三十路つれづれ草紙

根っからの文系人間が、三十路にしてIT会社へ。PMSとうつと泥沼の失恋を乗り越え、ぎりぎり社会復帰!結婚もしちゃった。

これでおしまい

2010年05月02日 18時54分18秒 | Weblog
さてさて、2006年からぼちぼち書いてきたこのブログも、もうおしまいにしよう。
退会届を郵送したので、受理され次第、削除となる。

ちらっと読み返してみて、この数年の激動っぷりに唖然…
恋に浮かれて、溺れて、何とか岸にたどり着き、夫とも巡り会った。
それまでは十年一日のごとく、何もない人生だったのに。

結婚したって人生の荷物が軽くなるわけじゃない。
むしろ背負うものは増えたわけだが。

それでも、生きてて良かったなぁ、としみじみ。
心穏やかな今の日々が愛おしい。

死んだ方が楽だと思い続けたあの頃。
出口がないと思い込んでいたけれど、ぬかるむ道を行きつ戻りつ、転びながらも、私は出口を目指していたんだな、と思える。

支えてくれた友人、家族、そして夫に心から感謝します。
それからこのブログを読んでくれた皆様、ありがとうございました。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

2010年04月11日 00時09分17秒 | 結婚
用があって休日に義父母の住むマンションを訪ねることがあるのだけど。
その度に、駐車場には義妹の夫の車があり、もちろん彼が義妹実家に寄り付くわけはなく、義妹が乗って来ているわけだ。
今、どれだけの頻度で義妹が来ているのか知らないが、我々が行くと必ずいる。

マンションの鍵を、私も夫も持ったままでいた。
出て行くときに返そうとも思ったが、
「いいよ、持っとけば。これからもマンションのローンは、俺たちが払うんだから」
と夫が言ってくれた。
それは、もやもやした気持ちを抱えて家を出る私への、ねぎらいや、慰めのように感じられた。

でも先月の訪問時のことだ。
「鍵を返してくれる?こっちも使うから」
と義母に切り出された。
義妹用に必要なのだろう。
でも、予備がもう一本あったはずだし。
夫でなく、私が返すのが当然、みたいな空気もすごく不愉快だった。

どうせ出て行った嫁ですよ。
この家で私だけが他人ですよ。
まあ、心の壁を作っていたのは私の方かもしれないし、鍵を返せと言った義母に、他意はなかっただろうが。

「夫婦で一本持ってればいいよね。一本返してくれる?」
なんて言い方をしてくれたら、角が立たなかったのに。

あのマンションに、いつか戻る日が来るのだろうか。
正直、今は考えたくもない。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

二人だけの出発

2010年02月21日 01時27分03秒 | 結婚
出て行くと決めたら、せっかちな私たち。
年末に決意し、年明けに不動産へ行き、早々にアパートを契約してきた。

義父母が暮らす家の家賃を払い続けること、そこには義妹親子が居続けるだろうことが、私は悔しくて仕方ない。苛立ちの元から解放される喜びと、義家族への怒りが交互に訪れ、常に神経が高ぶって、夜はほとんど眠れなかった。

あくまで波風を立てたくない夫は、「仕事の都合で」都内に引っ越すと、義父母に伝えた。イヤミのひとつも言いたい私は、出がけに
「金銭的に大変ですけど、頑張ります」
と言ってみた。通じたかしら

そして1月末の引っ越し当日、私は一足先に新居で掃除をしながら待機。その頃旧居でトラブル発生。私が見積もりで伝えたよりも実際の荷物が多く、決められた点数での契約だからと、業者に運んでもらえなかった。残りの荷物は夫が軽自動車に積み、何往復もする羽目になった。しかも荷づくりが中途半端だったから、義父母と身重の義妹まで、荷づくりと運搬を手伝ってくれたそうだ。ああ、とんだダメ嫁

新居は快適
通勤も楽になったし、洗濯物は自分のタイミングで好きなだけ干せるし、台所も私だけのもの。同居だとどうしても「義母の家」感が拭えず、家事も消極的だったが、今は良く動くと夫に感心されている。私が穏やかだと、夫も安心して機嫌よくいられるようだ。つい2ヵ月前までは、離婚も考えたのにね。

しかし築30年のマンションは気密性も低く、水回りも微妙に使いづらい。新築マンションの快適さを、改めて知った。

ところで先週、残した荷物を取りに、夫と二人で旧居に行った。義父母はそれぞれ個室を手に入れ(寝室が完全に別になった)、居間にはプラスチックの小さい家が置かれ、子供の城になってた。義妹の部屋は特になし。自分の家に帰ってた。面白すぎて、もう笑うしかないわ
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

出発に向けて

2010年02月21日 00時50分16秒 | 結婚
出て行くと決めたものの、心配なのはお金のことだった。

二世帯風に暮らす我が家では、水道光熱費は折半、食事は義父母と私たち夫婦で別に作って食べているので食費も別々。しかし義父母は借金返済中の身。マンションのローンは今までもこれからも、私たちが払っていくのだ。家賃の二重払いは相当厳しい。それに私が妊娠出産で働けなくなったら、やっていけるのか。

金銭の不安から、夫婦揃って情緒不安定になり、相変わらずケンカが絶えることはなかった。

「お前のワガママで家を出る羽目になった」
「このマンションは、ばらばらになった家族が集まれるように買ったんだ」
と夫。夫にとっては一生の買い物だった、夢のマイマンションだ。離れるのは苦渋の決断だ。

「俺の家族を悪者にするな」
「俺の家族が何かしたわけじゃないだろう」
「みんなお前に良くしてくれるだろ」
私の主張はとにかく「夫の家族が居るだけで不愉快」って事だから、そりゃ夫には不愉快だろう。義父母が経済的に破たんしていることも知って嫁いできた。見通しが甘かった。でも私が全部悪いのか?君の家族に問題はないと、胸を張って言えるのか?

それでもマンションの管理費2万3千円を、義父母に払ってもらうことにし、夫の会社からは、家の事情を知った上司の計らいで、特別に家賃補助3万円が支給されることになった。家計管理が苦手な私も、毎月の出費を試算して、貯金もしつつ、何とかやっていけるとの手ごたえをつかんだ。家賃や水道光熱費等の固定費以外の出費を、夫婦それぞれの小遣いと食費、雑費に大別し、袋分けで管理することにした(遅すぎ?ダメ主婦

さらに義妹の妊娠が発覚。つわりや出産で、今まで以上に入り浸るだろう。なんてタイミング!!神様に背中を押された気分だった。

ということで、すっかり腹が決まった
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

その後の私たち

2010年02月21日 00時09分44秒 | 結婚
一年以上のご無沙汰です。
もうこのブログも消去しちゃおうと思ってるんだけど、とりあえずご報告。

2008年秋、結婚式・新婚旅行はつつがなく済ませた。
2009年夏、妊娠が判明するもわずか5週で流産。
検査の結果、体には何の異常もなく、今は漢方薬やサプリを飲みつつ、ベビ待ちの日々。

私の務める会社は傾き、給料は10%カット。
リストラの危機もやって来るのか!?
せちがらいですな

さて、2009年の9月から義妹が働き出した。2歳の姪っ子は保育園に入った。当分平和だなぁ、と思っていたら。

「保育園で1日中泣き続けてかわいそう」
と、義母が姪をうちに連れてきた。で、そのまま住みついた。義妹は毎週平日に3、4泊する。

なんだって二親揃って、住む家もある子どもが、祖父母の家に住むんだ?義妹夫婦はどうなってるのか?夫によれば、義妹の夫は子供に無関心で、夫婦二人だけだと仲良くしていられるらしい。でも自分の妻が実家に入り浸りなのは面白くないとか。いやいや、私の方が100倍面白くないよ

鬼嫁ぶりを発揮し、無言の怒りと圧力をまき散らす私と、一応気を遣っているのか、私が帰宅すると部屋に引っ込み、いるかいないかわからないくらいの義妹。しかし二世帯住宅ですら小姑の入り浸りが不愉快、って声も聞くのに、狭いマンションでこの有様。

私のイライラは募る一方で、年末には夫婦げんかが絶えず、私たちはもうダメかもしれないと思った。
「もう二人で出て行くか?」
夫がそう切り出しても、まだまだ解決とはいかなかった。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

ごぶさた

2008年10月28日 01時29分30秒 | 結婚
久しぶりにセックスをしようというその時、つるべ君(仮名)は言った。
「ペコちゃん(仮名)一人だけならいいだろ?」
は?姪のペコちゃんがどうしたって?
「妹が来るのはイヤでも、ペコちゃんを預かるのならいいだろ?お袋達もかわいそうだし、妹も辛そうだからさ」

何でも、義妹は某SNSにて、娘を保育所に預けたら大泣きして大変だった、夫に「お前が甘やかすからだ」と言われてキレた、と書いていたそうだ。赤ちゃんが母親と離れて泣くのは当然じゃないか。その夫も無理解だな、とは思う。
「出かける用があって、1日2日預かるならもちろんいいよ。でも前みたいに4,5日も預かるようなことが何度もあったら、それは子供の為にも良くないでしょ(っつーか、育児放棄で児童福祉局に通報しちゃうぞ)」
とは言ってみたものの、このタイミングでその話。信じらんない。
「なんだよ、そんなムスッとするなよ」
そう言われても。気持ちがふさいで言葉がつかえる。
「別に来るなって言ってるわけじゃなくてさ、月に1度、ちょっと泊まりに来るならいいよって、お袋に言ったんだよ。そしたら『でもヒロコさん怒るでしょ、すごく』って心配してたよ」

結婚式に欠席すると義妹から通知があったばかりで、こちらも冷静に話ができる状態じゃない。第一、兄弟の慶事を欠席するのだから、そちらも相応の覚悟をしているはずだ。すぐに元通りに行き来するなんて、あまりにムシが良すぎる。
「まあ、あいつも頑固だから、当分は来ないだろうけど」
ええ、そう願いますよ。

それからつるべ君は、ヒロコは外から来た人間だから、この前は自分が味方になったけど、家族全員にとって一番いい状態を探らなくちゃいけない、と説教した。ごもっとも。まったくもってその通りだけど。やっぱりこの人も、嫁いだ人間は他家の人、という意識がないんだなぁ。「家」という概念を持ち出すと前時代的だが、そうじゃなくて、新しい家族を持った彼女は、いつまでもここの家の娘ではいられないはずだ、と私は思うのだ。それはここの家の娘になりきれない、私のひがみかもしれないけれど。

そんなこんなでケンカになって、もちろんセックスなんて雰囲気じゃなくなった。毎日子供のようにべたべた甘えてくるくせに、性交はほとんどしない夫。セックスしない人を男性として愛するのは困難だ。女性の性欲はメンタルと深く結び付いているから、男性のように自分でピュッと出してすっきり、とはいかない(あけすけで失礼)。夫にはそういう話もして、彼なりに努力してくれるが。

時々むなしくなる。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

決別

2008年10月23日 23時38分21秒 | 結婚
さて、前回ごちゃごちゃ書いたけど、単純な話、自分の領域を侵害されると、人は恐れや怒りを抱くわけだ。実家で自由に過ごす義妹を見ていると、慣れない環境で頑張っている自分がばからしくなるのだった。

彼女が出て行ってから、義母は残った荷物をゆうパックで送ったようだ。つるべ君(仮名)はしばらく寂しそうだった。
「このマンション、頭金はあいつが出したんだよ。みんなで協力して買ったんだ」
そんな事情もあって、後ろめたいのだろう。もともと兄妹で仲が良かったし、姪も可愛がっていた。

先日つるべ君あてに、差出人の書かれていない封書が届いた。消印を見てすぐにピンときた。案の上、義妹から結婚式を欠席するとの書状だった。こないだまで赤ちゃん用のドレスも買って、親子で出席すると言っていたのに。いさかいがあったからって、兄弟の結婚式に出席しないなんて。
「私たちそんなに恨まれてるの?」
つるべ君に問いただすと、
「もう、そういうのやめて。ほんとにやだ」
と、本当に嫌そうな顔をした。

つるべ君は、私と義父母の仲がこじれるのを恐れて、常に間に立ってくれていた。私から義父母や義妹に何か言ったことはない。その件には本当に感謝している。また、他人に言われたら余計意固地になるからと、妹の夫にも何か言うことはなかった。でも私たち夫婦には、文句を言う権利と義務があったんじゃないのか?時間が経つにつれ、彼女の夫に腹が立ってきた。自分の妻が家庭を放棄して実家に入り浸り。それをほっとくなんてどういう神経だ。しかもここには、兄嫁という赤の他人が同居しているんだぞ。彼がこの家に来た時は、部屋に引きこもって家族とも会話しなかった。そういう性格なら、他人との同居がどんなにしんどいか想像つくだろう。子供もいるんだから、もっと夫婦でしっかりしてくれよ。

とやかく言っても始まらない。結婚した人間が帰るべきは、夫婦の家。夫婦の問題は当人同士で解決するしかない。私にできるのはただひとつ、つるべ君に義妹の悪口を言わないことだけだ。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

今日という日は遠い昔の続きの日

2008年10月09日 00時54分29秒 | 結婚
感情の90対10の法則という記事がある。それによると、強い感情の90%分は子供時代の感情、残りの10%が大人として感じる分だそうだ。つまり、癒されなかった過去の感情が刺激されて、激しい感情が起きるということ。

義母が義妹につるべ君からの話を伝えた時、
「私なんか来なけりゃいいんでしょ!」
とへそを曲げて帰ったそうだ。義父母が向こうに泊まりに行ったのは、いわば彼女のご機嫌伺いだったわけだ。私も彼女も、おそらくネに持つタイプ。この先うまくやって行けるのか、心配ではある。

義妹がいるとイライラが止まらなくなる。なぜそんなに彼女がイヤなのか、その考察をしてみよう。

まず一つは、自分が親に甘えたことがないから感じる嫉妬。自分が実家に帰って親を頼るなんて、想像もできない。私は子供の頃から、
「ヒロコは将来お嫁に行っちゃうから、この家には必要ない。関係ない人間だ」
と常に父に言われていた。わざわざ弟に言い聞かせていたこともある。やがて来る娘との別れに備え、心の準備をしているのだろうか、と以前は善意に解釈していたが、どうも違う気がしてきた。父は単純に女というものが憎く、娘の私を傷つけたかったのだろう。あるいは子供に対して、絶対的存在である父親の優位を示したかったのではなかろうか。

義妹は非常につわりも重く、難産だった。まだ私たちが恋人同士で同居もしていなかった頃、
「妹は1度妊娠で失敗してるから、今度こそ幸せに産んでほしい」
と、つるべ君が言った。過去に失敗してるのに、今度はできちゃった婚?その時の率直な感想は、彼女は正しい避妊法を学ばなかったのか、という疑問だった。

人それぞれ事情はあるし、私がそんなふうに他人を裁く権利などない。それでも憎しみに似た感情が湧いてくるのは、彼女に母の面影を重ねてしまうから。自分が生まれてきたことに屈託があるから、産まない母(かつて中絶した彼女=自分の誕生を否定する母)も憎いし、産んだ母(娘を産みながら、実家に預けてばかりの彼女=自分を産み捨てた母)も憎い。いや、別に捨てられていないけど、父の折檻から一度も助けてくれなかった母は、私にとって心理的に「産み捨てた母」なのだ。

うちの親だって、私を愛しているのはよくわかっている。私だって親に対して人並みの愛情を抱いているが、それと同じくらいの憎しみも付いてくるから、いつも引き裂かれる思いがする。つるべ君は複雑な家庭に育ちながらも、とてもまっすぐで前向きな精神の持ち主だ。彼を見習いたい。過去は過去だと、いつの日か割り切れるように。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

おそらくは平穏な日々

2008年10月05日 23時37分14秒 | 結婚
8月半ばのことだ。義妹のことでカリカリしていた私のために、夫が義母に話してくれた。
「あいつ大丈夫なのか?このままじゃ離婚するぞ。お袋達も孫がかわいいのはわかるけど、もっとけじめつけなきゃ」
ああ、ありがとう、つるべ君(仮名)
義母はただ笑っていた。わかってくれたのだろうか。鬼嫁が言わせたと思われませんように。ま、実際私が言わせたんだけどさ(笑)。

そのころ我々夫婦は義妹のことで度々ケンカし、不機嫌でいた。その空気を察したのか、義妹はビールやつまみの差し入れを残し、2泊しただけで帰って行った。しばし平穏が続いた。それもたったの2週間…。

4、5日子供だけ預けて行くことが2度ほど続き、その次には何事もなかったかのように、母子で滞在。子供を送って行った義母が、彼女の家でとうとう注意をしたらしい。すると義妹はすごい剣幕で、
「わかったよ、もう行かない!」
と怒鳴ったそうだ(つるべ君談)。

それなのにわずか1週間後、会社から帰ると玄関にはベビーカーと彼女の靴が。脱力とともに怒りがこみ上げる。だが手作りした結婚式招待状を手渡し、努めて冷静にふるまう。その日からなるべく残業や外出をし、家にいる時間を減らした。それにしても、彼女は週末になると夫と待ち合わせて出かけ、外泊する。それなら子供も連れて行けばいいのに。仲がいいのか悪いのか(それとも他の男?と勘繰りたくもなる)。たまに夫婦2人で出掛けるのならいいけど、こうしょっちゅうだと、うちは無償の託児所じゃないのよと、文句を言いたくなる。

彼女がやって来て1週間が過ぎたころ、私のイライラもピークに達し、あちこちに愚痴りまくる。
「あんなに家を空ける妻も、それを許す夫も、受け入れてるこっちの両親も、みんなおかしいよね!?」
「それはつるべとよく話し合って、向こうのダンナと妹呼んで話つけたほうがいいね」
そうアドバイスしてくれる、つるべ君との共通の友人、ジャイアン君(仮名)はバツイチ。
「津路さんたち、結婚までが早すぎたよね。ほんとはもっと付き合って、お互いの家族をよく知ってく必要があるんだよ」
ジャイアン君の元妻は、姑と相当折り合いが悪かったと聞いている。現在の彼女と婚約していながら、なかなかその先に進まないのは、やはり何か躊躇するところがあるのか。でも、家族がどうでも結局は本人同士の問題じゃなかろうか。2人で乗り越えていけるか、その意思があるかどうかが鍵じゃないんだろうか。

10月2日の夜、義妹が外泊中で子供だけうちにいた。私のいない間につるべ君が再び義母に話をした。ヒロコがかなり参っている、そんなに実家にいるなら向こうの夫婦がうちに住めばいい、自分たちは転勤の申し入れをして家を出る、とまでいったらしい。

翌日、義父母は子供を伴って向こうの家に行き、そのまま泊まってきたようだ。向こうの旦那にお説教、という両親ではないが、一体何を話してきたのか気になる。
「あいつ逆恨みするから怖いんだよな…」
と、つるべ君は言う。義父母は再婚同士で、つるべ君には異母、異父兄弟が4人いる。しかしそれぞれの継母、継父と折り合いが悪く、今では絶縁状態になっている。残された妹との絆は、大切にしたかったのだろう。板挟みで辛かったんだよね。つるべ君にはほんとに感謝している。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

それぞれの領分

2008年08月09日 04時30分32秒 | 結婚
うつの引き金となる人生イベント、それは引っ越し、結婚、転職、パートナーとの別離等々。このブログにはその全てが満載だね(笑)。環境の激変で、結婚当初は本格的にうつがぶり返したが、もう今は健康そのものだ。だが時として、結婚は当人同士ではなく、家族がトラブルの引き金となる

義妹は家出から1週間後、旦那が迎えに来て帰宅した。と思ったらその1週間後、子供を預けてゴルフに行った。さらにその1週間後、またもや母子で滞在。

義妹が来るという日、私はひどく憂鬱になり、会社帰りにだらだらと寄り道をした。夫は新しい職場で苦労している。愚痴を聞かせてもいいものだろうか。迷いながら、「家に帰りたくない気分」とメールした。すると「仕事早く切り上げるから、ファミレスでご飯食べてなさい」と返事。

ビールと定食と、おかわりに梅酒のロックを飲みながら、待つこと1時間半。
「遅くなってごめんね」
と夫登場。私の手を取って、
「苦労かけるね。…泣いてたの?」
「泣いてないよ」
泣きたかったけど。彼女が来ると私が不機嫌になるのを、夫は知っている。けれど義父母の孫可愛さ、義妹の結婚生活が順調でないことなど、仕方のないことだと言う。それでも私は思う。けじめがなさすぎると。

リビングに、封の開いた生理用ナプキンの袋が、無造作に置かれている。買ってきた下着がそのまま放り出されていたこともある。その無神経さが癪に障る。私は男ばかりの実家で、性的な事が恥ずかしくて忌わしくて、必死に隠してきたのに。と、筋違いな怒りまで湧いてくる。いかん、冷静になろう。

旦那一人を悪者にして、自分は実家に逃げて楽をしている。向こうの旦那にしてみたら、そんな感じじゃなかろうか。彼女には、いつまでもこの家の子供でいないで、新しい家庭で頑張ってほしい。ああでも、長男の家に嫁いでしまったら、こんな事って当たり前?ぐちぐち言ってる私も甘いの?ああ
コメント (0) | トラックバック (0) | goo