ここから本文エリア 佐藤慶さん死去、悼む地元2010年05月07日
●人を笑わせる演技力/会津人らしく実直 会津若松市出身の俳優、佐藤慶さん(81)が亡くなった。個性的な役柄を数多く演じ、性格俳優として広く知られた佐藤さんを、故郷の同級生や演劇人らが悼んだ。 佐藤さんは1945年3月、県立会津工業学校(現・会津工業高校)の染織科を卒業した。同級生の穴沢英雄さん(81)は、当時の佐藤さんを「ひょうきん者だった」と振り返る。ラジオから流れる東条英機元首相の声のまねが大変うまかったという。 卒業後、46年5月から2年余りの間、会津若松市役所に勤務。その傍らで「会津新劇研究会」を仲間と作り、演劇にのめり込んだ。 このころに佐藤さんと知り合った市内の劇団「童劇プーポ」の清水和彦顧問(80)は、約40年にわたって年賀状をやり取りする親交があった。年賀状の細かくて優しい字が印象に残っているという。「人を心から笑わせる演技力があった。非常に個性的な俳優だった」と話した。 佐藤さんは市役所を退職後に上京。プロの俳優の道を歩み、映画やテレビでの好演が知名度を全国区にした。「童劇プーポ」の前会長、関孝一さんは「佐藤さんの存在は、プロを目指す会津の演劇人に大きな刺激を与えたと思う」と、功績をたたえた。 08年12月に佐藤さんと対談した菅家一郎市長は「会津人らしい実直な人柄に接することができ、感慨ひとしおでした。突然の訃(ふ)報は痛惜の極みです」とコメントした。 佐藤さんは、市職員時代から市役所近くのラーメン店「いさみ」によく通った。佐藤さんが82年に店に贈った色紙には、「会津に帰ると必ず寄る店」と書いてある。店主の風間千佶(せんきち)さん(68)は「寂しいね」とつぶやいた。(池田拓哉)
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