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渡辺祥子 宇田川幸洋

2003.6.30 UPDATE  


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極論すると、アメリカ映画はすべてメロドラマ!?

――今回のテーマはメロドラマです。テーマを設定した私がいうのもヘンな話ですが、そもそもメロドラマって何なんでしょうね。ラブロマンスはもちろん、ファミリードラマや戦争映画、西部劇などジャンルをまたいで存在はするけど、ひとつのジャンルとして成立させるにはあいまいな感じがします。

渡辺 メロドラマって18世紀の舞台劇が最初でしょ。そのころは舞台で朗読しながら音楽を流すもののことをメロドラマっていってたの。その後、オペラが形態を真似して“泣きのドラマ”につくり変えたのが、今のメロドラマのもとになっているのよね。

宇田川 メロドラマがもてはやされたのは、18〜19世紀までですよね。20世紀になると“メロドラマはもう古い!”ということになって、差別的な表現としてつかわれるようになった。

――メロドラマが映画としてつくられはじめたのはいつごろからですか?


『散り行く花』
父親の暴力に耐えかねて家を出た少女と、彼女に恋心を抱く青年の物語。主演はリリアン・ギッシュ。
発売:アイ・ヴィー・シー
¥3500(税別)
『散り行く花』のリリアン・ギッシュ
渡辺 D・W・グリフィス監督の『散り行く花』('19)は、涙、涙のメロドラマよね。

宇田川 “映画の父”といわれるグリフィスは、19世紀的演劇やディケンス(英国ヴィクトリア朝を代表する作家)の小説などでつちかったストーリーテリングの感覚を映画に持ち込んだわけだから、“アメリカ映画はすべてメロドラマである”と極論することもできるんじゃないですかね。

――それはつまり?

宇田川 アメリカ映画はグリフィスからはじまっているわけじゃない。そのグリフィスがメロドラマ的な形式を映画にもち込んで、そこからアメリカ映画のつくり方が確立されたわけだから、歴史的に見てもアメリカ映画はメロドラマだといえる。現にハリウッド映画を見てると、そうでしょう。でも、ゴダールの言うように「すべての映画はアメリカ映画である」とすると、映画はすべてメロドラマであるということになる。

渡辺 でも今、メロドラマといったら、波瀾万丈の通俗劇のことを指すでしょう。

宇田川 「低俗」ともいいますね(笑)。舞台の朗読劇から始まって、歌劇、映画と形を変えていき、最終的にいちばん大衆受けするものに落ち着いた。「低俗」、「センチメンタル」、「過剰なドラマツルギー」…。つまりは、お安いドラマに成り下がってしまった、というふうに見られている。でも、演劇のほうでは20世紀後半から、メロドラマという形式を見なおす動きが出てきたらしい。そのへんはぼくはよくわからないけど、映画でも、増村保造とかフィリピンのリノ・ブロカなんてメロドラマのかたちのうえに強烈な闘争をえがいて自分のスタイルをつくりあげていると思う。


『エデンより彼方に』はお涙頂戴のお安い通俗劇ではない

『エデンより彼方に』シネマライズほかにて7月12日公開
ジュリアン・ムーアの主演女優賞ほか、アカデミー賞主要3部門で候補になった話題作。
――トッド・ヘインズ監督&ジュリアン・ムーア主演の『エデンより彼方に』は、50年代に活躍した“メロドラマの巨匠”といわれるダグラス・サークの映画を参考につくられたそうですが、おふたりはこの映画をご覧になっていかがでした?

宇田川 うまいなぁって思った。息がつまるぐらい隅々まできっちりつくり込んでますね。

渡辺 ジュリアン・ムーア演じる主婦の夫がゲイで、彼女が心ひかれていく男が黒人でしょ? 当時のタブーを絵にかいたような話。これは挑発ドラマよね。

宇田川 50年代の映画では夫がゲイという設定はありえないですもんね。黒人との恋愛やほかの女と浮気して…というのはありそうな話だけど。

渡辺 『エデンより彼方に』は、ダグラス・サークのスタイルを今風に再現したコピー映画。でも、ただのコピーでなく、一種のアートになった。

宇田川 昔、ピーター・ボグダノヴィッチ監督が、『ペーパー・ムーン』('73)でジョン・フォードやハワード・ホークスのスタイルをモノクロで再現したのを思い出しますが、ただ、ボグダノヴィッチの場合は、フォードやホークスのスタイルを再現すること自体がうれしくて、という感じの映画ファンのナイーヴさみたいなものがあったけど、こっちはもっと冷静ですね。『エデンより彼方に』は演出にスキがないし、テーマもはっきりしているから、残念ながらケチのつけようがない(笑)。完璧につくり込まれている映画って本当は好きじゃないんだけど、ここまでやられるとほめるしかないもの。

――先ほど、メロドラマは“お涙ちょうだいのお安い通俗劇”と言われてましたが、この『エデンより彼方に』はそうじゃないと?

渡辺 『チャンプ』('79)とか『哀愁』('40)のように名作と言われていても、メロドラマって登場人物たちがバカすぎて、「何とかしなさいよ」とか「もうちょっと知恵はないものかね」と、見ていてイライラしちゃうのが多いのよね。映画を見て泣きたいという人には、また別の感想があると思うけど。でも、『エデンより彼方に』は“何とかしてもどうなるものでもない”。そういう時代だったというのがわかるから、つくり物としてよくできていると思う。

宇田川 確かに『エデンより彼方に』は普通のメロドラマとはちょっと違う気がしました。メロドラマにありがちな偶然性が大いに作用する甘美な悲劇ではなく、本当の社会の悲劇ですもんね。

渡辺 だから、一時期はやった『愛の嵐』や『真珠夫人』といったテレビの昼メロドラマのほうがいかにもメロドラマらしい。

宇田川 『真珠夫人』はそうとう異常なサスペンスですね。いやな相手と結婚して“いかに貞操を守るか”って話ですからね。テレビは見てないけど、菊池寛の原作小説を読んだらおもしろかった。むかし大映で映画化されたのもタイミングよくCSでやってましたね。このごろのテレビドラマは演出が下手になっちゃったから、そういうメロドラマ的なしかけを笑わせるほうにもっていくしかないみたいな気がするんですね。その点、トッド・ヘインズ監督は微妙な線の綱渡りをうまくやっている。『エデンより彼方に』もやりすぎたら単なるパロディになってしまうもの。


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