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殿堂入りの元OB会長、田宮謙次郎さんが死去…

01年、巨人とのOB戦で長嶋氏(右)と談笑する田宮氏

◆ 82歳、脳内出血 ◆

 阪神、大毎で活躍し、17年間にわたり阪神のOB会長を務めた田宮謙次郎さんが5日午前10時42分、脳内出血のため茨城県筑西市内の病院で死去した。82歳だった。1949年(昭24)に投手として阪神に入団。1年目に11勝をマークするも左肩を痛め、52年のシーズン中に外野手に転向。58年には首位打者を獲得し、巨人・長嶋の3冠王を阻止した。大毎では60年の優勝に貢献。63年に現役引退後は東映の監督を務めるなどし、2002年に野球殿堂入りした。

◆ 近年は同郷の後輩・井川を叱咤激励 ◆

 タイガースをこよなく愛すがために、歯に衣着せぬ辛口批評で後輩たちを奮い立たせてきた名物会長が静かに逝った。第4代阪神OB会長を1984年から2001年まで、17年にわたって務めた田宮氏が茨城県筑西市の病院で脳内出血のため82歳で亡くなった。

 田宮氏といえば、近年で一番印象に残るのは同郷の後輩である井川慶投手(30=ヤンキース3A)への叱咤(しった)激励。“後見人”を自認し、井川が米大挑戦の夢を口にした時には「メジャーに行くなら恩返ししてから。勝ち星が少なくても防御率が1点台、0点台なら誰も文句は言わないだろう」と持論を展開。星野SDが監督に就任した02年には「タイガースの泥沼を救えるのは星野君しかいない」と断言するなど、その言葉に重みがあった。

 数年前から体調はよくなかったが、昨年11月に白血病を発症し、市内の病院に入院。12月初旬から2週間、抗ガン剤投与治療を受けた。治療の効果もあり、年末に退院した。今年の正月は自宅で迎え、その後、周囲の手を借りながらも、日常生活ができるまでに回復していた。

 長男の孝志さんは「昨夜は元気だった。リビングの隣の部屋で寝ているので、今朝は寝息も聞こえていたので、よく寝ている感じだった。しばらくしても起きてこないので見に行ったら、心臓も呼吸も止まっている状態でした」と、この日朝の状況を説明。すぐに救急車で市内の病院に運ばれたが、死亡が確認された。

[ 2010年5月6日付 ]

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