2010年5月6日15時5分
自らがかかわる組織内部の病巣を実名で公に指摘することほど、勇気のいることはないだろう。しかも告発調でなく、冷静な筆致で。
北田暁大氏責任編集の「思想地図」5号に寄せられた「『アメリカ化』する日本の政治学」は、若手政治学者による学会批判である。筆者は東大先端研特任准教授の菅原琢さん。1976年生まれ、『世論の曲解』(光文社新書)などで注目された計量政治学の新鋭だ。
「アメリカ化」とは、近年、政治学の若手のあいだで計量分析あるいは仮説検証型の研究が普及し、業績主義が進んだ現象を指す。これは、理念に傾きがちだとの指摘もあった日本の政治学を、一見、「科学」的にし、よいこと尽くしのようにみえる。が、現実は「もっと複雑」と菅原さんは書く。
■粗製乱造・無難な研究を内部批判
たとえば、熾烈(しれつ)な論文投稿競争をしているのは、非正規の職にしかつけていない若手や院生が多い。そこでは論文の生産効率をいかに高めるかが勝負になるから、研究者は手っとり早く論文になりそうな題材を選ぶ。既存のデータで検証できる出来合いの仮説を追いがちになる。粗製乱造で「無難」な研究が目立つようになるのだという。
責任は、大学院重点化で大量のポストドクターを生み出した国にある? 菅原さんは、しかし問題の核心をそこに見ない。論文の誤りに気づいていても、「検証、反証を抑え込もうとする有形無形の圧力」があり、論争に発展させない日本の政治学会の体質に求めるのだ。「競争が老若で、上下で非対称的」な以上、年長者ににらまれないよう若手は黙るしかない、と。
「結局のところ、(中略)日本の政治学は最も大事なところがアメリカ化されていない」「若手がだらしないから、ではない。二重構造の社会が、批判を許容しない体制を生み出している」――
政治学を超え、学会を超えて、うなずく人の少なくない主張だろう。先頃結成された「たちあがれ日本」という新党の名付け役が77歳の都知事だったように、自らは決してノーと言われたくなさそうな年長世代が、下にハッパをかける。そんな根深い構図が、日本社会の閉塞(へいそく)の原因の一つのように思うからだ。
「アメリカ化」がまぶしかった時代はとうに過ぎ、バラ色でないことを私たちは知っている。それでも、情報の透明性や公正さ、自由な議論の土壌という点で、「アメリカ化されない日本」は、果たして幸運なのかどうか。アメリカを相対化できる時代になったからこそ、議論を深めるべき時と思える。(藤生京子)