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強制労働の中国人、西松と和解

2010年04月27日

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父親の写真を掲げ、和解を評価する張さん(手前中央)=東京都千代田区霞が関1丁目

 戦時中に県内の信濃川でダム建設などの強制労働を強いられた中国人元労働者らと西松建設(東京)の和解が26日、東京簡裁で成立した。中国から来日した遺族らからは「国や加害企業が和解していくきっかけになってほしい」などと歓迎の声が上がった。(柄谷雅紀)

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 和解成立後の記者会見で、中国人労工聯誼(れんぎ)会信濃川分会の張造領会長(58)は「父はこの場に立ち会えなかった。しかし、(和解には)とても重い意義がある。父も安心してくれると思う」と話した。

 張さんの父の尽文さんは和解に向けて協議を進めていたさなかの昨年12月、病気のため89歳で亡くなった。

 張さんによると、尽文さんは戦時中、河北省で農業を営む傍ら抗日運動をしていた。23歳の時、密談しているところを旧日本軍に見つかり、日本に強制連行された。

 それからは土砂や岩石を運ぶ作業に従事させられた。朝早くから夜遅くまでの肉体労働。食事はトウモロコシや雑穀の粉ばかり。服は布切れでできたものが1枚支給されるだけ。紙袋を体に巻き付けて寒さをしのいだという。

 張さんは、尽文さんが亡くなる直前、左右の足の親指の大きさが違うことに気付いた。理由を尋ねると、尽文さんは「足が凍傷にかかって、靴を無理やり脱がした時に肉がはがれた」と話した。張さんは「奴隷よりひどい。きっと強制労働の苦痛を一生忘れたことはなかったはずだ」。

 張さんは「父はずっと和解を期待していた。しかし戦時中に強制労働させられた人たちは約4万人。もう一歩前進して、全面解決になるように願いたい」

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