「良心」を他者に求める論法に対しては、「僕にはそんな良心はない」とつっぱねるというだけのことです。

 
これは、どうしてそう思ったのでしょう。
特に具体的などういう神や良心というのは書いていなかったので、単なる「良心」だと思いましたけれど。
id::PledgeCrewさんと同じように私はとらえています。

なぜそこで地下猫さんだけではなく、過剰警戒する人が続出するのかがよくわかりませんでした。
  


自らの良心にしたがって行動したいと願っていますが、他者に良心を押しつけられるいわれはありません


それは皆おなじだと思いますけど。はてこさんも。
他者に求めるというのはどういうふうにとらえたのでしょう。


どの表現活動も、言論活動も、例えば私のしていることも、大きく捉えれば、他人の心にうったえかけて、働きかけるものだと思いますけど。それが「良心」という言葉を使うかどうかは別として。
なぜ彼女にだけ過剰警戒するのかが理解できません。性暴力に関する姿勢が同じであれば特に。
 
そして性暴力を何とかしようと思ってるのは地下猫さんも同じだというのも理解していますし、多少あれっと思う言動があっても、
もうそういうのには慣れっこなので別にいいです。
根幹が共通しているから感謝というと変ですけど協力できるところはおたがいできればいいなと思っています。

なのになぜ、彼女に対してだけ異常に(と私には見えました、地下猫さんだけじゃないですけどね)
中傷と思われてもコメントをつけているのがよくわからなかったです。
別に布教しているわけではないのに。
その前段階だと思って過剰反応しているのかな、だとしたらこの過剰警戒振りは理解できるけど、
それにしても何もわからないうちから、ちょっとひどいなと思ったわけです。


彼女はハイクでこう書いていますよ。
***********
<良心> 物事の善悪を区別し、悪を避け、善をなそうとする心
 
これの何が気に入らなくて怒っているんだ。 
***********

manysidedmanysided 2010/04/27 13:29 また、議論の手続きが必要と仰っていますが、
誰でも、地下猫さんのような議論ができるわけではないです。
そして地下猫さんの言っていることが全て正確に読み取れるわけではないです。
 
頭のいい人たちは違いますね、で遠巻きに見て、違和感を言葉にできない人もたくさんいますよ。
 
そして、私のように、「信者」の多い地下猫さんに、ストレートにものを言う勇気というと大げさですが、そういう人だけじゃないです。

 

はてこ氏の議論は、論理的整合性・根拠の提示・相互批判の甘受のいずれにおいても大きな問題があると判断しています。したがって僕ははてこ氏の議論を支持できません


支持しなくても別にいいと思いますが、別の伝え方があるのではないですか?
ある問題に関して、思っていることをいろいろな形で伝えていくことも、とてもいいことだと私は思います。

難しい、難解だという声は多いですし、
私のように、PTSDがひどく、本も読めない時期の人にはもっとでしょう。
(ハタチすぎればただの人とはよく言いますが、被害に遭う前の私を知っている人がびっくりするくらい何もできなかったときがあります、簡単な資格の勉強さえできないとか)
 
なじみのない言葉を一生懸命理解するというのも、またつらいことでもあります。
そういう意味でも、私は、はてこさんを歓迎していますし、
はてこさんに刺激されて、自分も書き始めたという人もいるかもしれないです(明言は避けます)し、他にも今後出てくる可能性があります。
書いてほしいと思うのは、いろんな意見があっていいし、なにより、自分の思っていることを言葉にして、表現していくことで、それがなによりの回復の手段にもなるからです。  
それは私が身を持って感じています。
 
私は、なぜかはてなから人が殺到したときに、なんで、ブログなのに、学会並みの論文を求められるのだろうと負担に感じました。
そして私のように口達者で含みがなくてストレートにものをいえて、開き直れる人ばかりじゃないです。
どうやら私はうたれづよいようですし。
 
ちょっと、はてなの、論文発表の学会の場のような雰囲気はなじめないなあと私は思いますし、
そういうのをおそれてひっそり書いている人も実はいます。
できればそういうことも考えてほしいと思いました。
 
また何度も言っていますが、性暴力被害者と名乗ると、「叩きやすい」と思う人が多いらしく、
(被害者だから弱いという偏見も、家父長制によるものだと思いますけどね、実際には誰でも被害に遭うわけですし、医者や弁護士も多いです、言わないだけで)
ブコメもトラバも、罵倒多いものが殺到します。公開されているものはほんの一部です。
はてこさんは旦那さんに下読みしてもらっているくらいです。
http://h.hatena.ne.jp/kutabirehateko/9236557535755022900


ひどい悪意にさらされると、防衛的になりやすいです。少なくとも私はそうでした。
物理的時間の制約もありますが、なにより精神的に疲れて、悪意をあきらかに感じるものにたいしてはもちろん、
あいまいな言い方や遠まわしな言い方には丁寧に対応なんてできないです。
どういう人なのか全ての相手の過去記事全部を読む余裕なんてないので、こちらも曖昧にこたえて反応を見ることも私もしました。
対象が一人二人じゃないときには、エントリという形でこたえることもありますよ。
私も含みを持たせたり皮肉ったりするのが苦手なので、それをストレートにすると、逆にさらなる誤解を招いたりします。
それに近いものを今回感じました。
これはほぼ同じような立場としての経験なので、知ってもらえれば幸いです。
 

自分の思うような議論の方法が誰でもできるわけではないですし、
まずなにより、相手がどういう状況にあるか、の負担を 考えてほしいと思います。
そのつもりはなくても、あまり高いレベルを求めると、いろいろな意見が出てこなくなって偏りがうまれるんじゃないかなあと私は思います。

例えばですが、地下猫さんはそれが目的だ、とか邪推されたら嫌じゃないですか?
さらには、どうしてかというと、表向きは違うが、実は性犯罪を肯定したいのだ、となると嫌じゃないですか?
さらには、もしかしたら性犯罪者かもしれない、なんて思われていたとしたら。(私はそう思ってないです、念のため)

長々と申し訳ないです。

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/27 16:26 地下猫さん
本来ならお返事をお待ちしておくべきですが、私は今から寝るので、もうひとつ論点を出しておきます。以下は、あなたとわたしのブコメでのやりとりです。


tikani_nemuru_M: 本エントリでの「破壊的な行為、明らかに邪悪な行為」とは文脈上ポルノのことだな。要するに、良心に従い勇気を持ってポルノを否定しましょう、というのがこのエントリの趣旨ですね。そういう「良心」はいらない。

PledgeCrew: akira-2008 DVや虐待、性暴力とかの被害者で「自己肯定感」の欠如に悩む人とかも多いのでは。そういう人らがこの文の対象でしょう。本人はハイクで「親子関係こじれてる人たち」と書いてる。tikani_nemuru_M それは邪推

tikani_nemuru_M: PledgeCrew  [性暴力からの具体的な自衛手段]タグをつけているのは本人ですよ。「良心」も前のエントリの文脈をひきずっているのは事実。当初は好意的に読んでいましたが、はてこ氏の不誠実にはあきれはてました。


このやりとりからすると、あなたの最初のコメントでの断定の根拠は、「タグ」と「良心」という言葉の連続性という二点ですね。

しかし、タグは内容上、一定の関連性のある記事をまとめるためのものにすぎません。「性暴力」といっても強姦だけとは限りません。カップルの中でも、あるいは親子とかでも、「性」に関連して振るわれるなら、それは「性暴力」です。しかも、本人はその宛先について、ハイクで「親子関係こじれてる人たち」と書いています。

そもそも、なぜ「性暴力」に関する「破壊的な行為、明らかに邪悪な行為」というだけで、あなたが言うように、「良心に従い勇気を持ってポルノを否定しましょう」と断定できるのでしょうか。私には、それがまったく理解できません。「性暴力」に関する「破壊的な行為、明らかに邪悪な行為」とは、ポルノ消費だけなのでしょうか。「はてこ」さんは、「性暴力」の原因はポルノだけだ、というようなことを一度でも言ったでしょうか。

世の中には、「破壊的な行為」や「邪悪な行為」などはいくらでもあります。あの文章での関連でいうなら、「おれがお前を殴るのは、お前の将来のためなんだ!」というような暴力親父や、「おれがこの子を殴るのは、お前のしつけがなってないからだ!」というような暴力亭主の行為だって、「破壊的な行為」であり「邪悪な行為」になるでしょう。それなのに、なぜあなたは「ポルノ否定」ということに直結されるのでしょうか。

私が「それは邪推」と言ったのはそういう意味です。また、なんの問題であれ、「良心」は「良心」です。人間は、あの問題用、この問題用というように、いくつも「良心」を持っているわけではありません。なので、前の記事からの連続性ということだけで、この記事での「良心」という言葉を、それまでの記事でのポルノ問題と結びつけるのも強引にすぎるように思います。

なお、批判の余地のない完全無欠な論などは、どこにも存在しないのですから、具体的な論拠をあげた、具体的な批判ならば、その内容の当否にかかわらず、「手続き」としては正当だといえます。そのような批判であるならば、私は「不当」だとは思いません。

ohnosakikoohnosakiko 2010/04/27 16:43 >mimipanさん
はてこさんの「良心」発言について。
最近では「内心の自由」に関するこのコメントでしたが、
http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape#c1271862594
>保証すると言うことは、何かあったときは責任を取るということね。
>社会は人の内心を保証することも、断罪することもできないわ。
>それは各人の良心の問題だからよ。

ここで「価値観」という言葉を使わず態々「良心」と言っているのは、陵辱ポルノを楽しむことは良いことなの?という問いが元々彼女にあるからだと思います。
以前には記事内でも「良心」という言葉を使っています。
http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100212/masuda
>それをゲテモノだと思っていらっしゃること自体、あなたにまっとうな良心が宿っている証拠だとはてこは思いますよ。

これは普通に言うところの「良心」という意味そのものだと思います。先のコメントの方も同じ意味で使っていると考えるのが自然でしょう。「押しつけ」という圧力ではなく、むしろ「先取り」感がありますね。

>PledgeCrewさん
別に「信者」を集めてもいいんじゃないかと思います。それも才能の一つでしょう。私が「話法」と言っていたのはそういう話の巧みさとは少し違います。
自記事に言及されたので精読しましたが、ある記事に対して疑問や批判があると、次の記事で微妙に話の重心を変えてきて批判を無力化しようとするところがある、という印象を受けています。コメ欄では批判ではないと言っておきながら、結局批判なのかと思わせるような記事を挙げたり。確かめてもはぐらかすような感じでした。そういう「話法」にいささか不信感を覚えています。

koigokorokoigokoro 2010/04/28 00:36 「ブログ・ブコメ・はてなでの書き込みはスべからず議論の場である!」というような前提があるような気がしてしまうのですが、そうではないですよね?
議論のルールに則っていないのなら「これは議論ではない」と言えばよいのでは。
「はてこ氏の議論は」と、さも初めからはてこさんが議論の場に上がっているかのように書かれているところに違和感を感じました。

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/28 00:43 大野さん

「話法」についての説明は了解しました。
mimipanさんへのレスについてですが、価値観といってもいろいろありますよね。
美・醜という価値についての美的価値観とか、敵・味方を判断する政治的価値観とか。
ですから、「良心」というのは、善・悪という価値を判断する倫理的価値観が納められた精神内の領域ということになります。
なので、mimipanさんが言っている価値観も、あなたが言う「普通に言うところの『良心』」も、同じことだと思います。
問題は、いわば一般名詞としての価値観なり良心なのか、個別具体的な内容を含んだところの特殊な価値観=良心なのか、ということでしょう。

なお、私が「信者」を集める危険性と書いたのは、彼女のメッセージの中心が「自分で考えて!」「他人を当てにしないで!」ということであるにもかかわらず、その語りの魅力ゆえに、かえってその意に反して、彼女への依存を高める者がでやしないか、ということです。

それから大野さんに説明する必要はないでしょうが、この「信者」という言葉は、特定の個人に対する盲目的崇拝者、というぐらいの意味であり、一般的にも個別的にも宗教やその信仰者を揶揄する意図で使ったものではありません。

なお、あなたにはもちろん「はてこ」さんに言及する権利はあります。
それについて、どうこういうつもりはありません。

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/28 01:18 おっと、最後はちょっとおかしいですね。訂正します。
言及する権利も批判する権利も、それ自体は誰にでもあります。
そんなこと、私がどうこう言う筋合いのものでもないし。
私が「不当」だと感じている批判のなかには、大野さんの「論」自体は含まれていないということです。

y_arimy_arim 2010/04/28 02:40 koigokoro氏と同様、果たしてはてこ氏は「議論」をしているのだろうか、という疑問はある。彼女の記事の多くに「エッセイのようなもの」というタグがついている。実はそう読むべきなのではないか。
はてなではとかく「議論」として俎上に乗せられがちだ、とはぼくも思う。

manysidedmanysided 2010/04/28 08:03 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100320/1269095203
でまとめられてますが、

大野さんに、「話法」を問うているのです、と私も言われましたが、そのとき正直、は?と思いました。
踏み入られたくないところに無理やり踏み入られたり、 
引きずり出そうとされたり、
こちらがとてもきつい思いをしているのに、その徴候が全く見えていないようだし(見える人には見えますよ)、
それでもなお追及するのが不思議です。

ご自分の思うところの「話法」を同じように誰でもするわけではありません。
 
私の「話法」は、いいすぎたかな逆鱗だったかなと思ったら、まず謝ることからです。
相手を傷つけることを厭わない、そんなこと思いもしないだろうなというような相手には、自分を守ることをまず考えます。
 
私にはフロイトの話は逆鱗です、と言えばよかったのかもしれませんが、逆鱗という言葉は思いつかなかったけれど
婉曲的に伝えたつもりだったので、それでもなおフロイトフロイト言われて辟易しました。
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20100323/1269323130でも書きましたが。

manysidedmanysided 2010/04/28 08:07 上に書いたのは大野さんに向けてですが、
以下は皆様へ読んでほしいこと。

こちらはかなり身を削って書いているということへの認識が大前提として抜けていることを考えない人が多いです。
心に刺さってる見えないナイフをぐりぐり動かしてえぐっているようなものです。
そこを考えた上で、コメントやトラバしてくる人とそうでない人は、こちらもすぐわかります。

レイプレイプという文字がたくさん並んでいるだけで、読むのもしんどいし、この人の考えるところのレイプ・レイプファンタジーは何なのかと読み取るのもかなりきついことです。はてこさんもそうかもしれませんよ。
あくまでも私の場合はですけど逃げるか適当にかわしますよ。どれだけ努力しても、たぶんわからないだろうと思えばよけいに。
だってそういう経験をたくさんしていますから。

それに、どこかでフランチェス子さんも仰っていましたけど、
私は、自分の書いたことをきっかけに皆に考えてほしいとは思うけれど、
皆に嫌われバッシングされても、少しでも励まされる被害者の方がいればそれでいいと思っています。
多分はてこさんにもそういう面もあると思います。

でも、そういうのを明らかにすると、必ず第三者やその他大勢からも、自分の意見に合う人とだけ交流してる、都合の悪いのは消してる、相手にしない、とぎゃーぎゃー言う人がたくさん出るのです。
自分の問題をぶつけてるだけの人なんて相手にしたくないです。
誤読されてるのを補足説明で書くと、わざとだ、最初から書けばいいとか言われたりでうんざりします。何をしてもそういう感じです。

そういう意味で、はてなは勝手に議論し、勝手に論文扱いされ、不備のないものを求められると言っています。
特に表現物の問題に関しては特に。
そして自分はブログ書かない人は特にそうです。

manysidedmanysided 2010/04/28 08:12 連投申し訳ないです。
 
大野さんのエントリ読んでわかったのは、「暴力」の概念がそもそも違うということです。
そういう意味では感謝しています。いやみじゃないですよ、言っておきますけど。

また、地下猫さんの前のエントリ読んで、「支配」の概念というか、感度が違うとも思いました。
 
お二人に限ったことじゃないですし、概念が違うのが悪いということを言っているのではありません。

mimipannmimipann 2010/04/28 08:46 >ohnosakiko
大野さんがコメント欄で引用してらっしゃる文章と今回の文章は分けて考えた方がいいのではないか、という印象をいだいています。いや、先に引用されている「各人の良心」と後で引用されている「まっとうな良心」も違うと思うのですがそれは置いといて…
文脈が違うというか、区別されて使われているというか、そんな印象です。ただ、私自身なんだか自信がなく大野さんの仰る通りなのかもとも思っています。少し考えたいと思います。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2010/04/28 10:50 コメ欄に応答したいのですが、どっから手をつけていいのかようわからん状況です。
どこまでつっこんで応答するかも含めて少し考えるのでしばしお待ちを>みなさま

ohnosakikoohnosakiko 2010/04/28 10:51 >PledgeCrewさん
「価値観」は「個々の価値観を尊重」「価値観の多様化」のように、それ自体に価値判断を含まないで用いることが多いですが、「良心」、それも他者の「良心」について言う場合、そこでは話者の「良心」と共通する部分が暗に措定されていると見るのが普通だと思います。
はてこさんの文脈は、「陵辱エロゲやレイプポルノなど、ゲテモノを愛好することに良心の呵責を感じませんか?」というものでした。これは「個別具体的な内容を含」みながら、尚かつそれを「一般」化する言い方であると思います。

書き手と受け手は、ある意味で転移関係にありますので、ある程度の依存は仕方ないと思います。依存度は転移された(させた)側がコントロールしていくものでしょう。はてこさんはその意味でも意識的な書き手だと私は思っています。


>manysidedさん
私がmanysidedさんだったら、相手が何を言おうとそういう場合ブコメを返すのを打ち切ります。レスがないのに重ねる人は滅多にいないでしょう。批判されればこちらは何故?と問いたくなるものです。

>レイプレイプという文字がたくさん並んでいるだけで、読むのもしんどいし、この人の考えるところのレイプ・レイプファンタジーは何なのかと読み取るのもかなりきついことです。はてこさんもそうかもしれませんよ。

でも「この人は読み取りがきついんだろうから、言及されて疑問をもっても黙って受け入れよう」というのは却って失礼ですよね。私の観測範囲内では、はてこさんほどレイプものや陵辱エロゲなどのポルノについて、勢力的に書いている人を知りません。それらの問題について認識してほしいという記事を書き続けることが、彼女にとってある種のよりどころなのだろうかとも思っていました。


>mimipannさん(さっきはnを一つ忘れてました。失礼)
そうですね、今回の文章の中の「良心」はまた違うものなのかもしれません。
ただ、「良心」という言葉を使って批判が出たすぐ後で、同じ言葉を今度は違う文脈、誰も反対のできないような文脈で(説明なしに)使っていると、元の批判を無力化させたいのだろうかと思えてくるのも事実です。私は個々の記事がというより、一連の繋がりとしてそういう形で話の重心をずらしているように見えることに違和感がありました。


>y_arimさん
「エッセイのようなもの」というタグをつけておけば、全部独り言になるのですか? 『被害者はいないという大きな男の人たちへ』と宛名が書かれたものも、何度も「あなたは」と繰り返された記事も? 
「そう読むべき」と言われますが、他のブログと同じように公開されている以上、読み方を限定することは難しいのではないでしょうか。

nsoderlandnsoderland 2010/04/28 11:28 目的、意図から発する手続きには いろんな行動がある。その手続きは目的、意図に相反することが良くある。例えば日米関係は大事にしたいとの意図、よってアメリカ軍は日本に駐屯していただきたいとなる。そこで目的を見極めるための討論するか、しないかが大事。

manysidedmanysided 2010/04/28 12:39 大野さん。
>レスがないのに重ねる人は滅多にいないでしょう
 
いえ、性暴力被害者と名乗ると、そうもいかないのです。現にたくさんいますよ、粘着してくる人が。
無視するのはとっくにやっています。はてなだけでも、思いつくだけで何人もいます。
 
きついんだろうなと想像して、パターナリスティックに対応してほしいというのは望んでいません。
ただその可能性もあるということはできれば考えてほしいです。
よりどころなんだろうと思っていました、とありますが、それは大野さんが思っていたことであり、事実はそうではないかもしれません。
 
どんな人とも、やりとりする中で、ふみこみすぎていないか、というバランスを確認することは大切だと私は思っています。
そのバランスの問題です。
それはまた感度の違い、感覚の違いと言えばそこまでですが、

あくまでも私の場合はですが、


批判されればこちらは何故?と問いたくなるものです

 
言ってもわからないのではないか、と、判断することもあるということです。
お互いに泥合戦になり、それこそあなたの感覚はどうのこうのという話に発展しかねないです。
そして、どうでもいいと切り捨てられる相手ならともかく、そこまでは思えないのなら特に、慎重に対応します。
 
そして、相手をどう捉えるかというのも、個人の感覚なのですから、あわないなと思っても、それを変えるよう強制したくないです。
支配されるのが嫌なので、自分も支配したくないです。

そういうとき、どうしたらいいのか。とりあえず距離を置くことを私の場合はします。
参考になるかどうかわかりませんが。

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/28 14:52 >地下猫さん
了解しました。


>大野さん

>そこでは話者の「良心」と共通する部分が暗に措定されていると見るのが普通だと思います。

それは、ある意味当然のことだと思います。
厳密に言うなら、たしかに「良心」というものは一人ひとり違うでしょう。
そもそも、誰かの「良心」を、私の「良心」が代行することはできません。

しかし、「良心」というものが善・悪の判断基準を内包した装置であるとすれば、「良心」が一人ひとりのものであり、その判断は一人ひとりが責任を持って行わなければならないとしても、そこに一定の共通性が前提されるのは、当然のことでしょう。

たとえ「良心」が一人ひとり違い、善・悪の基準が完全には一致しないとしても、だから、共通する部分が全然ないということは意味しませんよね。それは、言葉というものの性質からしても当然です。「良心」と言う言葉を、上のように具体的な価値観を含まないように形式的に定義したとしても、内容としても最低限の共通性を含まなければ、そもそも言葉としての一般性が成立しません。

それどころか、善・悪の基準が個人によって完全には一致しないということが、個々人の善・悪の基準がまったく違うということを意味するとすれば、それは善・悪の概念そのものまでがまったく一致しないことを意味するわけで、だとすると世の中はどえらいことになります。それこそ、社会そのものが崩壊してしまいます。

むろん、「良心」に問う、という話法は、ときに抑圧的に機能します。とりわけ、信仰を共通にする閉じた集団の中で、権威者から彼に服従する者に対して、そういった語りがなされれば、事実上、それは私の「良心」をお前の「良心」とせよ、ということを意味するでしょう。しかし、「良心」という言葉を使うことは、はたしてつねにそこまでの意味をもち、あるいははらむものなのでしょうか。そういった意図が隠されていると、判断すべきなのでしょうか。

むしろ、「内心の自由」は他人によって保証されるものではない、自分で責任を持つものだ、というような、別の文での言い方からすれば、「良心」に問う、という話法を用いながらも、自分の「良心」の具体的な内容を、他人におしつけることは周到に避けているようにも思えます。

私は、彼女の中心的な一番のメッセージは、「自分で考えて!」「自分で判断して!」「他人に依存しないで!」というものだと読み取っていますが、あなたはそうは判断されませんか。はぐらかすような口調や謎めいた口調も、言葉の厳密な定義を避けることも、自分個人の具体的な考えを押し付けることは、極力避けているからだというようには、考えられないでしょうか(これはかなり好意的な解釈ですが)。

まず真っ先に考えておかなければならないのは、彼女がそもそもどういう人らを自分の読者として想定しているか、ということではないでしょうか。むろん、ネットに公開されている以上、誰にでも読めるわけですが、とりあえず、そのことは頭の中に置いておくべきだと思います。特に読者を想定していない客観的な分析を主眼にした文と、特定の種類の読者を想定した文とでは、読み方も異なるものだと思います。

なお、私もy_arimさんと同じように、彼女は「議論」は意図していないと思います。しかしながら、ネットに公開している以上、むろん「独り言」にはなりません。それに対して、他人が意見を言うのは自由です。ただ、「議論」を意図していない人には、「議論」は強要できないというだけのことです(当たり前のことですが)。「議論」に応じないことをもって、「不誠実」とは断定できないでしょう。人のリソースは有限であり、優先順位はひとそれぞれですから。


地下猫さん

客観的な「論」であろうと、メッセージであろうと、その評価は善なる意図や目的ではなく、内容そのものによって行われねばならないのは当然です。世の中、善から善が生まれるとは限りません。「地獄への道はなんとやら」という言葉もありますからね。

しかし、なんらかの具体的な合意形成を目的としているとか、掲示板のように個々人が自分の意思で参加している場ならともかく、そうでもない場合にまで、あなたの言う「適正手続き」を求めるのは、やや広げすぎのように思います。言論の評価は、その善なる意図や目的ではなく、内容によって行われるべき、というので十分ではないでしょうか。

政治過程や公的な過程、共同的な場での意思形成には、むろん「適正手続き」が欠かせません。世の中、善から善が生じるとは限らないわけで、結果が裏目に出た場合に、それをみなで負担するというためにも、形成された意思の正当性を担保するものとして「適正手続き」というものは必要です。まあ、本来は公権力行使の正当性を担保するための概念ですが。

長文としつこい連投、すみません。

the_end-of_the-worldthe_end-of_the-world 2010/04/28 15:49  ちょっと失礼します。

 トラックバックしたエントリに重要な追記を致しましたので
お手数ですが一度参照された方は今一度読み直して下されば幸いです。

ohnosakikoohnosakiko 2010/04/28 19:42 >manysidedさん
>そして、どうでもいいと切り捨てられる相手ならともかく、そこまでは思えないのなら特に、慎重に対応します。

そうだったのですか。ブコメで「どうでもいい」「おかしなことを山ほど書いている」と言われ、ハイクで私の名前を出さずに悪口を書いている人のところにスターを幾つもつけてらしたので、切り捨てられているのだと思っていました。


>PledgeCrewさん
>私は、彼女の中心的な一番のメッセージは、「自分で考えて!」「自分で判断して!」「他人に依存しないで!」というものだと読み取っていますが、あなたはそうは判断されませんか。

それは見かけ上の「中心的メッセージ」では。そんなことをメインにしても意味がないでしょう。彼女が一貫して問うている主題は、エロゲや陵辱ポルノ(他者を貶める表現)を楽しむことの非倫理性です。だからインディアンを懲らしめる表現が自主規制されたことについて書いているのです。その程度のことはPledgeCrewさんはご存知だと思っていましたが。
インディアンを懲らしめる表現は差別であるとして自主規制されてきた、ポルノでもそうあるべきじゃないですか?ということを言った上で、「それを楽しむかどうかは貴方の良心の問題です」と引導を渡しているのです。だから私は前の記事http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100423/1271987741で「外堀はほぼ埋められている」と書いたのですが、通じませんでしたか。

>「議論」に応じないことをもって、「不誠実」とは断定できないでしょう。人のリソースは有限であり、優先順位はひとそれぞれですから。

「議論」に応じないから「不誠実」とは言っていません。私は応じて頂きましたから。ただ質問(font_daさんのような真摯な内省の発話もダメなのですか?)に対する答えは頂いていませんし、その後は重心をずらしながら批判を避けているように思っているということです。

PledgeCrewPledgeCrew 2010/04/28 21:13 >大野さん

「自分で考えて!」「自分で判断して!」「他人に依存しないで!」

これは、たしかに当たり前のことです。しかし、当たり前のことにすぎないから、意味のない「見かけ上」のメッセージにすぎないと判断するのは、例のMidas氏が得意にしていた無用なメタ読みのように思います。

たしかに、「エロゲや陵辱ポルノ(他者を貶める表現)を楽しむことの非倫理性」についても、彼女は問うていました。しかし、それはあのブログの記事全体の中では一部にすぎません。むしろ、その他の記事も含め、基調として全体に流れているのは、私が言っているようなことだと思います。

それは確かに当たり前のことであり、普通の言論ならば、言わずもながのただの前提にすぎません。しかし、彼女が一番大切にしているであろう読者(性暴力やDV、家庭内暴力などの被害者や経験者)へのメッセージとしては、必ずしも無意味とはいえないでしょう。勝手な「代弁」になってしまいますが、ブログを書き始めた動機というのも、おそらくはそのあたりにあるのではと思います。

それから、「外堀は埋められている」ということですが、そうでしょうか。大野さんが言うとおり、本人は、なにひとつ断言していません。「被害者」のいるポルノという話はあっても、すべてのポルノが悪だとは言ってませんよね。

「文脈に則って考えていけば」とのことですが、それは一種の外挿法のようなものです。大野さんがしているのは、「文脈に則った読み」というよりも、本人の「隠された意図」なるものを推測したうえでの読みではないでしょうか。そこは、むしろそのように読みたくなるところを抑制すべきように思います。

「あなたは誰かの内心の自由を保証して、その結果に責任が持てる?」という問いかけを、「誰かに好きなだけ陵辱妄想を楽しんでいいと言って、その結果にあなたは責任が持てる?」という問いに変換するのもそうです。

最初の問いが言っているのは、他人の「内心」など、誰も保証できないということにすぎません。そこで言われているのは、保証するとは責任を持つことなのだから、他人ではなく本人が責任を負う以外にないという、これまた当たり前のことにすぎません。

それを「誰かに好きなだけ陵辱妄想を楽しんでいいと言って、その結果にあなたは責任が持てる?」という問いに変換するのも、さらに地下猫さんがしたように、「破壊的な行為、明らかに邪悪な行為」という言葉を、「良心に従い勇気を持ってポルノを否定しましょう」というように読むのも、どちらもあまりに自分の関心と問題意識に引きずられすぎた、恣意的な読みのように私は思います。

ohnosakikoohnosakiko 2010/04/28 22:03 PledgeCrewさん
私は「そんなことをメインにしても意味がない」と書いただけで、そのメッセージに意味がないとは言っていません。
PledgeCrewさんがそれをメインと考えるなら、たぶんそれは彼女の話しかけるような文体によって「見かけ」そう見えるだけで、彼女が伝えたい主たるメッセージは性暴力、性表現に関することだと思います。しかしそこで何かが断言されているわけではありません。だからそれについて「自分で考えて」と言っているのではないですか。主たるメッセージがなくてそれがメインに来るはずがないということを申しています。

性暴力、性表現関係の記事は、「一部」という認識なんでしょうか。記事数にしてみたらそう言えるかもしれませんが、ブクマを集める数においては全体の中でそれらの記事が抜きん出て多く、はてこさんのブログの一定のイメージを形成してきたのではないでしょうか。

すべてのポルノが悪だと彼女が言っていたら、私は「外堀」などという形容はしません。
で、読みについてはおそらくいろいろでしょう。断言はしない書き方、レトリックを駆使した隠喩に満ちた書き方をしているのですから、「この人は何を言おうとしているのだろう」と意図を考えながら読むのは別に不自然でもないと思いますし、私は先に書いたように読まざるを得なかったということであって、それを人に押し付ける気はありません。

えーと、ブログ主を差し置いてあまり書くのも何ですので、私はこのあたりで。

ぶっちぶっち 2010/04/29 12:17 地下猫

>高校無償化をしている諸国では、日本人学校にもとうぜんに公費からの援助がでているはずだにゃ*3。人権規約からいえば当然そうなるよにゃ。世の中はね、持ちつ持たれつなのだにゃ。日本人が海外で公費からの援助を受けているというのに、自分たちはびた一文出したくないって?
>他者が自分たちのためにしてくれていることをシカトして、自分が出す番になったら大騒ぎかい?
>それはね、チミ、端的にいってゲスだよ。知らなかったじゃすまないぜ。

おまえさ、よくもまぁ偉そうにこんな↓ことが書けるな。恥ずかしくね?

>よい議論とは…論理的整合性・根拠の提示・相互批判の甘受などなどの手続きを踏まえた議論のことです。
>そして、はてこ氏の議論は、論理的整合性・根拠の提示・相互批判の甘受のいずれにおいても大きな問題があると判断しています。

とくに、「根拠の提示」に「大きな問題がある」のはおまえもだろうが。

EsisteinLEsisteinL 2010/04/30 21:16 > 性暴力、性表現関係の記事は、「一部」という認識なんでしょうか。記事数にしてみたらそう言えるかもしれませんが、ブクマを集める数においては全体の中でそれらの記事が抜きん出て多く、はてこさんのブログの一定のイメージを形成してきたのではないでしょうか。
これはちょっと、というかかなりおかしくないですか。
ブックマークが集まったのはエントリに良くも悪くも多くの人が興味をもちブックマークをしたからであり、これははてこさん自身の意思とは関係ないでしょう。
なぜそれがエントリのメインメッセージに関わってくるのですか?
地下猫さんはブコメではてこさんの「誠意」に言及し、あなたははてこさんの「話法」を意図的だと言ってらっしゃる。
これはエントリの書き手への論及ではなかったのですか?
あなたが、あなたが持つはてこさんへの個人的イメージについて述べてらっしゃるとしたら、あなたの述べている事柄が中傷にならないようにもっと気をつけるべきでしょう。
あなたが、はてこさんの書き手としての意図、態度を不誠実だとおっしゃるなら、あなた自身の「はてこさんのブログの一定のイメージ」をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。

ラクラク 2010/05/04 21:10 私にとって他者の「良心」に訴えるという手段が怪しく思えるのは、そもそも性暴力を実行しない判断(こっそりゲームで満足等)が良心的であり、犯罪者は良心に打ち勝つことができるから犯罪者になれるからだと思う。
だから、これは健全な良心、これは不健全な良心などと良心の切り分けをしてもキリがない、みたいな。
流れを知らないのでこんなことしか頭に浮かびません。

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