マスター杉本の「自分のストーリーを生きる」
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2009年12月30日(水曜日) | ||
2009年の総括(年末のご挨拶):12/31更新 | 18:59 sugimoto | |
いよいよ年末ですね。 私も昨日、仕事納めを終え、夕食は家内と二人で、自宅に近くにありながら、今まで入ったことがなかった、富山の新鮮な魚料理を売りにする居酒屋で夕食をしました。 「この1年を漢字一文字で表したら、どんな漢字?」と家内に向けてみました。 すると、家内からは「この1年間、料理教室の生徒も増えて、仕事を通じて色々な人との出会いもあり、とても充実した1年間だったので、充実の『充』かな?」という答えが返ってきました。 これに対して、私は前半は本の執筆を通じてアウトプットに励んだけれど、後半はシステム・アプローチ、ブリーフセラピー、ベイトソンのコミュニケーション理論など、これまで馴染みの薄かった分野の情報に触れ、認識論的に広がりを得ることができたので、充電の『充』かな?」と答えました。 漢字は同じでも意味は随分違いますね。 さて、今日は少し長くなるかも知れませんが、2009年を総括して、ナラティヴ・アプローチ、カーボカウントという2つのテーマについて感じることを総括してみたいと思います。お付き合いいただけたら嬉しく思います。 ■ナラティヴ・アプローチ(本文中 NA と略します) 私のサイトの主な目的は、自らの医療実践を通じて、医療におけるナラティヴな視点を言語化することによって、自分自身を振り返りつつ、可能であれば、そうした視点を社会に拡げていくことです。 ナラティブな視点とは「医学的観点と臨床心理的観点の両立」、「自然科学と医療人類学の両立」であり、人と人との関わりから医療を考えていきます。これまで、これらは別々なものと捉えられ、医療者は主として「肉体(body)」から派生した問題を取り扱い、「魂(spirit)」から派生した問題は臨床心理士が担当すると考えられてきました。エビデンスとナラティヴは、医療を支える車の両輪でありながら、それを両立、融合することは大変困難であり、まさにサイエンスとアートを融合させる、深い認識論が求められています。 私たちナラティヴ・セラピストをめざす者は、生物医学モデルを理解する私たち医療者こそが、この両者に対して責任をもつべきであると考えています。食事療法を例にとるならば、これまでのアプローチは、上位に生物医学モデル(人間栄養)を据えて、その目的を達成するために、下位に心理的介入を行ってきました。しかし、NAでは栄養学と臨床心理学を対等に扱いながら、なによりもアウトカムを優先し、心理療法でしばしば用いられる「逆説的介入」を用いて、栄養療法の常識を無視するような指導さえも取り入れます(医学的観点と臨床心理学的観点を対等に扱うという、きわめて困難な課題を可能にする哲学的な立場、それを「社会構成主義」と呼びます)。 また、ナラティヴな視点は「絶対相対主義」をめざし、二者択一的スタンスからの決別を迫ります。それは直線的認識論(原因と結果は結びついていて、原因を取り除けば問題は解決するという考え方、○×方式、白黒方式)から円環的認識論へのシフトを意味します(*注釈1参照)。つまり、「A1c>6.5%、イコール × 」「食後血糖値<180mg/dl イコール○」といった発想から決別し、生物医学モデルと自己実現モデルの両立という極めて困難で、正解のない実践をめざします。 2009年、私は社会構成主義とベイトソンらのコミュニケーション理論の融合という、新たな認識論的視座を得ました。これから、これを実践に繋げていけるよう、さらなる学びを深めていきたいと思っています(#注釈2参照)。 *注釈1:面接においてはbody(EBM)については直線的認識論、Sprit(NBM)については円環的認識論を用い、対話をしながらこの2つの間を行ったり来たりしながら、面接を進めていきます。そして、人間が関わる問題は、原因を解明しても問題解決には繋がらないことが多いという認識は重要です。 #注釈2:直線的思考法で行き詰まったら円環的思考法へ、左脳的な発想で行き詰まったら右脳的発想へ、精神分析的アプローチで行き詰まったら行動療法的アプローチへ。このようにリフレイムすることを、ナラティヴ・アプローチでは「悪循環の切断」と云い、Do defferent!などと表現します。 ■カーボカウント 1.日本で生まれたカーボカウントの正当性を広める 今年、私は「糖尿病でもおいしく食べる」という本を出版しました。それは多くの医療者たちから誤解されている、日本発のカーボカウントを、専門家に認知させたいという狙いをもって執筆されました。つまり、専門家に認められる糖質制限食の普及をめざしたということになります。 日本で広まっているカーボカウントは、欧米で認知されているカーボカウントとはまったく別物です。それはなぜか? 私は多くの境界型糖尿病の方や耐糖能異常を指摘されたことがないボランティア(その多くは製薬メーカーのMRさん)に食パン試験や牛丼試験を行っていただきました。そして発見したこと、それは「肥満のない日本の耐糖能異常者はバランス食(米飯150g)に耐えられない」という驚きの事実でした。このような日本の糖尿病患者の実態を考えれば(驚いたことに1度も耐糖能異常を指摘されたことがない、A1c5.0%の健康ボランティアでさえ、米飯160gで30分値>180mg/dlを呈しました)、この国から生まれるカーボカウントが「糖質制限」を指向することは必然です。にもかかわらず、残念なことに我が国では多くの医療機関で食品交換表に基づく、一律な栄養指導が行われ、血糖コントロールが改善しなければ、「患者の努力不足」と一方的に判断されている現実があります。私は「血糖自己測定を行わずに米飯150gの指導を行うことは、患者の知る権利、患者の自己決定の権利を奪っている」と感じています。なぜなら、グリニドやDPP-4阻害薬(とても良い感触です!)を服用しながら米飯150gを食べるのか、米飯100gにして投薬なしにするべきか、それを決めるのは患者自身であるはずだ!という思いがあるからです。 2.日本におけるバランス食の再定義に向けて 拙著「糖尿病でもおいしく食べる」を読んだ患者さんから、ときどき「毎日最低130g以上の炭水化物を摂らなければいけないのですよね?」という質問を受けることがあります。そんなとき、私は「1日130g以上を摂らなければいけないというのは、実は日本の専門家向けのメッセージであって、私の個人的な見解ではありません。実際にはもっと少なくても大丈夫です」「あなたの幸福が損なわれず、体調が良好である範囲で、血糖コントロールとの両立を図ってください」と答えています。日本の糖質制限食は多くの専門家から強い批判を受けています。従って、「糖尿病でもおいしく食べる」の中で述べたような内容を執筆することには正直大変勇気がいることでしたし、躊躇い(ためらい)もありました。それ故、可能な限り、権威あるガイドラインを厳守するというスタンスを盾に議論を進めていく必要がありました。そうすることで、インスリン分泌障害を主とする日本人の糖尿病に対する、日本型カーボカウントの合理性を専門家に理解してもらうことをめざしたわけです。それ故、一見すると、豚しゃぶ試験で糖質制限を奨励しておきながら、一方において、1日130g以上の炭水化物摂取を強調するという矛盾が生まれました。しかし、「炭水化物摂取量の下限も高蛋白質食の上限も、科学的なエビデンスは存在しない」ということは付記しました。この領域のことを一般読者が理解できるような表現で、簡潔に述べることは極めて困難で、一臨床医の手に負えないと考えたことも事実です。医療現場が必要としているのは、誰にとっても分かりやすくて、実践的な指針なのです。それ故、もっとも安全で、権威のある米国糖尿病協会の栄養勧告を引用しました。次回、同じテーマで執筆する際には、もう少し踏み込んで書けるように挑戦してみたいと思いますが・・、メッセージはシンプルなほど伝わりやすいのも事実ですので、果たして自分にできるかどうか?自信はありません。でも、専門家向けの講演などを通じて、少しずつ伝えていけるように努力していきたいと思っています。 以上、あまりまとまりがありませんが、2009年の雑感を述べさせていただきました。 この1年間、このブログにお付き合いいただいた多くの皆様、本当に有り難うございました。 皆さんが感じる思い、皆さんからいただく情報が、私のモチベーションになっています。 いつまで続くか、分かりませんが、これからもよろしくお願いします。 それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。 | ||
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