野球:故障から復帰、輝き放つ選手たち(下)

 4月22日、釜山で行われたKIA戦で8回と3分の2を投げ、6安打1失点と好投し、チームを危機から救った左腕のイ・ミョンウ投手も、「サウザンドクラブ」への仲間入りを果たした。02年にロッテに入団したイ・ミョンウ投手は、06年に公益勤務要員(軍部隊へ行く代わりに公的機関で働く)に就くまでは、主にワンポイントや中継ぎとしての活躍にとどまっていた。04年9月22日に釜山で行われたSK戦で完封勝利を挙げたのが、投手人生における唯一の勝ち星だった。そして4月22日に勝利投手となるまで、実に2038日(5年と7カ月)の歳月がかかった。

 球速は140キロ前後とそれほど速くはないが、もともと制球力を武器としていたイ・ミョンウは、今年の春季キャンプで内角への鋭い直球を披露。これがロイスター監督の目に留まり、新たな先発要員として抜てきされ、開幕から4試合目で勝利投手となった。2004-05年にロッテ監督としてイ・ミョンウ投手を指導したヤン・サンムン投手コーチは、「これまでは直球とカーブを中心に単調な配球が目立った上、どうしてもブルペン陣として左腕が必要だったことから、先発というよりは中継ぎとして起用せざるを得なかった。今年はすでに2敗しているが、期待に応えようとする努力が実ったようだ」と賛辞を送った。

 また、打者の中にも「サウザンドクラブ」のメンバーはいる。SKのイム・フン選手は4月20日に行われた斗山戦で、0-2とリードされて迎えた7回表に劇的な同点本塁打を放ち、ファンの記憶に刻まれた。04年にドラフト2位で入団したものの、主に2軍での出場を余儀なくされた。その後、手首の手術を経て、07年には軍に入隊。昨年兵役を終え、SKに育成選手として再入団したイム・フン選手は、沖縄キャンプで外野の補欠要員として金星根(キム・ソングン)監督の目に留まり、20日に劇的なチャンスを迎えた。パク・ジェサン選手がけがで2軍落ちしたことで、代わりに1軍登録されていたイム・フン選手は、7回表2死1塁で打席に立ち、斗山のコ・チャンソン投手の135キロの直球をフルスイングした。そこで、04年9月16日に蚕室で行われたLG戦以来、実に2039日ぶりとなる安打を放った。これがプロ入り初本塁打となり、これまでの苦悩を一気に吹き飛ばした。

 野球が「脚本のないドラマ」といわれるのは、こうした数々の劇的なドラマを生んできたからかもしれない。

クォン・インハ記者

スポーツ朝鮮/朝鮮日報日本語版

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