今朝の産経(私の自宅に届く版)には載っていなかったので、時事通信から引用しますが、鳩山首相は昨日、都内で開かれた俳優の船戸順さんと日本舞踊家岩井友見さん夫妻の芸能生活50周年と40周年を祝う会に出席したそうです。はあ、そうですか、なるほど、はい。
そこで岩井さんが「あやめ」という演目の踊りを披露した後、あいさつに立った首相はこう語りました。相変わらずいやらしい自分に酔ったようなセリフですね。この人は相当なナルシストであるようで、相変わらず自分が周囲からどう見られているかには全く気付いていないか、無視できるようです。
「司会者がアヤメは雨に打たれても美しく咲いていると(言っていた)。私もどんなに打たれても美しく行動できれば」
これについて、時事通信の記事は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設案を説明する沖縄入りを翌日に控えた首相は、地元の激しい反発を予想し、自らを鼓舞したようだ」と書いています…。
鳩山氏は結局、何の具体的アイデアも安全保障や地元事情に関する知識もないままに、「最低でも県外」という自らの「思い」だけを大事にして固執した挙げ句、事態をより複雑にし、混乱させたわけです。さらに、日米合意という一種の「条約」に基づく現行案に関しては、ただ前政権の案であると言うだけで忌避し、「それ以外なら何でもいい」というような沖縄県民をバカにした振る舞いをとっておきなながら、この期に及んで「美しい行動」だそうです。
また、昨日、首相公邸で鳩山氏に面会した北沢俊美防衛相は記者団に、こう語りました。結果は出せなくても「思い」と「努力」は認めてほしいということですね。いい大人が、それも政治指導者がいう言葉か、こんなの。
「首相は真剣に5月末(の決着)を目指し努力してきた思いを語る」
…いろいろ言いたいことはありますが、あまり感情的になってもよくないので、他者の言葉を引用して私の感想に代えたいと思います。
《意見の固執。――或る者が或る意見に固執するのは、自分自らでその意見を思いついたことをいくらか自慢げに思っているからである。また別の者がそうするのは、その意見を苦労して学びそれを理解するにいたったことを誇りに思っているからである。だから両者とも、虚栄心から、そうしている》(ニーチェ「人間的あまりに人間的」)
《自惚れの兆候としての同情要求。――癇癪を起こし、他の人々に侮辱を加えておきながら、そのさい第一に、自分のことを悪く取らないでもらいたいと要求したり、第二に、こんなに烈しい発作に襲われたのだから自分に同情してもらいたいなどと要求したりする人々がいる。人間の自惚れは、それほどまでになるのである》(同)
以前のエントリでもちょっと触れましたが、鳩山氏も平野官房長官も、産経が3月に「首相が徳之島移設案の検討を指示」と書いたときには、「憶測だ」と否定しました。その後も、具体的な事例は示さないまま何度もメディアの「誤報」を強調して責任を転嫁し、自らをむしろ被害者のように考えているフシがあります。
そこで今回は、またまた観自在菩薩の化身とも言われ、森羅万象の本質を見通す「ミスターL」にご登場いただき、ひとこと釘を刺していただこうと思います。
Q この件については、首相自身も「メディアに誤って伝えられた」と発言しているが
ミスターL いろいろなメディアが(漆間官房副長官が)話したことを伝えているわけで、そうなるとメディアの報道が正確なのか、あるいはそれは実際になかった発言なのかということになり、メディアの皆さんこそ、真実がおわかりなのではないか。それを「なかった」とか「間違った報道」とかいうような言い方で逃げるということは、わたしは首相の今日までの政権としての、あるいは首相としての歩みから見ると「また逃げられたな」と、逃げの発言、ぶれた発言だなと思わざるをえない。(2009年3月9日、山形市で記者団に、漆間氏がオフレコの場で「西松事件は自民党には波及しない」という見方を述べた件について)
さすがです。一刀両断してくれました。やはり人としての器が違い、真実を見事に指し示しています。…とまあ、こんなことばかり書いていると、私が鳩山氏やその政権を「敵視」しているのではないかと勘違いされるかもしれませんが、決してそんなことはないのです。彼は仕事上、ウオッチせざるをえないだけであって、敵だなんて欠片も思っていないのです。私は高校時代から、次の言葉肝に銘じてきたのですから。
《きみたちは、憎むべき敵たちだけを持つことが必要であって、軽蔑すべき敵たちを持ってはならない。きみたちは自分の敵を誇りとしなくてはならない。その場合には、きみたちの敵の成功は、きみたちの成功でもあるのだ》(ニーチェ、「このようにツァラトゥストラは語った」)
by bigbadjohn
5日付の新聞各紙にみる鳩山首…