重罪の時効の撤廃・延長には反対です。
以前の15年が適当と考えます。
事件関係者の苦しみが消えることと犯人逮捕は関係ありません。
犯人が逮捕されたぐらいで消える苦しみなら大したことはないと思います。
そして、報復感情を満足させる為にある刑罰も日本の法には無いはずです。
全ての刑罰は犯人に更生してもらう為に有るものです。
罪を犯した人間がのうのうと生きているのは許せないという意見も聞きます。
しかし、罪を犯してのうのうと生きている人なんて殆ど居ないはずです。
(この場合は法律上の罪ということです。)
第一何の罪も犯していない人間ですらのうのうと生きるのは難しいこの社会です。
特に重い罪を犯せば、如何なる環境に居ようともその人を一生苦しめるはずです。
苦しんでいる時に悪いことをしないでいるというのはとても難しい。
15年、新たに罪を犯していないのならもう刑務所に入る必要はないと思います。
その人の更生は私達一人一人にかかっていると思います。
もう一つの問題として、冤罪問題があります。
無実の人が逮捕され、裁判において確実に有罪となる証拠を検察が提出したとする。
そうなればこの人は自分の無実を証明する必要に迫られます。
しかし、一個人が20年・30年も前の証拠資料を提出できるでしょうか。
逮捕されれば冤罪の可能性が有るとして逃亡している方も居ると思います。
こういう人は警察の間違いにいつまで苦しめ続けられなければならないのでしょうか。
重ねて言います、裁判が全ての真実を明るみにしてくれる訳ではありません。
裁判官は一般的に有罪としても良いと判断される証拠が提出されれば有罪とするのです。
重罪の時効撤廃・延長には反対します。
以前の15年が適当と考えます。
事件関係者の苦しみが消えることと犯人逮捕は関係ありません。
犯人が逮捕されたぐらいで消える苦しみなら大したことはないと思います。
そして、報復感情を満足させる為にある刑罰も日本の法には無いはずです。
全ての刑罰は犯人に更生してもらう為に有るものです。
罪を犯した人間がのうのうと生きているのは許せないという意見も聞きます。
しかし、罪を犯してのうのうと生きている人なんて殆ど居ないはずです。
(この場合は法律上の罪ということです。)
第一何の罪も犯していない人間ですらのうのうと生きるのは難しいこの社会です。
特に重い罪を犯せば、如何なる環境に居ようともその人を一生苦しめるはずです。
苦しんでいる時に悪いことをしないでいるというのはとても難しい。
15年、新たに罪を犯していないのならもう刑務所に入る必要はないと思います。
その人の更生は私達一人一人にかかっていると思います。
もう一つの問題として、冤罪問題があります。
無実の人が逮捕され、裁判において確実に有罪となる証拠を検察が提出したとする。
そうなればこの人は自分の無実を証明する必要に迫られます。
しかし、一個人が20年・30年も前の証拠資料を提出できるでしょうか。
逮捕されれば冤罪の可能性が有るとして逃亡している方も居ると思います。
こういう人は警察の間違いにいつまで苦しめ続けられなければならないのでしょうか。
重ねて言います、裁判が全ての真実を明るみにしてくれる訳ではありません。
裁判官は一般的に有罪としても良いと判断される証拠が提出されれば有罪とするのです。
重罪の時効撤廃・延長には反対します。
>事件関係者の悲しみが消えることと犯人逮捕は関係ありません。
犯人が逮捕されたぐらいで消える悲しみなら大したことはないと思います。
確かに犯人が逮捕されたからといって悲しみが消えることはないかも知れません。が、真実犯罪を犯した人間が法の裁きを受けていないという事実は、もともとの犯罪行為そのものに起因する悲しみ等を更にひどいものにし、一層苦しめるのではありませんか。
>15年、新たに罪を犯していないのならもう刑務所に入る必要はないと思います。
この論理に基づけば、刑罰など必要なくなってしまうでしょうね。
もっとも、このようなことを申し上げても、bandoさんは現行の司法制度そのものに対して否定的でいらっしゃるようですから、議論の土俵が違うのかも知れませんが。虚しい議論かな。
時効の撤廃、延長は、冤罪を増やすだけです。
憎しみを持ち続けることは、人心を荒廃させるだけです。
重罪を犯して逮捕されようが、されまいが重罪を犯した人は、一生その罪を背負い続けます。
苦しみは消えません。
それは、重罪を犯した人が背負う宿命です。
疑われるようなことをすることが良くないというような見方は良くないと思います。少数派の人々を苦しめると思います。
DHさん、
悲しみの解消を少しでもそこに求めると、新たな苦しみを背負うことになると私は思います。
それから、最終的な理想としては私は刑務所は要らないと思っています。勿論それには人の更なる成熟が必要で数百年、数千年後でも難しいかも知れません。今はなるべく刑務所が人の更生の為にどうあるべきか皆でよく考えていければと思っています。
現行の司法制度については否定的と取られても仕方のない言葉が続いていますが、そうでもないんです。よく出来ているとも思っています。ただ欠陥が多いということも皆に知ってもらいたくてこのような文章を並べています。
死刑制度に反対する一市民さん、
怒りや憎しみを持ち続けることは本当に悲しいことだと思います。苦しみの連鎖はそれによっては確実に助長されるはずです。
実際その境遇にいないものが、反対・賛成というのは、少し荒っぽすぎるように思います。
当事者だから分かることというのがあると思いますので、私の意見としましては、当事者が反対されているんだから、実際、自分がそういう境遇にあったとすれば、反対する立場になると思います。
今の自分の思いとしても、反対ですか?賛成ですか?と聞かれれば、当事者の方々が言っている以上、反対ですと言います。
私は時効に関しては全ての人々が当事者だと感じています。
理由の一つ目は、被害者や遺族、そしてその関係者が自分達の利益を求め、犯人となった人の人権や権利を侵害するからです。
理由の二つ目は、犯人の生活に関してです。犯人であっても人間です。その人間の権利や生活まで侵害するためです。
理由の三つ目は、今まで時効があっても問題にならなかったのに、今になって「時効が迷惑だから撤廃しろ」と言うもはあまりにも勝手なのではないかと思うからです。
理由の四つ目は、問題点があるからです。
・正当な裁判が行えるのか。
・冤罪が作り易くなる。
・正しい証拠が正当に提供・提出,収集・確保することができるのか。
・警察の警察官体制や、証拠資料などの保管場所や方法をどうするのか。
・本当に時効を撤廃して、全ての国民が幸せになれるのか。
などなどです。
以上の事などを踏まえて、私は時効撤廃に「絶対反対」と言う判断をしました。
もし、私が総理大臣や法務大臣だったら、即刻、「時効撤廃」と言う事に関して、全て訴え
を「棄却・退ける」と言う判断を絶対に下します。
全ての国民に、もう一度、「時効を撤廃して全ての国民が幸せになるのか。」「撤廃しても問題はないのか」「撤廃して加害者の権利や生活などが守れるのか」と言った事を考えてください。そして、自分が加害者となった時、時効がなかった時の事を想像して下さい。
最近の時効撤廃の動き、被害者や遺族、関係者の気持ちが理由になっていると思います。しかし、裁判や刑罰はこの人達の気持ちの為に有るものではない。この人達の気持ちの保護の為には何か違う所での施策を考えるべきだと思います。
少しずれるかも知れませんが、恨みや憎しみを長く持ち続けていなければならない社会は良くないと思います。
面白いことを仰る。
では、貴方は、罪を犯した人が
その罪を償う機会や場所さえ奪うと仰るのですか?
私の言葉を理解できない人が私の言葉に触れることはとても残酷なことだろうなあといつも思っています。ただ、私は理想主義者ではありません。残酷な現実主義者です。
そういう視点もありますよね。
時効にしろ、刑罰にしろ、犯罪者とされている者の更生に最も重きを置いて作られればと思います。
たとえ、犯罪を犯したものであっても、永遠に追い詰めるのは国家権力のいき過ぎでしょう。
法は、謙抑的であるべきなのです。
私もそう思います。
人はやさしくなければけがれていくと感じています。
人権というものは誰のものも等しく守られなければ守られているとはいえないと思います。
どのような理由があるにしろ、結局時効があるということは加害者の逃げとくが存在することになるでしょう
もし私の家族が殺害されたとして15年経てば加害者は罪にならないのはどう考えても納得がいきません
公訴を逃れたからと罪が消える訳では有りません。
罪は永遠に残ります。
「どう考えても被害者の人権の方が大事だと
思うんですが」
大筋は間違いないのですが、実は被害者(&遺族)の方って、意外と至れり尽せりで左団扇の暮らしだったりするんですよね。マスコミのおかげでね。
罪は皆が犯していると思います。
誰かが定めた罪の程度によって更生の機会が与えられる与えられないでは
人々の苦しみの因縁はなくならないと思います。
犯罪被害にあわれた方の苦しみは大体において他人の想像を超えていると思います。
遺族・関係者においても難しい状況が続くのは推測できます。
国からの支援をより一層真剣に考えるべきだと思います。
でも、法律を作るのは、そのプロである国会であり、その構成員たる議員です。議員の中にも法律を、とりわけ公法をよく勉強された方がたくさんいるだろうに、なんでこんな素人みたいな安易な結論に達したのかわかりません。
公法というのは、いわゆる常識とは別の次元にあるのではないでしょうか。
刑法は犯罪者を処罰したり、被害者を救済するための法律ではありません。罪刑法定主義の観点から、基本的人権を保護するための法律です。そして、立場が違えど、人権に優劣はありません。ただ、その性質上公共の福祉に服するといううだけであり、そしてその結果が被害者と加害者の差です。
そもそも憲法31条や刑法の根底にある罪刑法定主義・責任主義・謙抑主義といったものは、犯罪者というだけで社会から著しく人権を制限されうる人の人権の保護を目的としているのではないでしょうか。また、私法である民法709条だって、基本的な概念は損害の公平な分担です。
一般論として、法律論とは一歩引いた第三者的な立場から考えるべきであり、被害者の視点に立つのはよいことですが、感情論を展開したり、被害者の視点からのみ考えたり、はたまた立法趣旨を無視したり、というのは正しいアプローチではないのではないでしょうか。まず、リーガルマインドを大切にするべきです。
政治論は別として、法律論からは、時効撤廃は公訴時効の趣旨を無視していると思います。
読んでいて何となくほっとしました。
感情論も大切ですが、それやそれを利用しようとする人が多く困惑しています。
軽犯罪の場合は抑止力が働く時も多く有るかも知れませんが、重罪ともなればその効果は余り期待できないと思います。
生きている限り更生の可能性は有ると思います。