米国務省、1969-72年の韓米外交文書を公開(下)

69年に北が米偵察機を撃墜、ニクソン大統領はミグ飛行場の空襲を検討

 ニクソン政権は69年4月、北朝鮮により米偵察機EC-121が撃墜された際、北朝鮮に対する報復攻撃を積極的に検討していたが、全面戦争に拡大する可能性があったため計画を取りやめた。当時、北朝鮮の清津南東の公海上で偵察活動を行っていたEC-121は、北朝鮮のミグ戦闘機によるミサイル攻撃を受けて墜落し、乗組員31人が全員死亡した。

 ニクソン大統領はキッシンジャー補佐官に対し、北朝鮮内のミグ機離陸基地への空襲、元山港の海上封鎖および機雷攻撃、潜水艦による北朝鮮艦艇への魚雷攻撃などについて詳しく検討し、報告するよう命じた。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領もポーター駐韓米大使に対し、「北朝鮮に対して強硬な対応に出なければ、今後も同じような挑発が繰り返されるだろう」と述べ、報復攻撃を強く求めた。

 しかし米政権内部では、報復に対する否定的な見方が強かったため、北朝鮮への攻撃は行われなかった。その後、ニクソン大統領は、「有事の際には激しい反撃を行う」と警告し、偵察機に戦闘機の護衛を伴った上で、偵察活動の再開を指示した。この問題は、こうして決着がついた。

 この外交文書にはさらに、72年にニクソン大統領が中国を訪問する前、朴正煕大統領が韓米首脳会談を要請したが、米国がこれを拒否したという事実も記載されている。ニクソン大統領は訪中前の71年11月29日、朴大統領に親書を送り、自らが訪中する背景について「中国側とアジア情勢について協議を行うに当たり、同盟国と友邦の利益を無視することはない」と説明した。

ワシントン=李河遠(イ・ハウォン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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