金総書記訪中:過去の訪問時はどうだったのか

 北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は3日、北朝鮮の安全保障・経済危機が過去にないほど深刻な状況にある中、総書記就任後では5回目となる訪中を行った。2000年と01年に訪中した際には、米朝および南北関係が良好だったため、「経済」に関心を集中させることができた。04年と06年は、韓国が毎年30万トンから40万トンの食糧を支援していたため、現在ほど経済的に苦しい状況ではなかった。

 金総書記は2000年5月に初めて中国を訪問した際、北京のシリコンバレーと呼ばれる「中関村」などを視察し、江沢民主席(当時)に「中国は改革・開放で国力が増大した。トウ小平路線は正しかった」と話した。続いて01年1月に中国を訪れた際には、上海証券取引所やIT(情報通信)企業などを視察し、朱鎔基首相(当時)に「天地開闢(かいびゃく)だ」と話した。江主席には、「中国の大きな変化は、改革・解放政策が正しかったことを証明している」という趣旨の発言を行った。

 金総書記は2000年の訪中時には、少人数の随行員だけを同行させたが、01年には幹部数十人と20人以上の経済実務陣を引き連れ、彼らに中国の発展の様子を見学させた。以後、金総書記は7・1経済管理改善措置(02年)、新義州経済特区(02年)など、市場経済を一部導入し、制限付きで開放を行う動きを見せた。

 一方、04年4月の3回目の訪中時には、北の核問題が深刻だった。北朝鮮はウラン濃縮プログラムの是認(02年10月)、原子炉再稼働(03年2月)、廃燃料棒の再処理完了(03年10月)などの措置を相次いで発表した。当時、金総書記は2泊3日の短い日程を通じて、「6カ国協議に積極的に参加する」と主張し、その2カ月後に3回目の6カ国協議が行われた。

 06年1月の訪中は、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で、北朝鮮の核廃棄と米朝関係の正常化などについて合意した「9・19共同声明」を発表した直後に実現した。当時、金総書記は上海をはじめとして、武漢-広州-深センなど中国南部の開放地域を訪問し、「急速な変化を遂げる南方地域の発展の様子は印象深かった」と話した。

 しかし帰国後、金総書記の反応は2000年代初めとは違っていた。改革・開放の代わりに、「政府が社会主義の帽子をかぶって、資本主義の斥候兵の真似をしていた」と話し、市場統制の動きを見せた。

アン・ヨンヒョン記者

【ニュース特集】金総書記4年ぶり訪中

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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