解決済みの質問
三光作戦
yunokinatsukiさん
三光作戦
三光作戦ってなんで三つの「光」なんですか「焼光」はわかるんですが、殺したり奪ったりして何が光るんですか?
もっとうまい言い方いくらでもありそうなのになんでこんな変な名前なんでしょうか?
あと家を焼いて、人を殺すって、作戦として何か意味があるのでしょうか?
違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
general_hocheさん
中国語だそうです。「光」は中国語で「尽くす」の意味です。
「ヒカリ」ってのは日本読み。漢和辞典を見ると
”ひろく”とか”あまねく”という意味も載ってますよ。
三光とは、殺光(殺しつくす)・搶光(掠奪しつくす)・焼光(焼きつくす)。
ま、中国語によくあるフレーズのまとめたかたですね。
日本語じゃないので、ヒカリとは関係ないです。
日本軍の作戦を、中国側がこう名づけて呼んだ名称ということです。
確かにフレーズがキャッチーなんで中国側のプロパガンダの意味合いもあるわけですが、
この言葉が日本側にも広まった背景にはこの”三光”が
日本軍の行動を端的に表していたからでしょう。
ちなみにこういう作戦は対ゲリラ戦術といって
長期化した戦争では普通に行われるものです。
日本軍には市民や農民と、八路軍などの抗日ゲリラとの区別がつかず、
彼らの一撃離脱のゲリラ戦術にてこずったので
抗日戦線が活発に活動する敵性地域全体を標的として、
集落を掃討し、民衆とゲリラの区別なく殺そうとしたわけです。
日本軍はこのために毒ガスなども使用していますから
その意図は明らかです。
抗日ゲリラを特定区域におしこめて住民もろとも駆除したわけです。
ま、アメリカがベトナムで遭遇したような状況になったわけです。
”ソンミの虐殺”は有名ですよね。
対ゲリラ戦術というのは、どこの国でも
こういう残忍な方法に頼らざる得ません。
ゲリラの語源となった、半島戦争からしてそうです。
フランス軍はスペインやポルトガルの村々で略奪し、住民を殺戮し
家々を焼いています。
一般にゲリラ兵1に対して鎮圧には10倍の兵力が必要とされ
日本軍は200万以上の兵力を中国大陸に投入しましたが
必要な兵力には到底及ばず、制圧地域が敵の勢力範囲に
囲まれるという状態で、点と線をかろうじて支配できただけでした。
こういう場合、劣勢に陥った側は、
住民を”罰”することでゲリラと住民とを分けようというやり方に陥りがちです。
要するにゲリラに味方していると”思われる”村落を襲撃して
他の村落に恐怖心を植え付け、従順にしようという古いやり方です。
この種の方針はローマ帝国の昔からよーく聞く話で、
戦争の歴史においては珍しくもありません。
対ゲリラ戦において、残忍な方法が取られなかったと考える人間は
歴史と戦争の両方を知らない、”無知”な人間と言えるでしょう。
これは日本軍だからこうしたという話ではないのです。
日本人が特別残忍なはずもなく、
”あまねく人間”は過酷な戦争では驚くような残忍さを発揮するのです。
妙な島国根性で事実を曲解するよりも、物事の根幹となることを絶対に覚えておくべきでしょう。
逆に言えば、日本軍だけが人類の例外で融和的だったと考えるのは、いかにも馬鹿げています。
贔屓の引き倒し、平和ボケもいいところ・・・。
さて、日中戦争では、毛沢東が有名な持久戦論で延べているように、
日本軍部隊は中国の人民の海に溺れ、
日本には、勝ち目の無い戦いだったわけですが、
現実的な対ゲリラ戦術とは、住民の心を捉え、その支持を得ることだけです。
しかしそんなことは外国軍には不可能なので、結局、それがどこの軍隊だろうと、
泥沼化して、最後は撤退を強いられるということは、歴史が証明していますし、
現にイラクでもそうですよね。
ちなみにですが、あの鄧小平も旅団長としてゲリラ戦を戦っています。
徐州あたりで活動していたとか。
-
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:1人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
- (1件中1〜1件)
thor1203さん
北支那方面軍司令官岡村寧次大将の命令によって行われた蛮行といわれています。
もっとも実際に岡村寧次が行ったのは「焼くな、犯すな、殺すな」という三戒の遵守を支那派遣軍全体に訓令した事でした。
後になって三光作戦という蛮行が岡村寧次によって行われたと言われるようになりましたが、それを裏付けられる証拠は全くありません。
三光とは中国語で「殺光・焼光・槍光」(殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす)という事で日本語では解き明かしようがなく、岡村自身も「なぜ日本軍が中国語の作戦名を使わなければならないのか?」と疑問を提示しています。
この三光作戦は中国共産党側の資料(解放日報)によって広められた名称で、それを日本に広めた元日本兵達も撫順戦犯管理所などの共産党軍の捕虜収容所から解放された帰還兵でした。
現在では、撫順戦犯管理所において日本兵捕虜に思想教育が施されていた事が明らかになっており、中国側のプロパガンダであった可能性が高いとされています。
上の方が奇妙な話を言っていますが、
当時の中国はおよそ3分の2は日本軍と南京政府の占領地でした。
当時の日本軍はゲリラに対抗するため「清郷工作」という宣撫政策を行っており、民衆に食料を無料で配給したり、協力的な中国人を集め自警団を組織させたり病院や学校を建設しています。
また中国語に堪能な兵士を組織して交番のような派出所を作り、村民の苦情に丁寧に対処するといった活動を行っていたという事実もあります。
ベトナム戦争でもアメリカ軍は同じような戦略村工作を行っており、現地の市民には非常に気を遣った活動を行っており、
その前のインドシナ戦争に於いてもイギリス軍はマレーに於いて隔離農村を建設し、ゲリラ兵と現地住民の引き離し工作を行っています。
もちろん、一人一人の兵士までは徹底できたわけではなく極限状態に陥った兵士達が暴走し民間人をゲリラとして殺傷してしまうという例は少なからず起きています。
上の人が書いているソンミの虐殺などはその典型ですが、アメリカ側は当初は民衆の動揺を抑えるため事件を隠蔽しようとしました。
ところがアメリカ側のマスコミに発表され隠蔽が不可能になった途端、手のひらを返して関与した兵士14人を捕縛し殺人罪で軍法会議にかけたのです。
責任者であったカリー中尉は、事件当時精神的に追い詰められており責任能力がなかった事は明らかでしたが、事実上の見せしめとして終身刑が下されています。(後に10年に減刑された)
訴訟国家だったはずのアメリカが、ベトナムでは法を曲げてまで民間人を懐柔しようとしているです。
このようにゲリラ戦術において最も有効とされた戦法は、現地市民を懐柔してゲリラと引き離す工作でした。
現地市民を虐殺などすると結局現地市民が潜在的な敵対者になるだけで、ゲリラにとって益となっても駐留軍には損にしかならないのです。
これは別に日本だけが行っていたわけではなくアメリカやイギリスなど多くの国で行われている事でした。歴史的に見ても駐屯軍が駐留地に対して、略奪行為ならともかく焦土戦術を行ったという例は存在しません。
軍人だから人殺しをしたハズだ。軍隊だから虐殺をしたハズだ。というのは職業的な偏見に過ぎません。
日本は戦後、平和思想の蔓延によってこの偏見が助長され事実上の差別思想に発展しました。
今でもこのような証拠もない話を「日本軍だから虐殺をしたはずだ」という感情論で主張する人がいる事はまことに嘆かわしい事です。
-