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政治家にとって言葉は命、という。ましてや、一国の最高指導者となればなおさらだ。鳩山由紀夫首相はその重みをわかっていない。
首相は昨年の総選挙前、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場を「最低でも県外」に移すと訴えた。ところが、県外断念に追い込まれた途端、あれは「党代表としての発言」であって「党の公約」ではないと言い出した。
確かに民主党の政権公約(マニフェスト)には「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」としか書かれていない。「県外」はおろか、普天間という言葉もない。
民主党の年来の主張は「国外・県外移設」だったが、政治的に難題であることは当時からわかっていた。だからこそ政権獲得を目前に、あえてあいまいな表現にとどめた事情がある。
それでも県外を目指すと踏み込み、国民の期待を引き寄せようとしたのは、他ならぬ鳩山氏自身である。有権者からすれば、民主党代表であり、首相候補者である鳩山氏の公の発言は、公約以外の何ものでもない。
いまさら、マニフェストには書いていないからと責任逃れをするような発言には、恐れ入るほかない。
公約はすべて実現しなければならないというわけではない。政権に就いてみないとわからない実情というものもある。政権獲得後に、予測を超える新たな事態が生じることもある。
大切なことは、状況の変化に応じ、そのつど国民に懇切に説明しながら、熟慮の上で手直ししていくことである。公約の根本は安易に変えられないが、やむをえない再検討はありうる。
今回の首相発言は、そうした手順を踏むことなく突如として飛び出した。
沖縄の負担を軽減したいという首相の「思い」は疑うまい。しかし今回の軽率な言葉は、国民への裏切りと言われても仕方がない。やっと日本政治に定着しかけたマニフェスト選挙が水泡に帰することになれば、首相の罪は極めて重い。
実行力を伴わない言葉の軽さも困りものだが、それが思慮の浅さに起因しているのではないかと疑われる点が、より深刻である。
首相は県外断念の理由について、海兵隊の「抑止力」維持をあげた。
首相は総選挙時には、海兵隊が沖縄にいなければならない理由はないと考えていたという。しかし首相就任後、「学べば学ぶにつけ」海兵隊の必要性を理解したと説明した。
海兵隊の抑止力について、首相なりの認識を得るための勉強に8カ月も要したというのが本当なら衝撃である。
移設問題とは、「抑止力」と沖縄の負担軽減という困難な二正面作戦に他ならない。そのことは初歩の初歩のはずではなかったか。
愛知県豊川市で先月、10年以上自宅に引きこもっていた30歳の男が、家族5人を殺傷し、逮捕された。
ネット通販の支払いが200万円を超え、困った家族がネット契約を切ったため、「腹が立った」という。
そんなことで1歳のめいにまで手をかけたとは。男は中学時代、「おとなしい人だった」という。長い内向きの暮らしで、心はどう変わってしまったのか。暗然たる思いがする。
引きこもりは、全国で30万人とも100万人ともいわれる。受験や就職などにつまずき、対人関係に自信を失ったのが、多くのきっかけというが、なかなか表面化しない。3月にも大阪市で男が父親を殺す事件が起きている。
もちろん暴力的な事件に至ることはまれだ。大半は、いつ終わるのか分からないトンネルの中で、当事者も家族も耐えている、というのが実態だ。
打開のチャンスは、経験を積んだ第三者がかかわり、閉じた空間を変えていくことだ。最近は各県の精神保健福祉センターに担当者が置かれ、NGOが居場所をつくり、親の会が次々につくられている。厚生労働省も近く対応ガイドラインを更新し、初期の段階で精神科医のかかわりを強める対応などの検討もすすめている。
たとえば豊川市の事件の場合、警察の対応に何かが足りなかったとすれば、そうしたネットワークとの連携ではないだろうか。家族からネット通販の問題で相談を受け、警察官は自宅まで訪ねているし、通販対策として消費生活相談の窓口を紹介もしている。
ただ、問題の根にある引きこもり対策までには踏み込まず、専門家につなぐことはなかった。結果として、本人にとって唯一の社会との接点にもなっていたネット自体を切ることを家族に提案した。
専門家ならどうしたか。京都市で引きこもりの若者らの居場所を運営する山田孝明さんは、「ネットまで切らず、銀行口座の残額をゼロにして通販をできなくする方法を提案した」と話す。傷つきやすい本人にも配慮しながら、家族を守り、少しずつ環境を変える方法を一緒に考えていく、という。緊急避難として家族が家を出て暮らすのも手だったそうだ。
若者の問題と思われがちだが、全国親の会の会員調査によると、引きこもりは長期化し、平均年齢が30歳を超えている。親も退職年齢にさしかかっており、今後、精神面のケアとともに経済的な支援、さらには仕事のあっせんも考えなければいけない。
DV(配偶者、恋人などからの暴力)や児童虐待と同様、問題を抱えた多くの家族、当事者は孤立している。手をさしのべる側は関係者や組織がしっかりとしたつながりを築き、かすかなSOSも見逃さないようにしたい。