そもそも普天間移設の議論は1995年の米兵による少女への暴行事件が契機となった。1996年の日米首脳会談で橋本首相がクリントン大統領に対し「普天間返還」に言及、そして日米政府は「普天間移設」に合意した。ここで重要なことは「返還」でなく「移設」に合意したことである。しかしながら、合意時点で移設先は明確には決まっていなかった。
沖縄県の世論は県外移設を強く求めたが、結局、政府はキャンプ・シュワブ沿岸を提案。当時の太田県知事が政府案を拒否し、今日に至っている。鳩山首相は5月末までの解決を目指しているが道は平坦ではない、相当大きなハードルを越えなければならない。民主党の一員として総理を支えていかなければならない立場として、先日訪問した沖縄の状況と、アメリカと日本の関係のあり方を論じてみたい。
4月21日、自民党谷垣氏との党首討論で鳩山総理は「沖縄県民の負担をもっと少なくしていかなければと思った。そう愚直に思ったことが間違いでしょうか」と発言した。私はこれが鳩山総理の本心だと思う。私も4月19、20日と沖縄に伺い、宜野湾に住んでいる方の「ヘリコプター夜間演習の爆音」や、70歳を越えた方からは太平洋戦争で5人の家族を失い戦争孤児になったこと、普天間基地にあった土地が撤収されたといった話を聞いた。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争における米軍基地の動きなど長年の米軍駐留に対する思いも教えてもらった。
沖縄の方々の声を聞き、私はこれらの声に鳩山首相は押されて「普天間の県外移設」を決断したのだと確信した。ただ一方で、大きな声ではないが、基地の県内維持を望む声もあった。基地に土地を貸しているおばあさんとお会いしたが、「いまさら基地が帰ってきても耕すことはできない」とこぼしていた。また、基地に土地を貸して地代を得ている人は3万9,000人、借地料は年間900億円となる。基地で働いている人は1万人弱で公務員に準じる身分となっている。
また、昨年10月、私はワシントンDCに行き、ダニエル・イノウエ上院議員や米国務省のスタッフと話した。私は彼らの口調などから普天間移設問題は「現行案」に拘っていると強く感じた。現行案の微修正しかありえないとの発言(その時に米側から妥協の限界として指摘されたのが25日の新聞記事となった「キャンプ・シュワブ沖修正案」。新聞記事を見て米側のこだわりが感じ取れた)だった。キャンプ・シュワブ沖移設以外の選択肢は米側には受け入れられないと私は感じたのだ。
特にダニエル・イノウエ上院議員からは、
1) 基地移転の問題は政府間の約束である。政権が変わったからといって無視はできない
2) 基地の配置見直しは世界レベルで行っており、沖縄の基地移転が遅れると海兵隊のグアム移転だけでなく世界レベルでの計画が狂う
3) 基地移転はまずは高い安全保障の観点から議論しなければならない
の3つを指摘された。
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ダニエル・イノウエ上院議員(中央)との対談の様子(左:筆者)