俺は実についてない男だ。ついてないというか、なんか、時代とワンテンポずれて生きているとしか言いようがない。会えるはずの人間とも、ワンテンポ外れて会えないのだ。俺なんてこんなもんなのだろう。
ある人を通じて、俳優佐藤慶さんと会えるという幸運を手にするところだった。そのかたの紹介で、佐藤さんと携帯電話でお話をした。信じられないことだ。以下、要旨。
私「(いろいろ言ったあとで)佐藤さんの、『青春残酷物語』の役は最高でしたね」
佐藤氏「君、なんでそんな古い映画知ってんの!?」
私「僕、ビデオ持ってますから、大島組の佐藤さんの映画ほとんど見てます」
佐藤氏「是非話をしよう。僕の行きつけの喫茶店があるから来なさい」
私「ところで、女優、××××とか×××とか、どんな人だったんですか?(これ、聞きたかったあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!)」
佐藤氏「黒田くん、女優なんてロクなもんじゃねえよ。オレが全部言ってやる。映画の話をしようよ」
そこで、「よろしくお願いします」と俺は電話を切った。2月、3月中にお会いする予定だったが、僕が、事情があって仕事で忙殺されて時間が取れず、桜咲く4月に、ということになった。仲介者のかたは、佐藤さんがしょっちゅう「黒田くんに会いたい」と言っていたと伝えてくれた。わかる気がする。50年代、60年代という黄金期の日本映画の話をする相手がいないのだろう。俺だって、周りにいない。ましてや、その黄金期に咲いた佐藤慶さんのことだ。大島組当時の映画のことを語り合える人なんて、周りには皆無だろう。だから、僕とぜひ話をしたいとおっしゃっていたのだ。
ととととと、ところがである。ヒマになった4月に、仲介者に「いつでもいいから佐藤さんに会いたいです」と言ったら、残念なことに佐藤さんは体調を崩して入院され、意識もさだかでない状態であるという。私は愕然とした。電話で話した声には張りがあって、「をを、あの明智光秀の佐藤慶だ」と俺は感動したものだが、大島渚や新藤兼人の演出、共演者のこと、聞きたいことがいっぱいあった。もう話すのは無理だと言われ、僕は愕然、がっかりしている。病気からの回復をお祈りするばかりだ。
私の人生とはこういうものである。なんかズレまくっているのだ。会うべき人間と会えないという不運の連鎖が私の人生なのだ。会うべき猫とは会っているかもしれない。しかし残念ながら、猫である。ああ、日本映画の話がしたい。日本映画を語り合いたい。そんな相手が欲しい。私が死ぬころには、ほとんど昭和の映画人は鬼籍に入っているだろう。映画人の人と、一人でもいいから語り合いたい。佐藤慶さんとの対話は最後のチャンスだったのかも知れない。私の夢は、高峰秀子と映画の話をすることだ。それも叶わぬ夢だろう。MYビデオを見ながら、黄金期の映画人たちの夢や野望を想像するほかないのである。嗚呼、佐藤慶さん、病から立ち直ってください。
と言うのは与太話で、1960年代の映画について、見る側としてはうちの夫と顔合わせしてもいいとは思いますが、(トーキーから、アニメから、何でも見ておりますです)初めてこのブログを見て、こういう話について黒田さんが(引用)ってなんだかかなり怒ってるみたい、と言ったら
夫は一言「黒田さんはまじめな人だね」と言って布団で大福食べてました。こういうおっさんでよかったら…
そのころはチャンバラのほうに夢中だったと思いますが。
父親はいても、病気で入院しているし、ある程度大きくなったらじいちゃん死んじゃいますのでね。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100506-OYT1T00316.htm?from=main2
僕は、今日知りました。天皇賞春の日に亡くなられたんですね。電話の声は、元気いっぱいだったのになあ。