平成15年11月号(通巻41号)より
高校教科書問題  第2弾
中学校よりひどい高校日本史
従軍慰安婦も三光作戦も野放し
高校日本史教科書への関心が高まる
  本誌前号(9月号)で、今年の四月に検定合格した高校用日本史教科書の内容について、「南京事件」と「創氏改名」の記述に焦点を当て、「中学校よりひどい高校日本史」と題した論考を掲載しました。この論考は、本会の運動の成果もあって自虐的な記述が減ってきている中学校歴史教科書の陰で、より自虐度を強めている高校教科書の内容をテーマごとに検討し、その問題点を浮き彫りにして、皆様に情報として提示することが目的でした。

  お陰様で、読者の皆様から大きな反響がありましたので、今号ではその続編として、中学校の教科書からはほとんど消え去った「従軍慰安婦」と「三光作戦」が、高校では堂々とまかり通っていることを、その記述を中心にとくとご紹介します。
 
  なお、高校日本史教科書がどの出版社から出版されているかについては本誌九月号を、一部の高校教科書に本会や『新しい歴史教科書』を誹諺中傷する記述があったことについての詳細は本誌五月号をそれぞれ参照してください。

 それでは、まず高校日本史教科書のいわゆる「従軍慰安婦」に関する記述をごらんください。
従軍慰安婦の記述
山川出版社(新日本史)
また、多数の朝鮮人や占領地域の中国人を、日本に強制連行して鉱山などで働かせ、さらに朝鮮人女性などのなかには従軍慰安婦になることを強要された者もあった。[356頁]

三省堂(日本史A)
占領地では、日本は軍政をしき、人びとを強制的に労働者や従軍慰安婦などに動員した。(中略)さらに、朝鮮や中国などから多くの女性が前線に従軍慰安婦として連れていかれた。[126頁]

実教出版(高校日本史A)
1990 年代にはいると、「従軍慰安婦」や強制連行などについて、日本に保証を求める動きが噴出した。[171頁]
「従軍慰安婦」問題についても、韓国の女性団体を中心に真相究明と謝罪、補償を求める動きがおこり、1990年に韓国挺身隊問題対策協議会が発足した。[176頁]
1993 年には、「従軍慰安婦」問題についての調査結果の発表とあわせて河野官房長官談話を発表し、軍の
関与のもとに慰安所が設置されたことを認め、「慰安婦」とされた人々への「お詫びと反省」を述べた。[177頁]

清水書院(要解日本史B)
また、女性の中には、従軍慰安婦として、日本軍に連行される者もいた。[185頁]

第一学習社(高等学校 日本史A 人・くらし・未来)
近隣諸国との対話や交流が進む一方で、強制連行や「従軍慰安婦」の問題をはじめとする戦後補償をめぐる問題も残されている。[170頁]

 いわゆる「従軍慰安婦問題」について、これまでも本会や有識者が何度も指摘してきたとおり、日本軍や日本の官憲が女性を強制的に連行したという物的証拠はまったく発見されていません。この「従軍慰安婦問題」は、裏づけのない幾つかの証言に基づいているにすぎないのです。しかも、この問題の火付け役であり、「朝鮮人女性を強制連行した」と証言していた吉田清治なる人物の証言は、日本大学の秦郁彦教授の調査により、事実ではないことがすでに明らかになっており、本人もこれが虚偽の証言であったということを認めています。

 むしろ様々な状況証拠や元「従軍慰安婦」を名乗る女性の証言などから明らかなように、貧困のためやむを得ず両親に売られた、悪質な朝鮮人ブローカーに甘言でだまされて慰安所に売られた、というのが実態に近いようです。
 
  逆に、日本軍は、このような悪質な朝鮮人ブローカーを厳しく取り締まるよう命令を出すとともに、だまされて慰安婦にされた女性を故郷に帰すようはからったり、慰安所においては性病が流行らないように検査するなど、慰安所の質の向上に努めてきたということが証拠上明らかになっています。証拠のないいわゆる「従軍慰安婦」を、教科書に載せることは適当ではありません。

 そもそも「従軍慰安婦」という用語は、戦後になって作られたもので、あえて「慰安婦」を「従軍慰安婦」と呼ぶのは、日本軍が慰安所経営に積極的かつ悪質に関与したイメージや、「日本軍による慰安婦の強制連行」のイメージを植えつけ、末代まで日本人に謝罪させようとする政治的意図によるものです。歴史用語としても、「従軍慰安婦」という言葉は排除されてしかるべきでしょう。

 さらに、問題はこれだけでは終わりません。実教出版などの記述を一読すればわかるように、「従軍慰安婦問題」は戦後補償問題と関連づけられて記述されています。

 しかし、日本はすでに韓国とは日韓基本条約により、戦時問題を解決しています。それにもかかわらず、一切の物的証拠がない「従軍慰安婦」をもって問題を蒸し返し、日本にさらなる賠償を請求しようとするのは、日韓の本当の友好を阻害することにもなりかねません。

 現行高校教科書の記述は、歴史を冒漕するだけでなく、必ずや将来にも禍根を残すものといえるでしょう。

 なお、実教出版『高校日本史A』の記述に、「1990年に韓国挺身隊問題対策協議会が発足した」とありますが、「慰安婦」と「挺身隊」はそもそも全く別のものです。しかし、韓国では長い間「慰安婦」と「挺身隊」を混同して考え、この誤解にもとづいて日本批判が繰り返されてきました。この韓国側の誤解について何も触れないのは、教科書としてのバランスを欠き、公平ではありません。

 また、同じく実教出版『高校日本史A』には、「1993年には、『従軍慰安婦』問題についての調査結果の発表とあわせて河野官房長官談話を発表し、軍の関与のもとに慰安所が設置されたことを認め、『慰安婦』とされた人々への『お詫びと反省』を述べた」とあり、いかにも日本政府が慰安婦問題の実態を調査して、その結果軍の関与のもとに慰安所が設置された事実が明らかになったように記述しています。しかし、この河野官房長官談話は、まともな調査を一切せずにまとめたものであり、まったくもって実証性に欠けるものであったことは、当時の官房副長官であった石原信雄氏の証言により明らかになっています。実教出版の教科書は、この事実を隠しているのですから、高校生には一面的な情報しか与えられないことになります。これが教科書としてふさわしくないことは明らかです。
三光作戦の記述
山川出版社(詳説日本史)
とくに、中国共産党が華北の12農村地帯に広く抗日根拠地(解放区)を組織してゲリラ戦を展開したのに対し、日本軍は抗日ゲリラに対する大掃討作戦(中国側はこれを三光作戦とよんだ)を実施し、一般の住民にも多大の被害をあたえた。[341頁]


三省堂(日本史A)
中国戦線でも苦戦がつづき、戦線を縮小せざるをえなかった。そうしたなか、日本軍は各地で残虐行為をくりかえし、1940年から翌1941年にかけて、華北の共産党の支配地域で奪いつくし・殺しつくし・焼き尽くすという三光作戦を行なった。[118頁]

実教出版(高校日本史B)
中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940年〜43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃で「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という「三光作戦」をおこなった。[203頁]

実教出版(日本史B)
また太平洋戦争下の華北でも、中国共産党の指導するゲリラ戦に悩まされ、日本軍は1940年9〜11月に山西省中部の抗日根拠地に対する攻撃をはじめとして、しばしば「滅燼作戦」をおこなったが、これは「三光作戦(焼光ー焼きつくす、殺光ー殺しつくす、槍光ー奪いつくす、を意味する)として非難された。[333頁]

東京書籍(日本史A 現代からの歴史)
中国北部の抗日運動の根拠地にくわえられた弾圧を、中国側は、奪いつくし、殺しつくし、焼きつくす三光作戦とよんだ。[147頁]

実教出版(高校世界史B)
中国では、1940年ごろから華北を中心に、八路軍などによる住民をまきこんだゲリラ活動が活発になった。これに悩まされた日本軍は、抗日根拠地とその周辺をおそい、村ぐるみのせん滅をねらった(三光政策)。[219頁]


 いわゆる「三光作戦」は、その名前からして日本人は違和感を覚えるでしょう。「光」は中国語の「〜しつくす」という意味であって、このような用法は日本語ではあまり使わないからです(学研漢和大辞典によると、日本語の「光」にも「発散し尽くす意から、全部尽き果てるさま」という意味が俗語としてあるそうです)。

 この違和感がぬぐいきれなかったのか、山川出版社のように「中国側はこれを三光作戦とよんだ」などと、中国側からの呼称としているものがあります。しかし、これでは問題の解決とはなりません。敵側の戦時プロパガンダ用語を、歴史用語として日本の教科書に使用することが妥当でないことは火を見るよりも明らかだからです。

 さて、この「三光作戦」ですが、高校教科書の記述を一読しただけで、その暖昧さがわかります。たとえぱ、実教出版は、『高校日本史B』においては「1940年〜43年にかけて」、『日本史B』においては「1940年9〜11月に」、『高校世界史B』においては「1940年ごろから」と記述し、同一の出版社であるにもかかわらず、その時期の特定が一致していません。おまけに三省堂『日本史A』は「1940年から翌1941年にかけて」としています。

 たしかに複数の学説があり、いわゆる「三光作戦」と呼ばれているものは、一定期間継続して行われたものであると主張されているのですから、ある程度の幅がありうるだろうことは理解できます。しかし、教科書によってその時期が違うというのは、あまりにもお粗末です。せめて、同一の出版社の教科書ならば、何年の出来事なのかについてくらいは、統一してほしいものです。

 また、「三光作戦」なるものの実態についても、高校教科書の記述はそれぞれ不十分で、一冊の教科書を読んだだけでは把握することができません。ところが、複数の教科書をつなぎあわせてみると、実態らしきものが明らかになってきます。

 つまり「1940年ころから、華北において、中国共産党の指導の下、住民をまきこんだ抗日ゲリラ活動が活発になり、日本軍はこれに悩まされていた。そのため日本軍は、抗日ゲリラの掃討を目的として、共産党抗日ゲリラの根拠地を攻撃した。これを中国側は、『三光作戦』と呼んで非難した」ということです。

 当時、日本と中国が戦争状態にあったこと、住民も中国共産党の指導下で抗日ゲリラ戦を展開していたことを考えると、日本軍の行動は国際法に違反しない当然の軍事作戦にほかならず、これを中国側が戦時プロパガンダとして誇張して伝え、「三光作戦」と名づけて呼んだとしても、日本側には関係のないことです。ましてや、現代日本の高校生には、中国共産党のプロパガンダなどまったく覚える必要のないことです。

 ただし、右のように記述したとしても、いわゆる「三光作戦」に関する問題は残ります。それは、中国側から「三光作戦」は、いわゆる「南京大虐殺」とならび、一般住民に対する違法な虐殺行為であり、一般の戦闘行為とは同視できない、といったような主張がなされているからです。

 それでは、本当に「三光作戦」と呼ばれるような、違法な残虐行為があったのでしょうか。これは、「否」という他ありません。

 歴史家の田辺敏雄氏の『検証 旧日本軍の「悪行」』(自由社)によると、「三光作戦」と同義である「三光政策」という言葉は、日本軍に対してだけでなく、蒋介石軍(国民党軍)に対しても使われ、また文化大革命期においても、政敵を非難するための言葉として用いられているのだそうです。つまり、「三光政策」は、単に敵を非難するための形容にすぎないのです。また同書によると、「三光作戦」に関する日本人証言も、その曖昧さ、不正確さ、事実と異なる点など多くの疑問が残り、信憑性に欠けるといいます。少なくとも、歴史的事実として「三光作戦」なる残虐行為があったとは、現段階では断言できないようです。

 このように、事実として確定していないものを教科書に載せるのは、やはり妥当とは言えません。それが、日本をおとし貶める敵のプロパガンダならばなおさらです。

さらに監視の目を強めよう
 さて、前号でも指摘しましたが、このような異常ともいうべき反日的記述を含んだ教科書が、検定に合格してしまう理由は「近隣諸国条項」にあります。詳細については前号に譲りますが、この「近隣諸国条項」が撤廃されない限り、反日・自虐的な記述はほとんどノーチェックで検定を通過してしまいます。改めて「近隣諸国条項」撤廃へ向けた署名などの働きかけをお願いする次第です。

  しかし、「近隣諸国条項」撤廃は根本的な解決を目指すものであって、現在、有害な教育にさらされている生徒たちを守るような即効性を持つものではありません。そこで、現在の生徒たちが使用している教科書を即刻改めさせることも必要となります。

 幸い、本会の活動によって、中学校歴史教科書から「従軍慰安婦」の語句が削除されたという実績もあります。それも、多くの会員や同憂の皆様が教育正常化の声をあげられているお陰です。高校教科書にも、同様の作戦が有効なはずです。教科書会社にとっては教科書の採択(つまり売り上げ)が一番大事なのであり、思想は二の次なのです。「自虐的な教科書はもういらない」「日本を愛する教科書こそが子供たちに与えられるべき教科書だ」といった国民の声が、教科書会社に大きなプレッシャーとなって、教科書改善へとつながることでしょう。

  「近隣諸国条項」撤廃運動とならんで、高校教科書の監視も手を弛めずに、続けていきたいと思います。