巻頭言
 毎日新聞「異論反論」は4人のメンバーが持ち回りで持論展開するコーナーだ。
 僕は「論客」というタイプではないし、政治とか難しい問題を聞かれても困るなぁ、と思っていたら担当者から僕に廻ってきた質問は「出版不況をどう考えればいいでしょうか?」だった。
 
 うん、これなら考えられるな、と思って引き受けた。
 で、先週の水曜朝刊に掲載されたのが、以下のコラムだ。
 
 
*************コラム開始***************
 本が好きだ。本に囲まれた生活こそ理想と思っていた。でもそれは幻になりつつある。
 HDレコーダーという家電がある。内蔵HDにテレビ番組を何百時間も録画できる便利な機械だ。買った人はみんな「タダだからバンバン録画してる」と語る。「でも、見る時間がないんだ」
 だから若い人はドラマを倍速再生で見る。倍速でもちゃんとセリフや音楽が聞きとれる機種が売れている。
 考えてみると本も同じだ。買ったら終わりでなく、読む時間が必要。読書する時間をみんな苦労して工面している。速読が流行っているのは、倍速再生と同じ理由なんだ。
 時間がないしお金も惜しい。だからリスクのある本=「感動が100%約束されない本」は売れない。ベストセラー本は誕生するけど、出版全体が不況なのは当然だろう。
 言いにくいけど、あえて言い切ってしまおう。本を買っても、それはいわば頭金を払っただけ。「自分の時間」という最も高価なローンの支払いは済んでない。本棚に並んでいる未読の蔵書は財産ではない。「読書時間という未払いが残ってる負債」だ。「この本まだ読んでない」という後ろめたさ自体も負債なのだ。
 妻や家族が「まだ読んでない本がこんなにあるのに、また買ってきたの?」と呆れるのは当たり前なんだ。
 問題はまだある。HDレコーダー内の録画データは体積ゼロ。でも本は違う。日本の土地代は世界最高水準だから本を置く場所=家賃だってバカにならない。集めれば部屋が狭くなる。集めすぎると床が抜ける。私も蔵書用に借りたアパートの階下から「天井が垂れてきた」と怒られたことがある。
 本は買う瞬間がもっとも読書モチベーションが高い。それを逃すと、どんどん読む気が減少する。不況で出版社は次々と新刊を出して生き残りを図る。だからある本を読みそびれて数ヶ月もすると新版が出る。買ったけど読んでない本は「時代遅れの本」になってしまうのだ。だからブックオフでも買い叩かれる。
 「読んでない本は不良債権」という時代。いま本を買う人は、この負債を背負う覚悟のある、よっぽど読書が好きな人だけになってしまった。
 昔は本を買う人はもっといっぱいいた。「頭を良く見せたい人」だ。そんな人はネットをやる。小利口になるだけならネットで充分だからだ。
 私は本が好きだ。読書が私という人間を作った。本には他に代え難い魅力がある。人間を変える力があると信じる。
 でも出版不況の理由は、はっきりしている。「本当に本が好きな人以外は、誰もこんな面倒なものに手を出さなくなった」からだ。
 以上、本好きには不快な話だったかもしれない。読書で気分転換をお勧めする。少しでも負債を減らしてみよう。
*************コラム終了***************


 毎日新聞にこれが掲載されるとすぐ、twitterで感想や異論・反論などの反応が始まった。ブログで取り上げてくれた人もいるみたいだね。
 
 でもね、ここで考えちゃうんだよ。
 これらtwitterやブログの意見、本来なら毎日新聞にこそ寄せられるべきだったんだよね。もともと、こういう意見の吸い上げこそマスメディアの役目だったのかも知れないけど、すでにそういう時代じゃないのかなぁ。
 
 こう考えてみた。
 マスメディアは情報の「デパート」だ。そして「デパート」の役割は昔と今は違う、と。

 以前は、意見がある人は新聞の投稿欄に投書するか、たいへんな苦労をして自著を出版して世に問うしかなかった。新聞・テレビ・雑誌などのマスメディアは「意見を世に出す」ことに関してほぼ独占状態。
 そういう時代、マスメディアは「店が他に一つもない町に、デパートが一軒だけある状態」だった。
 とにかくモノを買うためには、ここしかない。だからみんな憧れの目でショーウィンドーを眺め、穴が空くほど陳列を見つめた。流行はすべて、町で唯一のこのデパートが発信地だった。
 海外のいいものも、展覧会や美術展もすべてデパートで学び、買う。
 デパートはお店であると同時に、教育機関でもあったんだ。だから商売気を抜きにして、損してもいいからといろんな事業やフェアをやっていた時代もあった。
 これが昔のマスメディア、情報流通を独占していた時代の姿だ。
 特権のあるところ、義務もあり。なんだかんだで使命感や正義感の強い人が、いまでも多くいるんだよ。

 しかし情報ネットの発達で、それこそ小学校でブログ作成法を教える時代になっちゃった。
 誰でも情報が発信できて、マスメディアより素早く軽快に動く。
 もちろん、マスメディアのような「記事の中立性」「情報の信憑性」は保証できない。出来不出来にはものすごい差があるし、中には詐欺同然というか詐欺そのものもある。
 
 これは、さっきのたとえ話で言うと「デパート一軒しかなかった町に、アヤシゲだけど品揃えだけはとびきり面白そうな小さいお店が乱立してる」という状態なんだよね。
 小さいお店はすぐ品揃えが変わる。目を離すといつの間にか倒産してたりお店が変わっていたりする。だからいつも新しくて面白い。
 それに比べてデパート?品揃えはあんまり変わりばえしないし、第一高いじゃない?
 
 そういうわけで、デパートは低迷の時代に入ってしまった。
 
 「情報のデパート」、マスメディアも同じだ。
 みんな、「信頼性」「プロの正義感」「プロの使命感」「プロの記事クオリティ」よりも、「多様性」「独自性」「FREE」「速度」を選ぶようになった。
 
 マスメディアが、発信する情報に信頼性を持たせようと思ったら、取材とチェックとフィルターに時間をかけるしかない。多様性や独自性、速度は落ちて当然だ。人件費もあるからFREEにはできない。
 マスメディアは、これまでのビジネスモデルに執着してる限り、撤退戦しかあり得ないんだよね。僕みたいに新聞や雑誌の黄金時代を知ってる人間にとっては、哀しい話なんだ。
 
 新聞やテレビなどのマスメディア不振の原因は、いろいろあるだろう。でも僕は以上の理由で「しかたないこと」だと思っているよ。
 
 六本木ヒルズの講演でも話したことなんだけど、IT革命というのは「失業者しか生まない革命」なんだ。
 amazonの成立で、別に誰も得をしていない。読者にとって本が安くなったわけじゃない。出版社にとって本の仕切り値が上がったわけじゃない。amazonの従業員たちもとびきり給料が高いわけじゃない。
 でも、取次や全国の書店は大ダメージを受けている。
 IT革命、Web2.0時代。どんな言い方をしてもいいけど、ネット社会でのビジネスモデルというのは、つねに「ほんの一握りの富豪を生み出すかわりに、数万倍の失業者を生み出す」んだ。
 ウソだと思うなら、いままで成功したネット会社のビジネスをよく見てご覧。それで創出した雇用より、発生させた失業者の方が多いから。
 
 ネットはビジネスを終わらせる。
 新しいビジネスモデルの模索が必要なのではない。
 ビジネスという概念そのものが終わろうとしているんだ。
 
 新聞も同じだ。
 ペーパーレス化、会員制課金方式、宣伝媒体化。
 いろんな方法があるだろう。
 頭のいい人が総掛かりでいろんな方法を模索しているから、「新聞」は生き残ると思う。
 でも「新聞で生活している人」は間違いなく激減する。それがネット社会の本質だから。
  
 回復の方法は、僕と同じく「FREE化」しかないんじゃないかな?
 つまり「新聞を作る→購買者が買う」というモデルではなくて、「サポーターが新聞社に金を出して支える→新聞社は記事を作り、FREEで情報を配布する」という流れに切り替える。
 
 もちろん、サポーターたちが納得できるように新聞社は経営を大幅に透明化・合理化しなくちゃいけない。すべての部局は「なぜ新聞社にこの部局が必要か」を説明できなくちゃいけない。新聞という紙媒体に固執するなら、予算の中から印刷費と材料費を捻出する理由、すなわち「記事の信頼度やクオリティを下げてまで紙に印刷して配布する理由」を説明できなきゃいけない。
 サポーターたちには、よりくわしい記事やバックナンバー、あるいは「紙に印刷された昔ながらの新聞」という贅沢品が与えられるかもしれない。
 単なる栄誉だけかもしれないね。
 
 こうすれば、新聞は生き残れるだろうか?
 でも、この方法でも生き残れるのは「新聞」であって、「新聞で生活している人たち」じゃないよね。
 おそらく半分近い人が職を失うことになっちゃうんだろうなぁ。
 
 新聞、これからどうなっちゃうんだろう?
 毎朝、珈琲といっしょにあの紙とインクの官能的な匂いをかげるのは、いつまでなんだろうね。
 
 う~ん、湿っぽい話になった。ごめん。
 今日はここまで。
 じゃ、また明日ね。